神州丸(MT船)別称:龍城丸
当初の計画では、制空戦闘もできるように九一式戦闘機や八九式軽爆撃機を搭載し、カタパルトで発進できるようにした船です。しかし極端に軍事機密としたために通常はカタパルトを撤去して、正式船名の「神州丸」も使わず、「MT船」「龍城丸」と称しておりました。しかし国内すべての登録船舶を記載しなくてはならない帳面には「神州丸」と記載されていたのですから、笑えます。
泛水設備は、まず船尾に観音開きの扉があり、ここから大発艇や特大発艇を泛水させます。また、船央両舷にもデリック付の泛水設備があります。
この形は、連続泛水を容易にした艦として日本で初めてでした。なにしろ、通常の輸送船では戦車などの揚塔の際にデリックが曲がってしまいますので、この設備は重要です。
さて、懸案の航空設備ですが、カタパルトと言うことは着艦ができません。つまりは上陸した部隊に敵の飛行場を占領してもらうか、砂浜などに着陸しなくてはならないと言うことです。近代戦に置いて、上陸直後に飛行場を奪えた例は、相当な戦力差での場合しかありません。そうした現実的な問題があってか、ついにカタパルトは再設置されることはなく、飛行兵装は持ち腐れてしまいました。陸上機の水上機化などの話や、海軍から水上機を分けてもらう話もあったようですが、結局兵装撤去で落ち着いたようです。
昭和9年11月竣工 支那事変中上陸作戦と輸送に従事
開戦後は昭和17年3月1日ジャバ上陸作戦参加
敵大巡「パース」などとの海戦で味方の魚雷を受けて
大破着底、今村均軍司令官も海に投げ出されて恩
賜の軍刀を失うという笑えない事態がありました。
作戦は順調に進展、神州丸も浮揚修復、戦列に戻りました。
昭和20年1月3日 敵機の雷撃で中破、漂泊中に敵潜「アスプロ」の雷撃で沈没
排水量:8160総トン
速力 :19kt 航続力:14ktで16000浬
軸馬力:20000馬力
水線間長:150米 最大幅:22米
航空機:計画時10機 実質12機
九一式戦闘機 九七式軽爆撃機 九二式偵察機
九四式偵察機 九八式直協偵察機
射出機:呉式二号射出機 2基
その他:大発艇 20隻
八九式中戦車
あきつ丸型
陸軍初の全通甲板装備艦。まさに本格的な航空母艦の様相を呈してきました。勿論海軍であればせいぜい護衛空母程度ですが、飛行甲板に画期的なカタパルトを装備するという形がとってあり、急速発進も可能な艦でした。泛水設備も更に拡張され、乾舷が高い分余裕が出て搭載量はかなり増えました。
しかし積極的に使用する機会に恵まれず、と言うよりは積極的な使い方ができず、実際に上陸戦に使われることはありませんでした。
ただし、あきつ丸だけは三式指揮連絡機とカ号観測機(オートジャイロ)を搭載して対潜攻撃にじゅうじしていました。
「あきつ丸」
昭和14年1月起工 日本海運籍 播磨造船
昭和17年11月竣工 主に航空機輸送と船団護衛に従事
昭和19年7月30日 飛行甲板拡張完了
昭和19年7月25日 独立飛行第一中隊駐留
昭和19年11月14日 五島沖で敵潜クイーンフィッシュの雷撃で喪失
「にぎつ丸」
昭和16年6月 起工
昭和18年3月 竣工 主に航空機輸送
昭和19年1月12日 ラサ島沖で敵潜ヘイクの雷撃により喪失
排水量:9433総トン
速力 :20.8kt
主機 :蒸気タービン2基 2軸 軸馬力:19000馬力
垂線間長:140米 最大幅:19米 喫水7.0米
主砲 :改三八式7.5糎野砲 10門
高角砲(高射砲):八八式7.5糎高射砲 2門
機関砲:(後)一式二〇ミリ機関砲 8挺(門)
その他:対潜中迫撃砲(九七式八二粍軽迫撃砲) 1門
航空機:13機 (輸送時28機) 但し「カ号」に限り30機
九七式戦闘機、一式戦闘機、カ号観測機、三式指揮連絡機
上陸兵力:大発艇 27+5隻 八九式中戦車27両亦は九七式中戦車20両
着艦装置:萱場式制動装置4索
着船指導燈 着船標識
熊野丸(M丙型)
この船は、陸軍でも油槽船としたかったのか上陸用としたかったのか、よくわからない船です。しかし航空兵装と艤装関係は、これまでの船の中でもっとも良い物でした。
実はこの船には、強襲揚陸艦的な性能は殆どありません。しかし油の搭載能力はすばらしい。惜しむらくは、完成が遅すぎたことでしょう。
終戦後は復員輸送船として活躍しました。
熊野丸
昭和19年8月 起工 川崎汽船
昭和20年3月 竣工 終戦時無傷で残存 復員輸送へ
ときつ丸
昭和19年10月 起工 進水前に建造中止 解体