諸元
主砲 :なし
高角砲:三年式八糎単装高角砲 1基 1門
機銃 :九二式七.七粍単装機銃 1挺
排水量:640ts
速力 :13kt
航続力:12ktで2000浬
全長 62.29米
搭載物資:生糧品43t 真水40t
(3000名の10日分)
杵埼
昭和15年9月30日 日立櫻島造船所で雑役船として竣工 南海と称す
昭和17年4月 1日 特務艦籍編入 杵埼と改称 横須賀鎮守府籍編入第四艦隊付属
昭和18年11月11日マーシャル方面で敵機により小破
昭和20年3月1日 沖縄への輸送作業中 奄美大島付近で敵機により喪失 同5月1日除籍
給糧艦といえば、やはり間宮が特に有名ですが、間宮1隻では広い日本の海岸線で活動する帝国海軍全艦艇をサポートすることは不可能です。また、間宮は特に様々な種類の運搬施設を有しますが、これと同じ規模の艦を多数揃えるのには費用的にも無理がありました。そこで中型艦で各種の品目専用に運搬する艦が建造されたのでありました。
時期的にも南方への進出を考えていた昭和15年度建造です。遠方に生鮮品や冷凍品を補給することが考えられていたのでしょう。また、漁場で魚をそのまま買い付けて急速冷凍、他艦へ補給する目的も持っていました。
1番艦杵埼は当初、実験的な意味合いで建造されました。中型冷凍船と小型冷凍船の効率の良さを実験するためです。中型船には南進という名が付けられ、小型船には南海という名が与えられました。結果中型船の方が有利という結論を得て、南進と同型の艦を3隻建造することとなり、合計4隻となりました。
2番艦以降の各艦は昭和17年以降に竣工、その間に艦種が雑役船から特務艦種給糧艦に昇格しました。因みに小型冷凍船の南海は、野埼と改名されこちらも給糧艦籍となりました。
艦内には獣肉庫、卵果物庫、魚肉庫、野菜庫、氷庫、真水槽がありましたが、艦体の割には積載量が少なかったのも特徴です。
本艦型は、4隻建造された内3隻も残存している幸運な艦型でした。残存した艦は復員輸送の後に賠償艦として敵国に引き渡されました。
野埼
昭和16年3月18日 三菱下関造船所で竣工 雑役船南海と称す
昭和17年4月1日 特務艦籍編入 野埼と改称 佐世保鎮守府籍
海南警備隊付属編入
昭和18年11月19日 海南島海口で敵機により小破 海南工作部で修理
昭和19年12月28日 楡林より船団護送中 仏印バレラ沖で敵潜ディスの雷撃により喪失
杵埼と野崎の大きさ比較 左が杵埼、右が野崎
中型の杵埼と小型の野埼で性能試験をした結果、杵埼のほうが有効とされてしまいましたが、野埼も利用価値が有るために運用されました。
よく考えれば、冷凍効率は大きい方が冷却器も大きくできる訳ですから効率が良いですし、補給量が少ないと艦隊全部に行き渡りません。船体の生産コストから考え合わせれば、小さいのをたくさん作るより、中型を必要量で良いのが当然でしょう。
杵埼との性能試験で敗北
早埼
昭和17年8月31日 日立櫻島造船所で竣工 横須賀鎮守府籍
昭和17年9月6日 連合艦隊付属編入
昭和18年2月7日 ラボール付近で敵潜を乗り切り撃沈
昭和18年11月2日 ラボールで敵機により直撃弾2発被弾 中破
昭和20年5月7日 スマトラ北方で触雷 中破
終戦時 昭南にて残存 昭和20年10月5日除籍
白埼
昭和18年1月30日 日立櫻島造船所で竣工 呉鎮守府籍 連合艦隊付属
昭和19年3月30日 幌筵島東海岸で触礁
終戦時 大湊で残存 昭和20年10月5日除籍
冷凍食品運搬の専用艦
荒埼
昭和18年5月29日 日立櫻島造船所で竣工 舞鶴鎮守府籍 連合艦隊付属編入
昭和20年2月1日 スラバヤ西方で触雷 中破航行不能
終戦時 スラバヤで残存 昭和20年10月5日除籍
戦後米国への賠償艦となるも、変換されて水産大学校練習船海鷹丸となる
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