諸元

主砲 :四一式45口径15糎単裝砲          4基       4門
副砲 :    無し
高角砲:十一年式40口径8糎単裝砲         1基       1門
雷裝 :六年式53糎魚雷発射管            2基       4門
機銃 :九六式25粍連装機銃             (2基)      (4挺)
     九三式13粍単裝機銃             (1基)      (1挺)
     九二式7.7粍単裝機銃             1基       1挺
その他:(九四式2号水上偵察機)
     雷裝と航空兵裝どちらかの説があります。両方ということは無いと思われます。

排水量:7184噸
速力  :18.5kt
軸馬力:6700hp
主機  :三菱ズルーザ複動型 ディーゼル      2基       2軸

全長:142.5米   水線長:136.6米   全幅:19.0米

 特設巡洋艦は、独逸で仮装巡洋艦などと呼ばれている艦種に相当します。

 使い方は各国で違いますが、明治から大正頃までは名前の通り巡洋艦の補助的役割がありました。
 明治時代頃までは、軍艦と商船にかけ離れた性能差が無かったから(装甲除く)代用が効いたというわけですが、明治時代終わりくらいから急速に軍艦の発達が進み、商船はそれに追いつけなくなりました。

 実際に大正くらいまでは仮装巡洋艦や特設巡洋艦による戦果が多数あり、侮れない存在ではありました。

 また、海軍国として発達するためには幾多の障害があった独逸などでは、第二次世界大戦に至ってもこれらの艦で戦果を挙げておりました。
 しかしこれとても、航空機の発達に伴い哨戒圏の拡大の前に姿を消し、第二次大戦以降は「特設巡洋艦」という艦種は消えてしまったのでありました。

 日本では、信濃丸の「敵艦見ゆ」の電文に代表されるように艦隊の補助艦艇としての利用が主で、独逸のように通称破壊に本格的に特設巡洋艦を投入したのは大東亜戦役の時くらいなものでしょう。
 しかし慣れない戦法のため、大した戦果を挙げる前に戦力を減らしてしまい、ほとんどの艦が運送艦などに変更されてしまいました。


 能代丸型は、日本郵船の持船で、第一次船舶改善助成施設として補助金を得て建造されました。
 つまり、戦時には徴用されることが前提であったのであります。

 本船は昭和8年12月7日に三菱長崎造船所で起工、昭和9年11月30日に竣工。

 竣工後は、横浜からパナマ運河を通過してのニューヨーク航路に就航しておりました。

 途中、昭和12年に拡大の一途を辿る支那事變を受けて海軍ではなく、先に陸軍に徴用されましたが、1年半ほどで解除されております。


 実際に海軍に徴傭されたのは昭和16年からで、徴傭時は特設水上機母艦に類別されておりました。同時に船名も「能代川丸」と改名されました。
 これもたった数ヶ月で、大東亜戦役が避けられないことがわかってきた9月には特設巡洋艦へと改装され、開戦前には配備されております。このときに艦名を「能代丸」に戻しております。

 特設巡洋艦に変更されてのは、大東亜戦役で展開する規模に対して兵力が追いつかないため、軍艦の補助をさせる意味がありました。成功する可能性が低い且つ必要性が低い真珠湾奇襲などというバカな作戦に艦船を割いたのも大きな原因の一つでしょう。
 もともと通商破壊などの戦闘には出動させる気がなかったのかも知れません。
 能代丸は船団の護衛といったことしかしませんでした。


 結局第一段作戦も落ち着いて兵力が各方面に定着してきた昭和18年には特設運送船に格下げされ、「護衛する船」から「護衛される船」になってしまいました。
 装備が旧式であったことと、機銃の数など対空兵裝が少なかったことも原因でしょう。

 以後は敵機により大破放棄されるまで輸送任務に就いておりました。
 本船は昭和19年9月21日マニラ港外で爆撃を受け大破、同11月10日除籍されました。

同型船:長良丸・能登丸・那古丸は陸軍が徴傭
     鳴門丸・野島丸は海軍特設運送船

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特設巡洋艦  能代丸

船歴

昭和8年12月7日   三菱造船長崎で起工 第1次船舶改善施設第10号認定
昭和9年6月28日   進水
昭和9年11月30日  竣工
昭和10年より 横浜−ニューヨーク間航路を航海

昭和12年8月8日   陸軍により徴傭
昭和14年1月7日   陸軍から解傭 再びニューヨーク航路へ

昭和16年5月1日   海軍が徴傭
昭和16年7月1日   特設水上機母艦籍に入籍 横鎮
昭和16年8月20日  除籍
昭和16年9月20日  特設巡洋艦籍入籍
昭和16年10月14日 艤装完了 横須賀鎮守府横須賀警備戦隊編入
昭和17年4月10日  第四艦隊第二海上護衛隊編入 主に南洋で船団護衛
昭和17年8月5日   特設運送船に艦種変更 海軍省所管 以後輸送任務
昭和18年1月16日  敵機の爆撃により中破 明石により修理
昭和18年3月13日  敵潜二より被雷、トラックで応急修理
昭和19年6月30日  25粍機銃、逆探増備
昭和19年8月19日  敵潜により被雷、小破
昭和19年9月21日  マニラで敵機により大破 放棄
昭和19年11月10日 除籍

 使い方・時期を誤った特設巡洋艦