なぜ〈みたらし団子〉と呼ぶのか?

皆さんは、みたらし団子ってご存じですよね?
丸い団子5つを竹串に刺し、醤油のたれで付け焼きにしたお団子のことです。
このみたらし団子を食べていて、僕の頭にふと疑問が浮かびました。
「ん?なんでみたらし団子って呼ぶのだろう?胡麻味噌の団子は胡麻団子なのに、なんで醤油たれの団子は、みたらし団子なの?醤油で味付けしてるんだから醤油団子と呼ぶのが正式なんじゃないのか」などと、この疑問に対して団子を食べながら考えてみたが当然、答えは出るはずがない。
顔を洗っていてニキビをみつけてしまったようなもんで、今まで、たいして気にしたことが無いことでも、いざ気になり出すと気になってしょうがないのが僕の性分(笑)
「んじゃー、ちょっと調べてみるか」と軽い感じで調査を始めたが、調べて見ると色々おもしろいことが見つかったので、『なぜ〈みたらし団子〉と呼ぶのか?』というタイトルで、その調査結果をまとめてみました。

研究内容:
調査は意外な方向へ
羞恥心と隠語
トイレ関連の隠語
みたらし団子の由来

結論
おまけ

調査は意外な方向へ
みたらし団子について調べてみると、正式には【御手洗団子】と書くという衝撃の事実にぶつかった。
「げっ!御手洗って便所の意味でしょ、つーことは便所団子??」
なんで、あんな美味しい団子が便所と繋がるのか?逆に謎が深まってしまった。
ここで、頭の中を一端整理しておこう。
みたらし=御手洗で、確かに御手洗=便所の意味だが、御手洗という言葉本来の意味は、違う意味を持っているのでは?
それではと【御手洗】を広辞苑で調べてみたら、次のような内容が記載されていた。
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@神社の社頭にあって、参詣者が手や口を浄める所。みたらい。徒然草「―に影の映りける所と侍れば」
A手水(チヨウズ)をつかうこと。みたらい。
B御手洗川の略。
C御手洗祭の略。
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@の内容から、【御手洗】本来の意味はわかった。
便所で用を足した後は、手を洗う。
昔は、水道なんて無くて井戸水か川からの汲み水を桶などに貯めておいて柄杓ですくって手を洗ったのだろう。
時代劇なんかを見ていたら、便所を出てすぐのところに確かに御手洗があります。
そこで僕の推測ですが、「便所に行く」と言うより、「御手洗いに行く」と言った方が聞きが良いし、汚いモノを出して手を清めるという感じが、清潔さを感じさせるので、みんな便所のことを御手洗と言うようになったのでは?または、便所に行くことを悟られたくないために生まれた言葉では?という2つの仮設を立てました。

羞恥心と隠語

日本のトイレ文化は『恥の文化』だと言っていいでしょう。
食べれば出る、当たり前のことなのだが、どうも日本人はその行為自体にどこか後ろめたさを感じているのは、自分を含め事実である。
「よーしいっぱい食べるぞ〜!」という人はいても、堂々と「糞しに行って来るぞー!」という人は少ない。
ごく稀に、そんな人がいたら、みんなから軽蔑の白い目で見られるか、あきれられることはあきらかである。
最近ではトイレという言葉が、かなり市民権を得ていることと、汲み取り式から水洗化というクリーンなイメージもあって「ちょっとトイレに行ってきます」というの言葉が言いやすくなってきましたが、なかなか切り出せないシチェーションはまだまだあります。
例えばお見合いなんて、その時のイメージが大切ですから、特に女性だと[トイレに行く]→[うんちすると思われる]→[汚い女]=イメージダウンという解析を頭のコンピュータで勝手に行ってしまい、なかなか「トイレに行く」と切り出せないで我慢してしまう事があるのでは。
こんな時に仲人さんや身内にだけは通じて、大事なお見合い相手には「トイレに行く」と気づかれずに席を外したいですよね。
そういう日本人の人間心理がトイレに関しての隠語を発展させたのだろうと僕は解析しました。

トイレ関連の隠語

隠語とは何か?またまた広辞苑から引用しますと
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特定の仲間の間にだけ通用する特別の語。かくしことば。
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とあります。
隠語は、御手洗のように、本来の意味から反れて違う意味を持つものや、「所場代払えよ」の【しょば】のような転倒型(テレビ業界用語に多い)や警察のことを【さつ】と呼ぶような省略型など、色々あります。
今は、あまり使われなく死語に近い【雪隠】という、これもトイレを意味する言葉なのですが、雪竇禅師という僧が雪竇山霊隠寺で厠の掃除をつかさどった故事から来ている言葉だそうで、この雪隠を使ったことわざに「雪隠で饅頭」というのがあります。
これは、こっそりと自分一人だけで利益を得ようとするたとえですが、きたない場所でうまい物をたべてもおいしくない意味も含んでいます。
もう一つ、雪隠を使った言葉に「雪隠の火事」というのがありますが、これは「やけくそ」というシャレの効いた言葉です。
この他、トイレに関する隠語は接客業務のある職種に多いです。
例えばデパート業界、今も使われているかはわかりませんが、西武は【すけんや】、そごうでは【奥】【突き当たり】、三越では【遠方】、銀座松屋は【にの字】、大丸は【さんさん】と言った感じです。
つまり仲間うちだけでしか通用しない言葉なので、部外者が聞いてもなんの事やらさっぱりわからない言葉を指します。
なので、みんながわかってしまうのでは隠語にならない、みんながその隠語を知ってしまった頃には、新しい隠語が生まれる。
こうして、トイレの呼称はたくさん生まれていったのでしょう。
御手洗も、そのような隠語一つということです。
みたらし団子の由来
だいぶ遠回りしましたが、御手洗の本来の意味は便所ではなく、神社への参詣者が手や口を浄める所だということがわかり、どうやら本来の意味の中に、その由来が隠されているというところまで来ました。
では本題の『なぜ〈みたらし団子〉と呼ぶのか?』という謎に迫ってみましょう。
調べて行くと、京都の下鴨神社で行われる御手洗祭りが密接に関係してるらしい事がわかった。
この御手洗祭りとは、下鴨神社の本殿東側を流れる御手洗川、そして御手洗社があり、7月の土用の丑の日に御手洗池に足を浸けると疫病が祓われるという言い伝えから、参詣人が膝までひたり、無病息災を祈るという行事である。
この神池に足をつけ、燈明をお供えし、御神水を戴くと諸病にかからず、延命長寿の霊験あらたかと言い伝えられており、また、神池からとれた小石は鴨の神石といい、かんむし封じの霊力が昔から信仰されているそうです。
かつては社殿の下に年中つきることのない井泉があり、御手洗川を流れて糺(ただす)の池へ注いでいたが、加茂川改修後の水位低下で水が枯れ、今は祭の日にポンプで水を入れているということで、本当に御利益あるの?って感じではあります。
この御手洗詣での日には、いつしか神社の境内に串団子を売る店が登場し、御手洗詣での名物となり、ついには「御手洗団子」と呼ばれるようになったというのが一般的な由来のようで、その時のものが団子5つを竹串に刺し、醤油のたれで付け焼きにした団子だったと言うことです。
みたらし団子の由来には、もう一つありまして、時は鎌倉時代、後醍醐天皇が行幸の折り、下鴨の御手洗池で水をすくったところ、泡がひとつ浮き、やや間をおいて四つの泡が浮き上がった。
その泡にちなんで指頭大の団子を竹串の先にひとつ、やや間をおいて四つ連ねて団子をさしたのが、御手洗団子の起源となったという説で、昔はこれを一串一束とし、熊笹で扇型に包んだそうです。

僕的には、こっちの説が好きですね、なんか神秘的でロマンチックです。
形は俵型で人体を形代として模したものであり、神道独特のまじない的意味をもち、食べた者の健康を祈願したものだそうです。
現在の団子の形状は、球状に変化しています。
「ちょっと待って、僕の知ってるみたらし団子は団子4つだよ」という方いらっしゃいませんか?
その昔、5粒5文で売っていたのだが、4文銭ができてから、四粒四文にかわった。
これを関東型みたらし団子というらしいです。
結論

この調査をしての感想なのですが、人間知らずに過ごしていることが多いなと改めて思いました。
まさか、みたらし団子一つに、こんな由来があったとは、こんな疑問を持たなければ、一生知らなかったかもしれないし、それを知ったからといってどう変わるわけではありませんが・・・・
えー、結論です。
名前は【みたらし団子】という、便所を連想させるようなネーミングですが

「美味いものは美味い!」
ということです(おいっ!そんな結論でいいのか?)

おまけ

みなさんカメラメーカーで有名なキヤノン(canon)という会社は、ご存じですよね?
精機光学研究所として発足したカメラメーカーで、社名の由来は「観音」で、最初の試作カメラはその名も「KWANNON」だそうです。
このキヤノンの社長の名前が御手洗冨士夫さん。
なので某カメラ店チェーンではトイレのことをキヤノンというらしい。
これぞ、まさに隠語ですよね(笑)
全国の御手洗さん達の怒りと嘆きの声が聞こえてきそうです。