特設巡洋艦 報国丸型

諸元
主砲 : 十一年式40口径十四糎単装砲        8基      8門
      四一式45口径十五糎単装砲         8基      8門(護国丸)
雷装 : 六年式五十三糎連装発射管          2基      4門
機銃 : 九三式十三粍 連装               2基      4挺
航空機: 九四式水上偵察機                1機
射出機:                             無し

排水量: 10440トン
速力 : 20.9ノット
軸馬力: 13600馬力
主機 : 三井B&Wディーゼル               2基      2軸

全長 : 153.0米   水線長 : 149.5米   最大幅 : 20.2米

報国丸
昭和15年6月15日   三井造船玉で竣工 大阪商船籍
                アフリカ航路1回、以後大連航路へ
昭和16年8月29日   海軍により徴傭 改装
昭和16年10月15日  第二十四戦隊編入
開戦時           ツアモツ諸島付近で行動中
昭和17年4月30日   印度洋へ進出
昭和17年9月       昭南−ラボール間輸送任務
昭和17年10月      印度洋再進出
昭和17年11月11日  イギリスタンカー「オンディナ」の砲弾が命中、魚雷誘爆により喪失

戦果
アメリカ貨物船「セントヴィンセント」 6210総トン 撃沈(共同)
オランダタンカー「ゼノタ」 7987総トン 拿捕 →給油艦「大瀬」
イギリス商船「エリシア」 6757総トン 撃沈(共同)
ニュージーランド商船「ハウラキ」 7113総トン 拿捕(共同)
計28067総トン…………建造対価に合っていないような気がする…。

愛国丸
昭和16年8月31日   三井造船玉で竣工 大阪商船籍
昭和16年9月1日    海軍により徴庸 改装
昭和16年10月15日  第二十四戦隊編入
開戦時           ツアモツ諸島付近で行動中
昭和17年5月       印度洋進出
昭和17年9月       昭南−ラボール間輸送任務
昭和17年10月      印度洋再進出
昭和17年12月      トラック進出 以後輸送任務
昭和19年2月17日   トラック大空襲で敵機により被爆積荷ダイナマイト誘爆 喪失

戦果
アメリカ貨物船「セントヴィンセント」 6210総トン 撃沈(共同)
アメリカ貨物船「マラマ」 3275総トン 撃沈
オランダタンカー「ゼノタ」 7987総トン 拿捕 →給油艦「大瀬」
イギリス商船「エリシア」 6757総トン 撃沈(共同)
ニュージーランド商船「ハウラキ」 7113総トン 拿捕(共同)
オランダタンカー「オンディーナ」 6341総トン 大破
計37683総トン

護国丸
昭和17年6月30日   建造中興国丸から改名 海軍により徴庸
昭和17年10月2日   三井造船玉で竣工 大阪商船籍
                主として輸送任務
昭和18年11月7日   生月島北方で敵潜「バーブ」により喪失

戦果無し

通商破壊の仮装巡洋艦

 ドイツでは第1次世界大戦の頃から通商破壊に意欲を見せ、潜水艦や仮装巡洋艦どころか正規の巡洋艦まで投入しておりました。この通商破壊作戦は、イギリスのように植民地からの物資が本国に届かなければ苦ししくなる国家に対して、非常に有効でした。
 第2次世界大戦に於いても、特に海軍力が第1次世界大戦の頃より低いドイツは通商破壊に重点を置きました。当初のその戦果は大きく、連合軍も大変憂慮したものです。

 さて本題の報国丸型です。
 本船は、優秀船舶建造施設助成制度により、補助金付きで大阪商船により建造されました。つまり戦時には国に徴用されることを前提にしたものでした。
 もともとアフリカ航路用船舶で、移民政策にも利用できるように設定されておりました。
 しかし欧米の禁輸措置が厳しくなり海運業も振るわず、日米開戦が迫ったために昭和16年半ばに徴用、特設巡洋艦に生まれ変わったのでありました。その武装は特設巡洋艦の中でも群を抜き、装甲が無いことを除けば正規の巡洋艦と同じでした。
 行動もドイツの仮装巡洋艦に倣い、乗員女装の訓練まで行われました。

 報国丸は同型の愛国丸と共に第二十四戦隊を編制し、フィジー周辺・インド洋を暴れ回りました。

 しかし商船は商船。装甲の薄さはいかんともしがたく、それぞれ相応の最後を遂げたと言えます。

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