ヒースが、盲導犬としての大役を終えて、私どものもとを去って行ったのは、忘れもしない信州に、早い秋の気配の訪れが感じられる去年の8月下旬のある日のことでした。 ヒースがアイメイト協会の指導員に伴われて、我が家の玄関を後にするとき私は、もう、二度とヒースと会うこともないだろうと諦めていました。 ヒースが我が家にやって来たとき、盲導犬としてはこれが最後の犬になろうと思い、私はヒースを叱ったりする気にはなれませんでした。10年余我が家の家族の一員として寝食を共にしてきただけに、ヒースが去った日を1日として忘れたことはありませんでした。家内は私以上にその思いは強かったと思います。 ヒースはアイメイト協会には十日くらい居ただけで、東京の盲導犬飼育社のS様ご夫妻に預けられたと後で知りました。 今年に入って、あるテレビ局で、盲導犬のリタイア犬の里帰りのシーンを取材したいと、アイメイト協会へ問い合わせがあって、ヒースに白羽の矢がたっている旨のS様ご夫妻より電話がありました。多分2、3月だったと思います。 4月になって取材日が5月の9日と決まりました。まさか、再びヒースと会えるとは夢にも思ってもいませんでしたので、朗報を聞いたときは、嬉しさのあまり言葉も出ませんでした。 まだ、一ヶ月も先のことなのに、今からその日が待たれてなりませんでした。当日道中に事故でもなければよいが、と余計な心配をしました。 今日は、ヒースが我が家を去って初めて再会する日です。朝から仕事をしていても、何となく気持ちが落ち着きません。それでも、午前中は治療の合間に掃除や片付け物をして、午後2時の到着をまっていました。一足先にテレビの取材班の方々が5名来られて、ヒースとの再開について簡単なインタビューを受けました。 それから遅れること15分、外で「ドア、ドア」という女性の声が聞えます。暫くして玄関の戸が開き、ヒースが一緒に入って来ました。はアはアとやや息を吐きながら、頭を一寸下げ気味に土間から前足を廊下に上げて、私どもの歓迎に応えているようでした。家内は感激してヒースの頭に頬ずりをしていました。 「惜別」にもあるとおり、ヒースは舌癌がありましたが、S様ご夫妻の手厚い治療で治癒して、去年我が家を去って行ったときよりも元気になっていました。 S様の話だと、車から降りてハウスと言ったら我が家の玄関へヒースが案内して来たといいます。玄関先でヒースは一生懸命辺りをクンクン嗅いでなかなかドアを入ろうとしなかったといいます。おそらく、我が家へ帰ってきたことを思い出していたのだろうか…。 足を拭いてもらい、2階へ上がるとき少し足が縺れた様子であったがちゃんと自分で上がることが出来ました。家内や私に手や足・頭を撫でられて、なすがままにさも満足げでした。 S様ご夫妻といろいろ話しをしている間、取材のカメラを回しているのも無視して、ヒースは家内の傍らでさも安心したかのように家内の手を枕に寝そべっていました。 ヒースが毎日散歩していたコースをカメラに撮りたいと取材班より要請があり、9ヶ月ぶりにヒースはハーネス(胴輪)を着けてもらい散歩に出かけました。いつものコースを順調に歩き、しっかりした足取りで20段の跨線橋をいつもと同じように歩いて渡ったといいます。取材班の話によるとヒースはとても眼が輝いていたということでした。 S様ご夫妻は、今夜一晩我が家に泊めてもいいと、家を出るときドッグフードも持参してきておられました。帰りも取材したいとのことで、やむなく連れて帰りましたが、ヒースは家内が何かで立ったりすると、後を追っていました。 午後も7時、取材も終えて帰り支度をして、S様がヒースのリール(引き紐)を持っても、玄関で後ずさりするようにシッツ(座ること)して帰りたくなさそうにしています。 ほんのつかの間のヒースとの再会でしたが、それでも、S様に促されて、名残りを惜しむかのようにヒースは、また東京へ帰って行きました。 |