What I have seen... in 2004
盤上の敵 8月21日(土) シアター・ドラマシティ(大阪) 第6、7回目の公演
原作 | 北村薫 『盤上の敵』(講談社刊) | 作曲 | 宮川彬良 |
演出・振付 | 上島ヴァージョン:上島雪夫 服部ヴァージョン・フィナーレ:服部有吉 |
ピアノ | 宮川彬良 | ヴァイオリン | 森由利子 |
チェロ | 山本裕康 | パーカッション | 中村裕子 |
美術 | 島次郎 | 照明 | 小笠原純 | 舞台監督 | 北条孝 |
衣裳 | 千佳(上島ヴァージョン) | 堂本教子(服部ヴァージョン) |
白のキング 西島千博 黒のキング 遠藤康行 白のクイーン 藤井美帆 黒のクイーン 平山素子 白のダンサー 平野亮一、張縁叡※ 黒のダンサー 森山開次、佐藤洋介 プロローグ Scene 1 盤上の敵 モノローグ Scene 2 白のクイーン Scene 3 白のキング(出会い) Scene 4 乱入 モノローグ Scene 5 黒のクイーン(二人) Scene 6 黒のキング モノローグ Scene 7 再会 Scene 8 決意(盤上の敵2) Scene 9 盤上の敵 モノローグ Scene 10 白い殺意 Scene 11 埋葬 Scene 12 波音(白のクイーン) モノローグ Scene 13 レクイエム Scene 14 白い世界へ |
服部有吉 ヨハン・ステグリ エレーヌ・ブシェ− ゲイレン・ジョンストン Scene 1 Prolog プロローグ ゲイレン・ジョンストン、ヨハン・ステグリ Scene 2 Freund 友達 エレーヌ・ブシェ−、ゲイレン・ジョンストン Scene 3 Hassliebe 愛憎 エレーヌ・ブシェ−、ゲイレン・ジョンストン、 ヨハン・ステグリ Scene 4 Zerbrochen こわれた心 エレーヌ・ブシェ−、服部有吉 Scene 5 Kampf 戦い エレーヌ・ブシェ−、ゲイレン・ジョンストン、 ヨハン・ステグリ、服部有吉 Scene 6 Anfang 始まり エレーヌ・ブシェ−、ゲイレン・ジョンストン、 ヨハン・ステグリ、服部有吉 |
※叡という字は当て字で右の又はありません。
服部ヴァージョンでは、服部有吉が白の男性、ヨハン・ステグリが黒の男性、エレーヌ・ブシェ−が白の女性、ゲイレン・ジョンストンが黒の女性でした。
服部・ヴァージョンはコンセプトがきちっと伝わる作品になっていて、そして作品として完成していた。
最初のシーンの美しさ! 白にも黒にも染まっていない純粋な美しさ。でもそれがいつか黒の双葉に育っていくことを予感さえさせない美しさ。
Scene2の最初は熊の太鼓を叩くぬいぐるみが舞台でカシャカシャしているところから始まります。思わず客席からくすくす笑いが。そしてその時間に疑問を感じてこれはなんだろうと、思わせる間のとり方!そして白の女性の登場。純粋さ、無邪気さ。彼女の愛はそのぬいぐるみに一心に向かう。それを通りすがりの黒の女性が何度も何度も目にする。黒の女性は誰もいないときはそのぬいぐるみに微笑みかけ、またそうすることによって黒い心の中に白い心が存在することを明らかにする。しかしそれは、白の女性が持っているものに対する嫉妬、憎しみに変わっていく。
Scene3は、黒の男性を巻き込んで黒の女性は白の女性を攻撃する。
Scene4は、白い女性の壊れた心を客席から登場した白い男性が癒す。
Scene5は、再び登場した黒の女性と黒の男性が白の女性を攻撃するが、白い女性の白いドレスや顔は黒く汚れたものになり黒の女性・男性に対決する。また白の男性も女性を守るために戦う。そしてこのシーンで4人が同じ振りで踊ることの必然。戦うことに対しては白も黒もないということ。そして近づいてくる黒の女性・男性に、白の女性はついに黒い双葉を引き抜き、黒の女性・男性は倒れるが、同時に白い女性の心は完全に壊れ、外界にたいして心を閉ざしてしまう。
Scene6は、白い伸縮自在の布に黒い女性と男性が閉じ込められ、もがいています。ここで、黒い心とは決して他者ではなく、自分の中に内包しているものであることがわかります。そしてそれを殺すことは自分自身を殺すことでもあること。そして殺した記憶は残り、殺したということで終わったものではないということ。黒い心は白い心の中に内包されてそれは決してなくなってしまったものではないこと。白い男性は白い女性の心を取り戻そうとして全身を投げ打って踊ります。この白い男性の踊りの凄さが白い女性がいかに絶望的な状況にあるかを物語っているように思います。そして白い女性の心は徐々に開いていき、最後に白い双葉に水をかけて育てることにより黒い心は完全に消え去り、白い女性の心が癒されてきます。
これらを服部有吉は振付を通して納得させてくれた。
最初の純粋な萌芽が黒い双葉に育っていくところが少し唐突かとも思いました。が何度も書くようですが、このシーンの美しさは心に染み入ります。このシーンだけを内容を膨らませ小品にまとめてもらいたいと思わせます。
熊のぬいぐるみの登場も面白い。白い女性が持って出てもよさそうなものなのにステージ上に置いて観客の心を和ませ、そしてそれに疑問を抱かせるような時間の取り方。凄いです。そして誰もいないところで黒の女性がぬいぐるみにたいして純粋に微笑みかけることにより、黒い心にも白い心があるのだという認識のさせ方。
戦いには白も黒も無いということが、4人の同じ振付を通して語られる。
伸縮自在の布の中に黒の二人の姿が浮かび上がるところは、アヴァカノヴィッチの作品や香月泰男の絵を連想させました。死がその形体を残し、語りかけてくる、というイメージです。
少し残念なことは、大阪公演では、舞台手前の双葉が少し見えずらくて、最後の大事なシーンなのでできればステージに応じて改善する余地があるかな、と思いました(ぬいぐるみを埋葬するシーンも含めて)。
思わず、有吉さんにプロの作品ですね、といってしまいました。もちろん芸術作品としての完成度もありますが、ユーモア感覚を織り込めながら作品の緩急のリズムのよさ。
これをハンブルクでの仕事に加えて・・・と思うと脱帽です。常に真剣に対峙することの大切さ。わかってはいるのだけれど日常に流されていく時間。有吉さんにいろいろ教えてもらいました。
いい作品を観た後の充実感、喜びで充たされています。
原作者の北村薫氏は終演後(東京公演)服部有吉氏に会われたそうです。とても喜んでいらしたそうです。
再演を強く強く熱望します。
それに付け加えて、今回の公演のもうひとつの喜びは森山開次というダンサーを知ったことです。
(2004年8月26日 S)
追記
服部ヴァージョンで登場する双葉のことが気にかかって、いろいろ問い合わせてみました。
> 盤上の敵・服部ヴァージョンのほうの双葉のことですがいつ舞台上にでてきたのですか?
プロローグで2人が前面に出で来て、しゃがんで前面の土に種を植えるのです。
そして2人は左右に去り、明かりが絞られてそこへ芽が出て双葉になるのです。
ここの双葉になる時の明かりが消えるのが大阪では早かったように思います。
そして暗転となり、熊の人形が現れるのです。
>それと双葉の大きさは最初から最後まで同じ大きさだったのでしょうか。最初のシーンに気をとられていたのと座っている席からは見えずらくて。
同じ大きさでした。
場所の問題はあるでしょうね。この振付家は前面を使うのが好きのようですが、次回、ダンサーでなく作品をつくる時には、その辺きっと理解する事でしょう。
(2004年9月3日 S)
新聞評
8月24日(火)読売新聞、夕刊・東京版(一部)より by 祐成 秀樹
世界的振付家のジョン・ノイマイヤー率いるハンブルク・バレエ団のソリスト、服部有吉が鮮烈な日本デビューを果たした。北村薫のミステリー小説「盤上の敵」を自ら振り付け、バレエ団の同僚三人と踊った。
原作では、殺人犯に妻を人質に取られた夫が奪回するための策略を巡らすうちに、心に傷を持つ妻の過去が浮かび上がる。服部は、妻(エレーヌ・ブシェ−)の「白い心」が邪悪な男女(ヨハン・ステグリ、ゲイレン・ジョンストン)の「黒い心」に傷つけられるという関係性に焦点を絞り、感情を掘り下げた。
前半は妻の記憶をあぶり出す。少女がクマの人形で遊んでいると同級生が現れる。二人は戯れるように踊るが、同級生はいらだちをあらわにし、人形の首をむしり取る。やがて黒衣の男性が加わって踊りの強さが増していき・・・。
服部は、少女の閉ざされた心を破るように客席から舞台に駆け上がる。一瞬、「子供か?」と思うほど小柄だが、四肢をめいっぱい伸ばした跳躍が暗黒の舞台に一筋の光をもたらす。続いて少女の顔を眺め、そっと抱くというしぐさを加えた優しい踊りで心を癒す。そして、原作の人質奪回に相当する白と黒の決戦を経て、夫はさらに傷ついた妻と対面し、愛で包もうとするが・・・。
服部の振り付けは、バレエの技術に日常的なしぐさや象徴的なポーズを取り込み、さらに床面をはい回り、倒立するなど様々な動きのアイデアを動員してスピーディーに展開する。想像力を刺激するダンスの数々と、物語の核心に迫る構成力の相乗効果で感動を呼んだ。まだ二十三歳。今後の活躍が楽しみだ。(14日、東京・青山劇場)
(S)
Dancing through a mystery in black and white(By Zai Sethna) from Daily Yomiuri on 8 Aug.
It's cetainly not unheard of in the dance world for different choreographers
to give different spins to adaptations of classic works of fiction, but
Banjo no Teki may be the first to pair up two completely different adaptations of the
same work in a single production.
Based on a mystery novel of the same name by Kaoru Kitamura, the
production is the brainchild of Theatre Drama City, which had the smarts
to hire two completely different choreographers-Yukichi Hattori and Yukio
Ueshima-to bring their visions to the work. While Hattori, best known as
a prodigious soloist of the Hamburg Ballet Company, approaches his work
from a very thematic perspective, Ueshima incorporates narratives into
even the most complex of his works.
It may be surprising to learn, however, that it was the 23-year-old
Hattori, who only recently branched into choreography, who selected the
work to base the production on and not the far more experianced Ueshima.
"(Theatre Drama City) asked me to create a ballet piece based on a written work, and I just happened to have Banjo no Teki with me at the time," Hattori said, "I started reading it, keeping
in mind that I was going to adapt it for the stage, and images and structural
ideas immediately began popping up in my head."
This seemingly random choice turned out to be quite inspired Kitamura
sets up the story-in which a man tries to negotiate for release of his
wife with the man holding her hostage-like a game of chess, with the four
main characters(one is integral to a twist that comes in later) represented
as the two queens and kings.
The husband and wife represented "white," but as the story
moves along, the line between who represents which color becomes blurred-in
fact, the book's shocking finale has reportedly made many readers feel
very uncomfortable.
This is, in fact, exactly the kind of moral ambiguity that Hattori
has explored often in his dancework, including his acclaimed turn as Stanislav
in the Hamburg Ballet's production of Nijinsky. "Your 'color' being different has to do with how you live your life
and how you look at the things around you," Hattori says, "It
has nothing to do with good and evil. That is something the people around
you decide on."
He added the book made him come to the conclusion that, if observed
objectively, even an act like murder is nothing but a choice, and it being
labeled as good or evil is simply a result of that action.
"For example, say you were bullied a lot or one of your parents
was killed by someone else. That creates the possibility that you might
kill the perpetrator. Everyone is capable of becoming 'black,' so why do
we judge people simply based on these actions?"
Hattori and three of his friends from thr Hamburg Ballet who are
participating with the blessings of the company-will each play one of the
characters, but only symbolically, to express what he believes are the
themes of the story.
In contrast, Ueshima has challenged himself to re-create the narrative
of the book through dance.
"Each chapter of the book begins with something like, 'The black
king makes his move,' or 'The white queen does such and such,' and that
made me realize the story's played out like a big chess game," he
said. "So I'll have the dancers representing by the characters try
to take over each other's space to show which side is winning . But as
two sides continue to attempt to seize space from each other, they end
up winning nothing."
He added that the two sides would be represented by the dance forms
he believes symbolizes them. For example, the white queen will be played
by an elegant ballet dancer, while the black queen will be played by a
less stylized comtemporary dancer.
But Ueshima's unique style, created natural progression from his
studying many differenrt dance forms without sticking to a sigle one, will
quite possibly lead to something more.
"I think it would be interesting to have these dance forms blend
with each other toward the end of the story," he said. "Yukichi
said about the book, in the end, everything's gray. That's exactly it.
White and Black repeatedly attack each other, and by the end they've blended
into each other into a gray."
Despite not nothing discussed their approaches in detail to each
other, the two choreographers have come up with works that are remarkably
similar. Hattori himself remarked that he was surprised when watching Ueshima's
dancers rehearse that some of the movements and themes expressed were very
similar to that of his own piece.
In accordance with the theme of the production, the two pieces have
been separated into White(Hattori's) and Black(Ueshima's). This could just
be a marketing ploy, but more likely than not, it's a way to drive home
the point that in dance, or art for that matter, there is no right or wrong
approach to adapting a particular subject, because the best works resound
with the same universal truths.
(S)
白と黒のミステリーをダンスに(上記記事の翻訳) by Zai Sethna
二人の振付家が定評のある小説を異なった解釈で脚色して作品を創るというのは、ダンスの世界では前代未聞だが、“盤上の敵”は1回の上演で同じ作品に対して全く異なった脚色で一対の作品として仕上げた初めての試みになるかもしれない。
北村薫の同上のミステリー小説を基に、制作はシアター・ドラマ・シティーの企画から始まった。シアター・ドラマ・シティーは創作を二人の全く異なった振付家ー服部有吉と上島雪夫ーに依頼するには苦悩があっただろうが、二人の振付家は作品に彼らの考え方を反映させた。服部はハンブルク・バレエの非凡なソリストとして知られているが、彼はまさにテーマを見据えて作品にアプローチしていった。一方、上島は非常に複雑な作品に物語性を組み入れた。
しかしながら制作の基になる作品を選んだのは、ごく最近振付を始めたにもかかわらず、23歳の服部であって、ずっと経験を積んでいる上島でないのにはびっくりさせられるかもしれない。
「(シアター・ドラマ・シティーから)私に何か書かれた作品を基にしたバレエ作品を創るように依頼がありました。私はちょうどその時たまたま“盤上の敵”を手にしていたので、それをステージ用に脚色することを心に留めながら読み始めました。そしてイメージや構成のアイデアがすぐ頭の中に浮かび始めたのです。」と、服部は言った。
このことは原作が無造作に選ばれたようには見えるが、北村が作り上げた物語にきわめて触発されていることがわかる。物語の中で一人の男が人質になっている妻を助けようとして犯人の男と交渉するのだが、主な登場人物は4人いて(うち一人は後で明らかになる物語のねじれの鍵となる)、チェスのゲームのように2人のクイーンと2人のキングを象徴している。
夫と妻は“白”を象徴しているが、物語が進んでいくとそれぞれの色を象徴している人々の間の境界線ははっきりしなくなる。実際、ショッキングな物語の終わり方には多くの読者がとても後味の悪さを感じさせられるそうだ。
これは、実際、服部がダンス作品の中で探求してきたしてきた、まさに一種の精神の不安定さなのだ。それはハンブルク・バレエの“ニジンスキー”のスタニスラフで絶賛された演技に見られる。「あなたの“色”が他と違っているということはあなたの周りのものをあなたがどのように見るか、また人生をどのように生きるかということに係わっていなければなりません。」と服部は言った。さらに「それは善とも悪とも何の関係もありません。それはあなたの周りの人たちが決めることなのです。」と続けた。
彼はその本を読んである結論に至ったと付け加えたー客観的に観ると、殺人のような行動でさえ選べるのだ。そして善・悪のラベルを貼るのは単にその行動の結果なのだ。
「例えばあなたが誰かにひどくいじめられたり、あなたの両親のどちらかが殺されたとします。そのことであなたがその犯人を殺すかもしれないという可能性が生じます。誰もが“黒”になる可能性があるのです。だからなぜ私たちは人々を単にこれらの行動を基に裁くのでしょうか?」
服部と彼の友人三人はハンブルク・バレエ団所属で、バレエ団の許可をもらってこの公演に参加している。それぞれが登場人物の一人を踊るが、象徴的には服部がこの物語のテーマと考えていることを表現している。
これとは対照的に上島はダンスを通して原作の物語を再構築することに挑んでいる。
「原作の各章は、『黒のキングが動く』とか『白のクイーンはこんなことやそんなことをする』という風に始まっています。それでわたしは物語がビッグなチェス・ゲームのように突き進んでいくのだとわかりました。」と彼は言った。「そこでどちらの側が勝っているかを示すのに、お互いの空間を占領しようとするダンサーが必要です。しかし相方ともお互いに空間を占領しようとし続けますが、何も得ずに終わるのです。」
彼は二つの面を異なったダンスの様式に象徴させて表現しようと思っていると、付け加えた。例えば白のクイーンは優雅なバレエ・ダンサーに踊らせる一方で、黒のクイーンはより様式化されていないコンテンポラリー・ダンサーに踊らせる、ということです。
ところで上島は一つのスタイルに固執することなく様々なダンスの様式を学んできており、その結果自然に身に付けた彼のユニークなスタイルは、それ以上の何かをもたらす可能性を持っている。
「物語が終わりに向かって、これらのダンスの様式が互いに交じり合っていくようにするのは面白いと思います。」と、彼は言った。続けて「有吉は原作について、最後はすべては灰色になる、と言いました。まさにそこです。白と黒はお互い繰り返し攻撃します。そして最後には彼らはお互いに交じり合って灰色になるのです。」
お互いに詳細にアプローチの仕方を話し合わなかったにもかかわらず、二人の振付家は極めて似通った作品を創り上げた。服部は上島のダンサーたちのリハーサルを見たときに動きやテーマの中に彼自身の作品と極めて似ているところがあるので驚いたと言った。上演のテーマに合わせて、二つの作品は白(服部)、黒(上島)のヴァージョンに分かれている。これはPR活動の戦略にすぎないしそれ以上でもないが、それはある主題を脚色するときに正しいアプローチだとか間違っているアプローチというものはダンスや芸術の世界に関する限りではないのだ、ということをよく理解させてくれる方法だ。というのも優れた作品というのは同じ普遍的な真実を奏でるからだ。
(S.一部訂正9.14 Nさんアドヴァイスありがとう)
注) 最後の段落にある 二つの作品は白(服部)、黒(上島)のヴァージョン というところは記者の勘違いで
二つの作品は白(上島)、黒(服部)のヴァージョン と推察される。(S)
バッカス(2004年 冬 2号)より
心理描写が緻密な服部有吉のバレエ(一部) by 橋口けい
・・・北村薫原作のミステリー小説をもとにした『盤上の敵』は、宮川彬良作曲・演奏によるオリジナル曲を用いてふたつのバージョンを同時上演するという風変わりな試みだ。自宅に立てこもった殺人犯からいかに妻を救出するか、主人公が策を練るうちに封印されていた妻の心の傷が悪意を持った友人の登場によって再び暴かれる、というストーリーを服部はことさら追うことはせず、四人の登場人物の関係性と心理描写に的を絞った緻密な演出で、簡潔ながら本格的なドラマ・バレエを作り上げることに成功した。全六場からなる舞台は、まずゲイレン・ジョンストン、ヨハン・ステグリの男女の本質的な愛のデュエットによるプロローグで幕を開ける。二人は悪の象徴として登場する人物だが、本来人間には善と悪との両面が内在するという、そのさまざまな感情や欲望をはらんだ素の状態が描かれていて印象的である。舞台はそこから一気に妻(エレン・ブシェー)の過去に遡る。熊のぬいぐるみを抱えた少女、そこに現れた友人は、はじめは仲良さそうに戯れるが次第にいらだちを顕にし、やがてぬいぐるみの首をむしり取るなど、攻撃をはじめる。友人の悪意は、黒衣の男が加わってよりいっそう残忍な行為となる。心を閉ざした少女のもとに駆けつける少年(服部有吉)は、優しいしぐさと表情で少女の心を解きほぐしていく。客席から舞台に駆け上がる小柄な身体が一瞬弾けてはっとする。柔軟な身のこなし、だがそれ以上に閉ざされた世界の扉を開ける光のような輝きが感じられる瞬間であった。やがて二人のもとに先の悪意を持った男女二人が襲い掛かる。四人入り乱れての闘いは壮絶だ。終結のときを迎え、さらに傷ついた妻が舞台前方に置かれた植物に水を与えるしぐさ、それを背後から見守る主人公の優しさが再生への希望を伝えて心憎い幕切れであった。・・・