支那事變の拡大で、近衛師団(後の近衛第二師団)からも昭和14年に出征する部隊が出ました。この部隊を通称桜田混成旅団、正式には近衛混成旅団と言いました。
近衛混成旅団は各所で活躍、翁英作戦、賓陽作戦などで勇名を馳せ、南寧攻略中に包囲された第五師団を救出、江南作戦と戦い、北部仏印進駐まで行いました。
この間の旅団は近衛師団の名を一層高めることとなりました。
その後昭和15年5月に近衛師団の主力も渡海、欽寧撤収作戦、雷州半島遮断、南部仏印へと転戦しました。
さて、この近衛混成旅団、大東亜戦役が始まって近衛師団主力が馬来へ出動すると、留守近衛師団の中核となりました。しかし戦線も拡大した昭和18年には、宮城に近衛師団が居ないのはおかしいので、現在ある兵力に補充して近衛第一師団として改変されることとなりました。しかし馬来に出征している歴戦の元近衛師団の将兵としては、なにか納得がいかない部分も有ったのではないでしょうか。
師団の戦歴は防空以外に特にありませんでした。
昭和20年8月14日、終戦の前日、事件は起こりました。すでに近衛師団内ではポツダム宣言受諾の方針が伝わっており、これに徹底抗戦を主張する将校による反乱が起こりました。森赳師団長は第二総軍白石参謀とともに陸軍省軍務局の課員により斬殺されて師団は偽造命令書により皇居を封鎖しました。しかし東部軍司令官の命令により憲兵隊を中心に鎮圧に乗り出し、玉音放送は無事に発せられたのであります。この事件を「宮城事件」と言います。
当時の師団は殆どが三単位に改められたのに対し、師団は珍しく大東亜戦役集結まで四単位師団を維持しておりました。任務の重要性上、兵力が多い方が良かったのでしょう。当然ながら装備も最も優れたものが配備されていました。
師団の通称号は「隅」。
昭和18年5月14日編制
原駐地 東京
近衛師団出征後禁裏守護の師団
近衛歩兵第一連隊 通称:東部第2部隊 明治7年1月23日軍旗拝受 原駐地:東京丸の内
主な戦歴:母体は御親兵 明治10年西南の役 明治27・8年の役 台湾征討 明治37・8年の役
支那事變・翁英作戦・南寧会戦(第五師団・台湾混成旅団救出)笠間第二大隊長戦死、上思県討伐
江南作戦・第一・第二次西路作戦・仏印国境作戦(仏印進駐)後復員
大東亜戦役 宮城守備 終戦時東京、昭和20年8月25日軍旗奉焼
近衛歩兵第二連隊 通称:東部第3部隊 明治7年1月23日軍旗拝受 原駐地:東京丸の内
主な戦歴:母体は御親兵 佐賀の乱 明治10年西南の役 明治27・8年の役 台湾征討
明治37・8年の役・戦死傷1301名 支那事變・翁英作戦で206名戦死傷
南寧会戦(第五師団・台湾混成旅団救出)で戦死傷156名 賓陽会戦、上思県討伐
江南作戦・第一・第二次西路作戦・仏印国境作戦(仏印進駐)後昭和16年4月8日復員
大東亜戦役 宮城守備 終戦時東京、昭和20年8月25日軍旗奉焼
近衛歩兵第六連隊 通称:東部第7部隊 昭和18年9月7日軍旗拝受 原駐地:東京
近衛歩兵第一連隊第三大隊基幹で新編
主な戦歴:大東亜戦役・宮城守備、終戦前日主力は大宮御所警衛へ
終戦時東京 昭和20年8月25日軍旗奉焼
近衛歩兵第七大隊 通称:東部第8部隊 昭和18年9月7日軍旗拝受 原駐地:東京
近衛混成旅団各部隊抽出基幹
主な戦歴:大東亜戦役・宮城守備、終戦時東京 昭和20年8月25日軍旗奉焼
近衛騎兵連隊 通称:東部第10部隊 明治8年近衛騎兵大隊→明治29年11月20日連隊軍旗拝受
主な戦歴:母体は御親兵 明治10年西南の役 明治27・8年の役 台湾征討 明治37・8年の役
大東亜戦役 宮城守備 終戦時東京、昭和20年8月25日軍旗奉焼
近衛野砲兵第一連隊 通称:東部第12部隊 昭和18年6月編制
近衛野砲兵連隊補充隊・野戦重砲兵第二十五連隊基幹
主な戦歴:大東亜戦役・宮城守備、終戦時東京
近衛工兵第一連隊 通称:東部第81部隊 昭和18年6月編制
近衛工兵連隊補充隊基幹
主な戦歴:大東亜戦役・宮城守備、宮城修復・焼け跡整理 終戦時東京
近衛機関砲第一大隊 原駐地:丸の内
二式多連装機関砲7個中隊 二式双連機関砲2個中隊
(参考)近衛混成旅団編制時
旅団長 | 司令部 |
近衛歩兵第1連隊 | |
近衛歩兵第2連隊 | |
野砲兵大隊 | |
輜重隊 | |
衛生隊 | |
第一野戦病院 |
(参考)留守近衛師団次
師団長 | 司令部 | |
近衛混成旅団 | 近衛歩兵第一連隊 | |
近衛歩兵第二連隊 | ||
近衛歩兵第三連隊補充隊 | ||
近衛歩兵第四連隊補充隊 | ||
近衛歩兵第五連隊補充隊 | ||
近衛捜索連隊補充隊 | ||
近衛野砲兵連隊補充隊 | ||
近衛工兵連隊補充隊 | ||
近衛輜重兵連隊補充隊 | ||
近衛師団通信隊補充隊 | ||
野戦重砲兵第二十五連隊 | ||
自動車隊 | ||
東京第二陸軍病院 | ||
下志津陸軍病院 | ||
立川陸軍病院 | ||
所沢陸軍病院 | ||
村山陸軍病院 | ||
白子陸軍病院 | ||
豊岡陸軍病院 |
編制時
師団長 | 司令部 |
近衛歩兵第一連隊 | |
近衛歩兵第二連隊 | |
近衛歩兵第六連隊 | |
近衛歩兵第七連隊 | |
近衛騎兵連隊 | |
近衛野砲第一連隊 | |
近衛工兵第一連隊 |
終戦時
師団長 | 司令部 |
近衛歩兵第一連隊 | |
近衛歩兵第二連隊 | |
近衛歩兵第六連隊 | |
近衛歩兵第七連隊 | |
近衛騎兵連隊 | |
近衛野砲兵第一連隊 | |
近衛工兵第一連隊 | |
近衛通信隊 | |
近衛機関砲第一大隊 |