百聞は一見に如かず




   失われたものをかぞえるよりも

 「失われたものをかぞえるよりも、残されたものをかぞえよう」この言葉は障害者自身はもちろんそれをとりまく家族ならびに社会の方々に十分理解していただきたいものです。「目は口ほどにものを言い」とか「目は知識の窓、心の窓」とも呼ばれています。このだいじな感覚を失うと、まったく能力を失ったかのように思いがちです。しかし視覚の障害は身体の一部の障害であり、すべてではないのです。

 スコット・アレンという学者はリハビリテーションとは「障害者に潜在的能力を自覚させ、みずからの可能性を主体的に追求できる手段をそなえるようにしてやることである」と言っています。障害者は憐れみや同情を求めてはおりません。たくましく自分の力で立ち上がるのをじっと見守る“愛の目”と立ち上がれる手段をこうじてくれる“その手”を求めているのです。


   全国の視覚障害者の数は

 身体障害者福祉法でいう身体障害者手帳をもっている視覚障害者は、昭和55年の厚生省の実態調査によれば、18才以上の者が35万人おります。そして、それらの人の中で約半数の17万5千人は、まったく見えないか、あるいは、両眼の視力の和が0.04以下の重度の視覚障害者であり、60才以上の高齢の視覚障害者は21万5千人で、総数の61.4パーセントにあたります。また、視覚障害の上に聴覚、肢体、あるいは、内部疾患を合わせ持つ重複障害者の数も決して少なくありません。なお、視覚に重度の障害を持つ者は世界で約2千万人いると言われています。


   指先が目である

 視覚の優位性ということが言われるように視覚は人間の生活にとって、もっともだいじな感覚であることはいうまでもありません。あらゆる感覚のコンダクターとしての役割をはたしていた視覚がなくなるとそのほかの感覚は一時的にはバラバラとなり混乱してきわめて不安定な心理状態に追い込まれるものです。しかし訓練により、また障害者自身の努力により閉ざされた扉は開かれてくるものです。

 「百聞は一見に如かず(Seeing is believing)」と言いますが、見えない人は「百聞は一触に如かず(Touching is believing)」です。点字を読み、あらゆる物に触れることによって、その世界が広がるのです。指先は見えない者の目です。この鋭い指先の目はたんなるものの表面だけではなく奥深い真理まで探求していくものです。


   限りない世界

 目の見える人がちょっと目をとじたとき、そこに広がる暗い世界が見えない人の世界のすべてではありません。しかし、見えない人は命のある限りこの世界が続くわけです。茜雲の空も、流れ行くしら雲のすがたも見えません。しかしまた杖の音の響きに空の広がりを知り、窓ガラスの冷たさに夜明けを知る、そしてほのかな花のかおりに季節の変化を感じる感覚の世界があります。多くの物に触れてその形を知り、その色をたずね、美しい世界を心の中に描き出しています。

 見えない人々は限りない感覚の世界を求め、明日へのひかりに向かってひたすらに努力を続けています。


   初めて会った時には

 見えない人に初めて会った時には、軽く握手をしていただけませんか。握手されると相手がどの方向にいるか、また背の高さがどのくらいであるかなどすぐわかります。それのみか親近感もわいてきます。握手によって、見当違いの方向を向いて話しかけるような失敗は避けられるわけです。

 なお、その際に、わたしは「奉仕者の○○です」というように声をかけてほしいものです。


   椅子をすすめる場合は

 見えない人が椅子にかけようとすると、うしろから両肩をおさえるようにしたり、腕をかかえるようにしてくれる人もありますがじつに困ります。

 見えなくても椅子には十分にかけられます。ただ椅子の位置と方向がわかればよいわけです。したがってちょっと手を椅子の背に触れさせてくれればよいのです。

 人の前であまりにオーバーなサービスをすることはいたずらに障害者を無能に見せる結果となり、人格を傷つけることになります。人まえでのスマートな身体の動きは盲人の品位を高めるためにもたいせつなことです。

 なお、また椅子にかけた場合、前にあるテーブルなどに手を添えていただくとその高さがわかってよいのです。


   お茶などをすすめる場合は

 お茶やコーヒーなどが出された場合は、ちょっと手を添えさせてくれると安心して飲むことができます。どこにあるのか、などと思いながら手さぐりで探すようなみっともないことはしなくてすみます。「6時のところに置きますよ」などと言ってお茶を出してくださる人もありますが、時計の位置で知らせてくれるのもよい方法の一つです。

 最初はお茶を右の前に置いてくれたのに、お茶を入れかえた時、位置をかえて左の前に置かれるのはもっとも困ることです。右の前にあるものと思い、うっかり手を出しこぼすような失敗をしてしまいます。こうしたことはお茶に限らず位置を決めて置いてあるものはつねに同じ位置に置くように配慮してほしいものです。



   席をはずす時には

 部屋の中で2,3人で話し合っている時に○○さんと声をかけると「席をはずしていません」などと言われて不快な思いをすることがしばしばあります。狭い部屋などでは人の動く気配は見えなくてもよくわかりますが、夢中で話をしているとつい気が付かず、いなくなった人を呼んでしまうことになります。「ちょっと席をはずしますから」とひと声、声をかけてほしいものです。

 こうしたことは部屋の中ばかりではありません。路上で、話しかけられたので立ち止まり、話し出すといつの間にかいなくなってしまい、ひとり言を言っているような滑稽な状態になり、いやな思いをすることがあります。こんな時には「急ぎますから失礼します」と言ってくれるとよいと思います。


  物の位置はどのようにして

 テーブルの上にいろいろな物がならべてある時など、どれがなんであるか見当がつかず困る場合がしばしばあります。こんな時、時計の文字盤の位置で知らせてもらえると判断しながら安心して手が出せるわけです。たとえば3時のところにグラスがあります。6時のところにむらさきが、9時のところにおさしみが、そして12時のところに酢のものが、というように説明してほしいものです。「そこにあります」などという言葉はそこがどこであるか、わかりませんので絶対に使われては困ります。

 部屋の中や室外の場合も同じことです。今立っているところを中心にして前へなん歩とか、左へなん歩、あるいは右へなん歩というように知らせてください。


   食事の際は

 食事はみんなで楽しくしたいものです。頼みもしないのに食べ物をつぎつぎに取ってくれるような親切は見えない人にとってはまことに不愉快なものです。時計の方角であらかじめ食べ物の種類や位置をおしえてくれれば自分で好きな物を自由に食べられるわけです。

 なお、器などにそっと手を触れさせてくれると、形や大きさなどもわかります。そのほか色や模様などを説明してもらうとよりいっそう楽しい食事になるものです。


  危ない物を渡す場合は

 ナイフのような物を渡してくれる場合は安全な柄の部分をつかませてください。そして反対の手に刃の背中の部分をおしえて下さい。そうすることによってナイフの向きや長さもわかり、けがをするようなことは避けられます。

 また熱いお湯の入った湯わかしなどを渡してくれる場合は持つところがわかるようにしてくれると同時に、湯の出る口の位置をおしえてください。そうすれば湯わかしを受け取った時に間違って足に熱い湯をこぼすようなことは避けられます。


  マッチや電話などは

 見えない人がタバコを吸おうとしたり、電話をかけようとすると「サァ、どうぞ…」などとマッチやライターの火を、くわえているタバコのそばにもってきてつけようとする人や、電話などもすぐダイヤルを回してくれる人がいますがこれは望ましいことではありません。タバコの先とマッチの炎がうまく合わず鼻先やまつ毛などを焼いてしまう場合があり、親切があだになることもあります。

 見えない人の多くは日常の生活動作の訓練を受けたり、生活の中でなるべく自分のできることは自分自身でやるように努力していますので、頼まれない限りはマッチを手に渡すか、電話などは位置だけをおしえてほしいものです。




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