母、家族の思い出について



まだまだ、色々な意味で整理が付いていないかもしれないが、一応区切りと言うことで。
7年前に母が亡くなった。お風呂で亡くなっていた。朝起きたらいなかった。
すぐ、親戚に連絡をして、救急の人に来てもらったが、やはりもう亡くなっていた。
警察の方も見えられた。僕はびっくりする間もなく、ただただ、時間の流れる方向に身を任せるしかなかった。
父もその前年に亡くなっている。こういうのは絶対慣れるということはない。
ただただ、苦しい。お葬式も済ませた。実は他のお葬式が続いていたので、お葬式の時間に余裕がない。
だからあまり母の顔はあまり見ていない。
今回からは母がいないので、お金の管理も、色々な準備も僕一人でやらなくてはいけない。
さびしがってる暇なんてない。すぐ、49日の法要。お返しも準備した。とりあえず、少し休むことができた。
母が亡くなって、大変だから、民宿の協会を休ませてもらえないかと頼んでみた。
そういうことはできないと言われた。結局やるしかない。民宿をしながら、相当頑張って、いろいろやった。
稼ぎなんて、殆どない。経費が相当掛かる。正直いつまで、出来るかだ。
でも、相談する人がいて、続けたほうが良いと言われて、赤字だけれど、頑張った。
それから、100ヵ日、新盆の法要。親父の法要も重なった。とにかく、やるしかない。
でも、最後にいた祖母がまだ生きていたので、施設に会いに行けた。
いるだけどれだけいいか。
でも、その祖母も次の年の2月に亡くなった。
本当に家にいるのは僕だけになった。
すぐ、お葬式。法要。多分つつがなく出来たと思う。
一生懸命やった。
それからは、母が残してくれた貯金を上手に使いながらやっていこうと思った。
まず、屋根雪だ。一人では絶対無理。
だから、とさかみたいなやつを屋根に取り付けることにした。
2箇所有った。良心的な値段でやってくれた。
母が親切にしていたおかげ。
母さんが亡くなってから、本格的に神棚や仏壇のお供えをきっちりやろうと決めた。
一日も欠かしていない。
それから、プラマードと言う障子窓の代わりになるものを頑張って付けた。
これが、結構掛かる。相当なお金が掛かった。でも、2階のあれだけの量の障子を張り替えるのは無理。
で、家の周りを見ると、超乱雑にゴミと言うか不要なものが本当にたくさんあった。
それも、少しずつ片付けようと思ったが、そんなに一気には出来ない。
まず、小屋を見切りをつけて、片付けた。これも、大変なお金。
でも、やりたい。やらなきゃ。農機具小屋の不要な物も処分した。
そんな中、年2回の山形の旅行が楽しみになった。
それを張り合いにして、民宿の仕事を乗り切った。
冬の素泊まりのお客様は意外に大変です。
お金もそうだけれど、経費とかはフルに泊めているときと変わりません。
でも、相談するとやったほうがいいと言うので、やるしかない。
その内、NHKの人が来て、受信料の季節契約の見直しをさせられた。
いままで、4万円くらいだったのが、一気に8万円以上になった。
正直冬の稼ぎ吹っ飛ぶ。
夏の草刈りも半端ない。結局僕がやらなきゃいけないところが一杯有って、
本当にやりたいところがやることが出来なかった。
忙しかった。4日は十分に掛かる。
片付けも年々進み、やっと本年(2016)の8月26日に片付いた。
母さんが亡くなってから、7年以上掛かった。
でも、やっぱり、年月というのは凄いものだ。色々整理が着いてくる。
気持ちも本当に晴れやかな気持ちに変化していた。
あの重苦しい気持ちはどこかへ消えていた。
母さん、十分やったかな?安心できるかな?
これは、精一杯の母と家族へのお返しの気持ちです。