明治の御一新以降、日本では急速な経済発展・欧米化とともに便利な汽車が導入されました。その総延長は明治20年以降全国に張り巡らされ、更に明治27・8年の役以降は大陸にまで延びようとする勢いでした。
さて鉄道を造るは良いのですが、鉄道は軍によって大量輸送に便利な反面敵軍にとっても占領した場合利益があり、またこれを壊して兵站の妨害にもさらされます。
このような事態と占領地に急速敷設・運用をするために鉄道部隊が設定されました。
鉄道部隊の沿革は装甲列車の項目に譲りますが、簡単に述べますと当初列車部隊は軽便鉄道のみを保有しするだけでした。これに装甲を張った貨車が主でしたが、鉄道の重要性ますます高まり、本格的な装甲列車が必要になりました。そこで支那戦線の大陸鉄道隊や関東軍鉄道隊は、臨時装甲列車を編成しました。これは一歩進んだ装甲列車で、小銃を持った部隊の他に火砲も装備されておりました。ついで軽装甲列車、九四式装甲列車と発展していったわけですが…。
装甲列車は蒸気機関車主体でして、大きな問題がありました。それは、一度火を落とすと再び出動するために蒸気圧の関係上何時間もかかってしまうというものでした。緊急出動の際には後れをとってしまいます。
そこで、ガソリン発動機装備の軌道車が造られました。勿論装甲を持つタイプです。牽引量は蒸気機関車に比べればたいしたこと無いですが、即応性が頗る良かったようです。
まず昭和5年に九一式広軌牽引車が、昭和11年に九五式装甲軌道車がついで昭和14年に九八式鉄道牽引車、昭和15年に百式鉄道牽引車が開発されました。
このうち九一式と九五式は装甲を持ち、しかも短時間で装輪式として軌道外にでて通常の装甲車と変わらぬ役割を担えました。また九八式と百式はトラックを改造したもので、九八式はガソリン発動機、百式はディーゼル発動機を装備しておりました。
九一式の装甲は決して厚い物ではなく、小銃弾に耐えうる程度で、路上ではソリッド式ゴムタイヤを装着しました。しかし軌道上に降りる機構は大変良い出来で、評判は高かったようです。
九五式は支那満州の不整地でも装甲できるように装軌式でした。つまり履帯で走行し、戦車のような形状をしています。実際には装甲車の名を付けても良いのですが、ここで日本特有の兵科同士のいがみ合いが起き、固有の銃砲を砲塔(銃塔)につけると騎兵科もしくは機甲科に属すると言うことで見送られ、銃器は着脱式の物となってしまいました。
九五式は支那大陸で大活躍し、1車で装甲列車1編成を鹵獲するという大戦果もあげています。九五式は秘密兵器に属しておりましたためにその資料はあまり多くありません。
九五式の鉄路外への出入りの速さは世界一で、鉄路上から地面へは約1分、その逆は誘導員付で3分ほどでした。
九一式広軌牽引車
全備重量:7.12頓
全長 :6.57米 全幅2.95米 全高:1.90米
軌道走行速度:40q/時
装輪走行速度:65q/時
発動機 :A6型空冷複列16気筒揮発油発動機 70馬力(石川島)
(瓦斯電空冷複列16気筒揮発油発動機) 75馬力
(木炭瓦斯発動機 62馬力)
乗員 :4〜6名
九五式装軌装甲車
自重 :8.7頓
装甲 :銃塔:6粍 車体前面:8粍 側・後面:6〜4粍
軌道走行速度:72q/時(単車) 40q/時(列車牽引時)
装輪走行速度:30q/時(道路面) 20q/時(路外)
全長 :4.90米 全幅:2.56米 全高:2.54米(軌道外2.43米)
乗員 :6名
生産数 121輛
九八式と百式は九四式自動貨車の焼き直しなので割愛