諸元

主砲  :三年式14糎単裝砲     2基      2門(戦時)
副砲  :   なし
高角砲 :三年式8糎単裝高角砲   2基      2門(通常時)
機銃  :九六式25粍連装機銃    0基(4基)   0挺(8挺)
      九六式25粍単裝機銃            若干
その他 :10b配給艇(ランチ)
      12b配給艇(大發)
      予備用水偵
      曳航用標的船

排水量 :15820ts
速力  :14.0kt
航続力 :14ktで6000浬
主機  :直立式3気筒3段膨張式レシプロ蒸気タービン  2基  2軸
主缶  :ロ号艦本式石炭専焼水管缶     8基
軸馬力 :10000馬力

燃料  :石炭3350ts 重油2100ts(補給用)

全長:144.78米  最大幅:18.59米  吃水:8.43米
乗員  :283名

糧食積載:約1000噸(18000名/3週間分)

最中、羊羹、饅頭、アイスクリーム、ラムネ、豆腐、蒟蒻、油揚げ、麺など各種の職人が軍属として乗り組み、その技術も日本でトップレベルの人たちが多かったと言います。

給糧艦 間宮

「間宮がきたぞ!」 どんな艦にも喜ばれた特務艦

 軍が行動するには、食料・燃料などが不可欠です。
 燃料は給油艦として、食料の供給には給糧艦がありました。
 以前にも給糧艦「杵埼」と「野崎」を別なページで紹介しておりますが、そのどちらも1000トンを超えない小型給糧艦でした。


 間宮は「杵埼」型よりも15年以上早い、大正の艦です。

 補給能力は18000名を3週間食べさせていける、というものでした。
 また、ちょうど冷凍・冷蔵能力が大発展を遂げた頃で、本艦には当時最新式の冷凍庫・冷蔵庫が装備されました。
 また、屠殺設備もあるため、ある程度の肉類等は生きたまま積載されて泊地で解体、各艦に配給することもできました。しかし給糧艦とは言え、甲板上、水兵の横で「ブーブー、モウモウ」という声が聞こえるのは、何とも不思議な光景だったのではないでしょうか…。

 艦体が大きいことから、他にも病院設備・艦船工作設備クリーニング設備が設けられ、積載余力がある場合は予備用の分解した水偵や射撃標的船を積み、強力な無線通信能力も付与されました。
 本来前後共に主檣は単脚でしたが、昭和10年に標的船の搭載により後檣は三脚に改められました。

 船室は各部屋が各種の調理施設となっており、その道の職人が軍属として乗り組んでいました。
 非常に重宝された艦と言えましょう。

 間宮は甘味ものを製作する能力を持っているので、艦隊将兵は泊地で間宮が入港してくると「間宮が来たぞ!」といって喜んだらしいです。

 武装に関してはその性質上、間宮は単独行動が多く、当初から砲台を備えていて、平時は砲を整備せず砲台のみ、通常は三年式8糎高角砲、戦時は三年式14糎砲と変更されました。

 戦歴的には運がよい方で、単独行動の故か何度も潜水艦の雷撃にあって損傷していますが、その都度修理されて復帰しています。
 その間宮も昭和19年12月、暮れも押し迫った時期に潜水艦の雷撃で喪失しました。
 正月を迎える直前で、将兵もさぞや落胆したことでしょう。

戦歴

大正11年10月25日 川崎造船所で起工
大正12年10月26日 進水
大正13年 7月15日 竣工 連合艦隊付属 呉鎮守府籍
開戦時          連合艦隊付属 呉在泊
昭和18年10月12日 父島西南西方で敵潜の雷撃により中破
昭和19年 5月 6日 鳥島南西方で敵潜「シアロウ」の雷撃により中破
昭和19年12月20日 西貢〜比島へ補給途上海南島東方で敵潜「シーライオン」
               の雷撃により喪失
昭和20年 2月10日 除籍

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