スキーについて



スキーを初めて履いたのが、保育園のころかな。何か、保育園の屋根の雪が落ちた所が少し坂になっていたので、
そこで、スキーをした。後、自宅のやはり屋根雪が溜まったところが、少し坂だったので、そこで、ピューと滑っていた。
小学校に入ると、本格的なスキーをやりだす。学校でもスキー教室や学校裏でのスキーがあったので、そこそこには
滑られるようにはなっていた。小学校低学年では、そんなにスキーの板の質にこだわるはずも無く、小学校2年の時かな、
西沢のグラスファイバーというのを使った板があって、それを親父が買ってくれた。所が、この板ちょっと不良品だったため、
僕は気に入っていたのだが、親父がこれはだめだといって、違う板を持ってきてくれた。所がこの板175cmもあったんだ
よね。長すぎて回せませんでした。バインディングが当時ワンタッチという名前で売っていた、ステップインだった。
設定がまずかったらしく、本当に良く外れた。こけまくった。あまりに外れるので、親父に言ったらマーカーのM4という
のに変えてくれた。これが、非常によくて、外れないし快適なので、お気に入りのビンディングになった。靴はまだ登山靴と
同じ皮製のものだった。小学校4年になると、スキークラブに入って、レースをやった。板はヤマハのRacerという、安いもの。
ビンディングはM4の黒い普通のタイプ。ブーツがイタリアのサンジョルジョとか言う安いもの。レースの結果はさほどではなく、
ごく普通にやってた。小学校5年の時は、西沢のフォーミュラの二星の安いのを履いてた。これ、板の裏のプラスティックが
珍しく透明なのが誇らしかった。小学校6年になって、珍しく欲しくなった板、ミズノのブルーインパルスのプラズマレーサーと
いうのを買ってもらった。嬉しかった。ブーツがダイナフィットの安いものを買ってもらった。これ、柔らかくてとてもよかった。
中学校になって、スキー部に一時期入ったけど、何かあわなくて、やめてしまった。体もきつかったしね。中学校のときは
あまりスキーには熱中しなかった。高校に入って、スキー教室があって、何故か母は板のお金を出してくれた。
お金に厳しい母にしては珍しいことだ。
あとは、大学に入って、すぐ中退して、戻ってくると、スキーバブルの頃。何故か僕もスキーがやりたくて、
板やブーツを買ったりした。その時に買ったのが、ロシニョールの7Gケプラーという、GS競技用の板。
これは、素晴らしい板だった。高速安定、最近のすべりにも何とか対応すると言う、本当にコントロールが楽な板だった。
板自体は柔らかめで、よくしなった。7Sと言う、SL競技用の板も買った。反応が素晴らしかった。僕にはぴったんこだった。
それからは、スキーがあまり面白くなくなり、親父が亡くなったこともあって、最近はずっと行ってない。
スキー場に行っても、親父がいないスキー場なんて、灯かりのついていない我が家みたいなものだ。
昭和の香りがあったころ、スキーは花盛りだったかもしれない。
でも、またスキーも復活するでしょう。楽しいスポーツであることには、変わりは無いのだから。