椿姫(Die Kameliendame) 180回目の公演 2005年6月25日(土)
》アレクサンドル・デュマdJの小説によるジョン・ノイマイヤーのバレエ《
音楽 |
フレデリック・ショパン | 振付・演出 | ジョン・ノイマイヤー |
舞台美術・衣裳 | ユルゲン・ローズ |
指揮 |
ヴェロ・ペーン |
ピアノ | フォルカー・バンフィールド、リチャード・ホインス | ハンブルク・シンフォニカー |
プロローグ |
第2幕 |
第1幕 |
第3幕 |
※ ティアゴ・ボーディンが怪我のため、代演
※※ ハンブルク・バレエ学校の生徒
maddieさんにお願いして感想を寄せていただきました。感謝。
以下はmaddieさんの寄稿です。(S)
デ・グリューに予定されていたティアゴ・ボーディン降板で急遽配役が変更になりました。デ・グリューをミュンヘン・バレエのシリル・ピエール、マノンをヘザー・ユルゲンセン(予定ではシルヴィア・アッツォーニ)が踊りました。昨年、原作のイメージそのままの美しいマルグリットにとても感動したので、自由奔放なマノンへの配役は正直意外な気がしました。が、2幕で艶然と「贅沢な生活へ戻りましょう」と誘うようにマルグリットの心に現れるヘザーの表情はまさに「ファム・ファタル」マノンでした。ふとマクミランの「マノン」のヘザーを見てみたいなどと余計なことを考えてしまいました。
アレクサンドル・リアブコは、マルグリットへの恋がすべて、情熱的なアルマンでした。 マルグリットへの情熱ゆえに自らを深く傷つけているような、繊細なサーシャのアルマンは原作のイメージにとてもよく合っていると思いました。 恋と幸福への陶酔から一転して自虐的とも思える復讐へ、の変化は本当にドラマチックでした。
ジョエル・ブーローニュは「華やか・あでやか」と言うより、年上らしくアルマンを包み込むようなやさしさと、いつでも年下の恋人を心から愛おしんでいるような、深い愛を感じました。 「強く」「クールで」「直線的な」イメージと勝手な思い込みをしていたのですが、今回のような柔らかい、いかにも女性らしい役も素敵ですね。
「椿姫」はどのシーンも大好きで、つい感情移入して見てしまいます。今回は2幕が特に印象に残りました。 ムッシュ・デュバルに、アルマンとの暮らしを許して欲しいと必死に懇願しながら、最後にはアルマンの将来を思って身を引く決心をする場面では、マルグリットの心がダイレクトに伝わってくるようでした。対照的にアルマンがあまりにも屈託のない、幸せそのものの表情なので「あ〜、何も知らないのね。可哀想」と思う反面、苛立ちも感じてしまいました。つらい決意の過程を目撃している側としては、どうしてもマルグリットの立場に立ってしまいますね。
死の直前のデ・グリューとマノン、マルグリットのパドトロワからマルグリットの悲しすぎる最期の場面では、一層やりきれない思いを感じました。 マノンの流刑地での死も悲惨には違いありませんが、裏切られてもなお誠実だったデ・グリューが最後までそばにいたのですから。それに比べて…。 アルマンのもとに飛んでいって「あなたはとんでもない誤解をしている」とマルグリットのそばに引っ張って行きたい衝動にかられました(余計なお世話ですが…)。
N伯爵役のヨハン・スティグリはいい雰囲気でとてもよかったです。ドジで要領が悪いけれど人がよさそうで、マルグリットに振られるのは可哀想。私はヨハンのN伯爵に一瞬心和みました。
余談ですがこの日は、発券システムにトラブルであって開演時間が遅れるというハプニングがありました。このあたりの経緯をノイマイヤー自ら説明したのですが、隣に座っていた方が親切に英語に訳してくださって、それをきっかけに「椿姫」の話が弾みました。もう何度も見ているそうで、「見るたびに心を動かされる。本当に感動的な作品だ」と言っていました。この作品に深く愛着を持っていることが言葉の端々に感じられて、心が温かくなりました。
( maddie )