砲艦 橋立型

 帝国は砲艦安宅の建造以降、長らく航洋型砲艦の建造をしていませんでした。
 途中ワシントン条約で補助艦の制限があったこともあり、直接艦隊型艦艇の建造以外に関心を示さなかったということがあります。
 艦隊決戦に必要ない艦船は二の次になったということですね。

 しかし新しい艦もいつかは老朽化します。
 砲艦籍にあった明治や大正の軍艦も老朽化で次々に退役し、大陸沿岸で活躍する航洋型砲艦は漸減していきました。

 そこでやっと昭和12年の第三次艦艇補充計画に990噸型の砲艦が認められました。
 これが橋立型です。

 嵯峨と安宅の代艦として建造されました。
 ただし、嵯峨も安宅も大東亜戦役の開戦により退役することはできませんでしたが。

 建造時期の関係上、砲艦としての活躍だけではなく通常の軍艦として船団護衛や上陸戦闘支援など多方面に活躍した軍艦です。

 性能としては、安宅に替わるものとして旗艦設備を持ち、また情勢から沿岸警備なども視野に入れた戦時装備を施してあり、すでにシーレーン確保を念頭に置いた艦でした。
 また、住環境と航続距離も従来より改善しており、日米開戦を予期していたと考えられます。

砲艦 橋立型
諸元 ()内は後期の諸元

主砲  :十年式12糎連装高角砲     1基      1門
      十年式12糎単裝高角砲     1基      1門
副砲  :   なし
機銃  :九六式25粍連装機銃       2基(4基)   4挺(8挺)
      九六式25粍単裝機銃                2挺(4挺)
      九二式7.7粍単裝機銃               0挺(3挺)

排水量 :990噸 (993噸)
速力  :19.5kt
航続力 :14ktで2500浬
主機  :艦本式オールギヤードタービン  2基     2軸
主缶  :ホ号艦本式重油専焼水管缶    2基
軸馬力 :4600馬力
燃料  :重油170t

全長:80.5米  水線長:78.5米  最大幅:9.7米  吃水:2.45米

乗員158名

数少ない航洋型砲艦

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戦歴

橋立

昭和14年 2月20日 大阪鉄工所桜島工場で起工
昭和14年12月23日 進水
昭和15年 6月30日 竣工
昭和15年 7月15日 第2遣支艦隊第11戦隊所属
開戦時          第2遣支艦隊第15戦隊附 香港攻略作戦参加
              以後 香港を中心に警備・護衛・哨戒
昭和19年 5月22日 香港近海で被雷輸送船救助中に敵潜「ピキュダ」の雷撃で喪失
昭和19年 7月10日 除籍



宇治
昭和15年 1月20日 大阪鉄工所桜島工場で起工
昭和15年 9月26日 進水
昭和16年 4月30日 竣工 第2遣支艦隊第11戦隊附
開戦時          第1遣支艦隊第11戦隊附 上海方面の警備・護衛・哨戒
               浮砲台としても利用
昭和18年8月      揚子江方面特別根拠地隊附
昭和19年1月      上海方面特別根拠地隊附
終戦時          無傷にて残存 民國政府に接収せらる 後に共産匪賊に奪わる

 大陸に権益を持つ列強は、各拠点地域に砲艦など戦闘力を有した艦船を配置しておりました。
 大半の場合は沿岸地域に植民地がありましたので、艦船の配置は必須でした。

 上海などは各国居留地が密集していて、世界中の列強がその威信を落とさないようにある程度の陸上・海上兵力を保有していました。
 特に砲艦は排水量に大して大口径の砲や設備を持ち、「砲艦外交」と呼ばれるように政治的・外向的にも利用されています。

 帝国も上海に居留地がある関係から、平時も軍艦を配置しています。
 特に他の列強と違って極近くに本土があるため、割と大きな船がおりました。

 帝国では砲艦は2種類に分かれ、揚子江など河川だけで行動する比較的小型で乾舷が低いものを河川用砲艦、艦型が通常の軍艦並みで乾舷が高く航洋性を持つものを航洋型砲艦としておりました。
 航洋型砲艦は戦時にあっては海洋で敵艦船を迎え撃つ可能性もあったので、割と兵裝も重装備になっています。

 この他に、海軍としての公式分類として、一等砲艦と二等砲艦という分け方があり、一等は一千噸以上、二等は一千噸未満となっておりました。
 このあたりは駆逐艦や潜水艦等と同じ分類法です。

 因みに砲艦は小型ながら外交上の関係もあり、昭和19年10月1日の類別変更まで軍艦籍に入り菊の御紋章を艦首に戴いておりました。