オデュッセイア( Odyssee, Odyssey )  2005年6月26日(日)  53回目の公演

》ホメロスの叙事詩に基づくジョン・ノイマイヤーのバレエ《
ハンブルク州立オペラとアテネのコンサート・ホール、メガロンとの共同制作

音楽

ゲオルゲ・コウロウポス

振付・演出

ジョン・ノイマイヤー

舞台美術・衣裳

ヤニス・ココス

指揮

マーカス・レティネン

演奏 フィルハ−モニッシュ・シュターツオーパー 

オデュッセウス イヴァン・ウルバン
ペネロペイア アンナ・ポリカルポヴァ
テレマコス 服部有吉
女神ーパラス・アテネ ジョエル・ブーローニュ
「彼」戦士、求婚者エウリュマコス、キコネス族の農民、ポリュフェモス(一つ目の巨人)、神ポセイドン カーステン・ユング
カリュプソー へザー・ユルゲンセン
ナウシカー シルヴィア・アッツォーニ
キルケ エレーヌ・ブシェ−

 ラウラ・カッツァニガ と アーニャ・ベーレンド、フィリパ・クック、アンナ・ラウーデール、アンナ・Rabsztyn、ミリアナ・ヴラカリッチ、ディナ・ツァリポヴァ

オデュッセウスの同行者 「彼」 と アントン・アレクサンドロフ、ロリス・ボナーニ、イリ・ブベニチェク、オットー・ブベニチェク、アントニン・コメスタッツ、ピーター・ディングル、エミル・ファスホウトディノフ、ステファーノ・パルミジャーノ、エドウィン・レヴァツォフ、ヨハン・ステグリ
兵士たち シルヴァーノ・バロン、ロリス・ボナーニ、オーカン・ダン、アンドリュー・ホール、ステファノ・パルミジャーノ、ヨハン・ステグリ、コンスタンティン・ツェリコフ
ペネロペイアをとりまく女たち
 エウリュクレイア(オデュッセウスとテレマコスの乳母) ゲイレン・ジョンストン と 
 オデット・ボルヒェルト、ジョージーナ・ブロードハースト、カトリーヌ・デュモン、ステラ・カナトウリ
求婚者たち
 アンティノオス オットー・ブベニチェク
 レイオクリトス イリ・ブベニチェク
 エウリュマコス 「彼」 と
 アントン・アレクサンドロフ、ロリス・ボナーニ、アントニン・コメスタッツ、ピーター・ディングル、ボイコ・ドセフ、エミル・ファスホウトディノフ、ステファノ・パルミジャーノ、エドウィン・レヴァツォフ、ヨハン・ステグリ

パイエスケ人
 ナウシカーの女友達 クリステル・チェンネレッリ、アンナ・ハウレット、大石裕香、リサ・トッド、マリアナ・ザナット−
 アルキノオス(ナウシカーの父) セバスチャン・ティル
 アレーテー(ナウシカーの母) ゲイレン・ジョンストン

 パイエケス人 
 オデット・ボルヒェルト、ジョージーナ・ブロードハ−スト、カトリーヌ・デュモン、ステラ・カナトウリ、イリ−ナ・クロウグリコヴァ
 ホキン・クレスポ・ロペス、オーカン・ダン、アンドリュー・ホール、エドウィン・レヴァツォフ、コンスタンティン・ツェリコフ          
トロイの歌
「戦争」
 イリ・ブベニチェク、オットー・ブベニチェク

オデュッセウスが放浪していたときに出会い、彼が語った人々、民族、生物
キコネス族 
「彼」 と オデット・ボルヒェルト、アリソン・ブルッカ−、マリア・コウソウニ、カロリーナ・マンクーソ、ステファニー・ミンラ−、大石裕香、アンナ・ラブスツィン
ステファン・ブールゴンド、ホアキン・クレスポ・ロペス、オーカン・ダン、アンドリュー・ホール、エドウィン・レヴァツォフ、コンスタンティン・ツェリコフ

看護婦と医者 エレーヌ・ブシェ−、ジョエル・ブーローニュ、ゲイレン・ジョンストン、へザー・ユルゲンセン、アンナ・ポリカルポヴァ
ウラディミル・コシチュ、エドウィン・レヴァツォフ
ライトリューゴネス人 ステファン・ブールゴンド、アントニン・コメスタッツ、エドウィン・レヴァツォフ、

キルケーの女たち オデット・ボルヒェルト、ジョージーナ・ブロードハ−スト、カトリーヌ・デュモン、ステラ・カナトウリ、イリ−ナ・クロウグリコヴァ
セイレーン ラウラ・カッツァニガ、アーニャ・ベーレンド、アンナ・ラウデール
アンティクレイア(オデュッセウスの亡き母) スザンネ・メンク
7体のミイラ アントン・アレクサンドロフ、シルヴァーノ・バロン、ステファン・ブールゴンド、オーカン・ダン、エミル・ファスホウトディノフ、ウラディミル・コシチュ、エドウィン・レヴァツォフ、

神々
ゼウス
 セバスチャン・ティル
ポセイドン カーステン・ユング
ハデス ウラディミル・コシチュ
アテネ ジョエル・ブーローニュ
ヘラ アンナ・ハウレット
アポロ エドウィン・レヴァツォフ
アルテミス シルヴィア・アッツォーニ
アレス エミル・ファスホウトディノフ
へパイストス ピーター・ディングル
ヘスティア ゲイレン・ジョンストン
アフロディーテ エリザベス・ロスカヴィオ
ヘルメス ヨハン・ステグリ



オデュッセイアのストーリーについてはこちらを参照してください。

maddieさんにお願いして感想を書いていただきました。感謝。
以下はmaddieさんの寄稿です。(S)


とても今日的なテーマの作品です。「力の行使が根本的な解決になるのか」が問わることが多い昨今、ノイマイヤーの「オデュッセイア」はとても現実性を持って心に響きました。ギリシャ神話と聞くとなんとなく自分の住む世界とはまったく別の、はるか昔の物語という印象でしたが、戦争と人間の心のかかわり、「復讐の連鎖」などは時代を問わずはるか昔から延々と続く普遍のテーマなのですね。

開演まえから舞台では物語が進行しています。 まず目に入ってくるのは舞台上の中二階風のスペース。そこにはTVが置かれていてCNNのイラク戦争のニュースなどが流されています。神々のすむ天上界いう設定です。開演まえからオリンポスの神々がゆったりした動作で現れます。神々がTV見ている(下界の現実を見ているということだと思います)というシーンが続きます。このシーンを見ていて神々の存在って何なのだろう、人間はただ彼らの意のままに動かされているのだろうか、ふと疑問がわいてきたりもします。このあとオデュッセウスが幼い息子のテレマコスと自転車で遊ぶシーンが続きます。とても短いのですが、明るく心が和むシーンで、私はこの場面がとても好きです。「子供と遊ぶ」のは平和の象徴だと思います。トロイ戦争の英雄といわれるオデュッセウスですが、おそらく家族との平和な生活を望むごく普通の人間であることが、このシーンに凝縮されているように思いました。

原作のオデュッセウスは長い不在の間に屋敷を蹂躙してきた「求婚者たち」を息子のテレマコスと協力して皆殺しにしてめでたし、となっていますね。時代劇や西部劇の最後のシーンのように「胸がすく」場面とも思えるのですが、原作ではこの部分の記述はとても血なまぐさく凄惨です。このように殺された人たちの親戚・子孫はきっとオデュッセウスを恨むことでしょう。これが次の復讐の始まりになったかも知れません。でもバレエでは若いテレマコスがこれを断ち切ってしまいます。「求婚者達」に銃を向けて皆殺しにしようとする父親を必死に止めるのです。服部さん演ずるテレマコスの表情、特に必死に父親を見つめる目が哀しく、戦場の子供達の瞳とダブって心に焼きついています。

テレマコスが去ったあと、オデュッセウスが我に返って自分が「力」の呪縛からまだ自由になってはいなかったことを思い知らされ放心状態になる場面は現実を象徴的にあらわしているように思いました。一度「力」に頼ってしまうとそれに縛られて捨てることは出来なくなる、それと同時に心もどんどん鈍くなって病んでくる、力に頼ることのむなしさに気づくことも難しくなっている… 現実の世界では悪循環に陥っているように思えるのですが、この作品の最後のシーンはとても希望に満ちて明るく救われるような気がしました。たくさんの若者達(全員テレマコスと同じ服装)と一緒にエーゲ海を見つめるオデュッセウスは長い苦難のすえようやく本来の自分に戻ることが出来て心が安らいでいるようでした。

テーマが重くて、ところどころ見ていて「しんどいな」と感じる場面もあるのですが、エーゲ海の風や海の香り、潮騒が聞こえてくるようなフィナーレには明るい希望が感じられて、「この作品を見てよかったな」という気持ちになりました。多分見る回数を重ねるたびに新しい発見があって、感動の度合いも増していくのだろうと思います。また近いうちに見る機会があるといいのですが…。
( maddie )