ヒースが逝く





 ヒースは、2004年10月30日に亡くなりました。東京の飼育者志村(奥様)さんから電話が入ったのが当日昼少し前でした。ヒースは、亡くなる2時間前、午前2時ころだったそうですが、自分の部屋から志村さんの寝室まで歩いて来て、そして、志村さんに見守られて静かに眼を閉じたそうです。きっと最後の別れを告げに来たのではと思う時、いじらしくて涙が出てきます。

 視力のない者は、犬を最後まで看るということは大変なことであり、ヒースは盲導犬をリタイヤしてから、東京の志村ご夫妻さんへ引き取られて、志村さんの家族の愛情に囲まれながら大事に余生を送ってきました。ヒースは舌癌に侵されており、その間何度か手術にも耐えて、志村さんの手厚い看護に助けられて、14歳10ヶ月も生きてきました。志村さんから私どもへ寄せられたメールの一文からも、それがよく汲み取れます。

 「この度ヒースは静かに神様の許に召されて逝きました。返す返すも残念です。私ども一家も悲しい思いをしておりますが、10年の余、ご一緒に暮らした小林様たちには、惜別の念いかばかりかとお察しもうしあげます。 
癌そのものは、何とか克服の過程にありましたものの、全く別の急病にて別れる事になろうとは、夢にも思いませんでした。私どもの不注意をお許し下さい。申し訳ございません。
新潟に転勤になっている娘夫婦も、東京に住む息子たちも、皆泣きながら葬儀を済ませました。
ヒースは今、府中というところにありますアイメイトの墓地に、彼の分骨が眠っており、先輩の亡くなったアイメイト達に囲まれて、仲良くやっていることでしょう。
彼の骨壷は、私どもの所にあります。昼はいつも私どものいる場所に安置し、夜は寝室に連れ帰り、一緒に寝ております。
来年早々まではこうしてやり、その後に庭に墓を作るつもりです。家では、ヒーちゃんで呼ばれてきました。」

 いずれは訪れるであろうと覚悟はしていたものの、ヒースの訃報をきいた時、言葉には言い尽くせる思いだけで、何とも言えぬさみしさだけが残りました。主人でもある家内は、飼育者へ以下の御礼の手紙を書きました。

 「この度、ヒース君の死去の報にせっし、あまりにも短い命に、惜別の情を禁じ得ません。リタイヤしてから、志村様方には言葉に言い尽くせぬお世話様になり、温情のかぎりを尽くして頂きました。とても私どもには出来得ないことでした。ご縁あって、飼育の段階から今また、最後の命の灯が消えるまで、いえその後まで、本当にお世話様になりました。有り難うございました。ヒースも余生をどんなに幸せに満足して旅立って行ったことでしょう。重ねて御礼申し上げます。」

 ヒースは、我が家の一員として寝食をともにして、盲導犬として最高の使命をしてくれたことは言うまでもないことですが、テレビ東京の「ポチ・タマ」にも出演して、盲導犬としてだけでなく、大勢の方に感動を与えてくれました。放送直後から、全国方々より励ましや感動の電話やメールが30通、いやそれ以上あったかも知れませんがたくさん頂きました。中には「盲導犬の応援歌」を送って下さった山梨県の方もおられました。私がホームページを開設当初から関わって頂きました東京のHさんは、ヒースの「ポチ・タマ」出演をとても喜んで下さった一人でもありました。

 ヒースが我が家を去って3年余になりますが、今も、私どもの交わす言葉の中に、ヒースの名前が出てくるほど、一日とてヒースは、我が家に取って忘れ得ぬ盲導犬でした。




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