無明 第3回


森亜人《もり・あじん》



 また一段と梟の声が低くなった。せせらぐ音までも眠りにつくかと思われるほど音を静めていた。私は、小用を催したので、そっとテントの外へ出ていった。素足に露の湿りけが心地よく感じられ、思わずサンダルを脱いで草の上を踏んでみた。

 眠りのなかで聞いた妻と義父との会話は、確かなものであった。そのことで私は、かなり興奮し、憤って義父に詰問したこともあった。

 だが、義父は終始無言を守りとおし、代って妻が流れる川のごとく、意味もない理屈を並べ立てていた。

 もしここに義母がいたなら、結果は違った方向に進んでいたであろうが、その頼みの義母は、数年前に亡くなってしまっていたのであった。

 事故による幻覚と、直面している現実との見定めもできない日もあった。事故による苦痛が日を追うごとに癒えるに従って、諦めに似た思いも生まれてきた。

―― 自分は妻にとって何であったのであろうか……。会社にとって何であったのだろうか……。働く能力を失った者には生きるという価値も無いと言うのであろうか? ――

 私は、再びサンダルをつっかけて林のなかへ入ってゆき、そこで小用を足した。高原の夜は、ひとしお寒さを感じるものだ。こんな冷気をフランスへやってくる前にも味わったことがあった。

 郷里の禅宗の寺に籠もって、二週間ほど座禅を組んだことがある。何もかも嫌になり、死ぬことばかり考えていた時期だった。

 秋の彼岸がすぎて月も変ろうという九月の末、我が家が代々檀家になっている寺の坊さんがやってきて、渋る私をむりやり寺へ連れていった。

 もちろん、父か母のどちらかが私の生活を見ていて、住職に頼み込んだものであることは承知していたのであるが。

 その住職は、十畳ほどの座敷に私を押し込むようにして

「死が見えるか、生が立ち上がるかここでじっくり座っていなさい」

 と言って、それきり五日ほど顔も出さなければ、飯も運んできてくれなかった。

 私は、終日というもの、ふて腐って部屋の真ん中に寝転んでいた。逃げ出したければいつでも逃げ出せる筈であったが、来たくもないこんなところへ無理やり連れてこられたという腹立たしさが先行し、住職が言ってくれたことを考える余裕もなければ、逃げ出す気もなかったのである。

 空腹が進むほどに怒る元気も失せてゆき、四日目には起きていることも適わなくなって、ただ畳に転がっていた。

 目の前に今まで食べた物が次々に浮かんでは消えてゆく。こんな境遇に追いやられたことを恨みもした。空腹のためなのか、それとも自分自身の腑甲斐なさからか定かではないが、全身が震えて仕方がなかった。

 そんなとき住職がのそりと入ってきて

「成一郎君、誰が寝ていろと言ったかね。寝ていては何も見えてこないぞ。きちんと座禅を組んでいたまえ」

 と言って、寝転んでいる私の肩をいきなり蹴り上げた。

 私は、もうどうにでもなれという気持でいたので、

「やい坊主、誰が連れてこいと頼んだ。俺は腹が減って起きていられないんだ。起きていて欲しけりゃ飯を食わせろ」

 と、大人気ないことを毒づいてやった。

「どうせ死にたくているんだろうが。そんな者に飯を食わせるのはもったいない話だ」

 それだけ言うと、住職は出ていってしまった。

 私は、それから一日というもの寝転んでいた。もう小便も大便も出る気配がない。たとえもよおしたとしても、私には便所へ行って用を足す気などなかった。

 だが、六日目の夜、次第に意識が朦朧としてゆくなかで、虫の声ばかりが冴え冴えと聞えてくるのを、母の子守歌のように聞いていた。

 私は、消えてゆきそうになる虫の声を聞くために、自分を励ました。体内に残っている力を振り絞って身を起すと、座敷の真ん中に這って行き、そこに座禅を組んだ。

 障子の外は虫の世界であって、自分とは無縁の空間がどこまでも広がっている。私の周囲には空間が存在している筈なのに、感覚的にもそれを認知する能力が私からは失せていた。自分自身が宇宙であって、それでいながら自分の肉体のどれもが虚しく思われた。

 そこには己を完全に否定しきった者のみが、総ての時空間を超越して存在しているようだった。己が存在しながら己を自覚できない。六日も食事を取っていないために、精神に狂いが生じたのかもしれない。

 神仏の加護など信じていない私は、ただ単に空腹からくる幻影ぐらいにしか感じていなかったが、夜が次第に更けるほどに、何とも説明のつかない感覚が精神の一点にぽっと火をともした。

 この時点において、私の心にあるものと言えば、自分が宇宙に解け込んでいながら、それでもまだ自己の存在を示そうと、一点のシミになってまで自分を確かめようとしている、何とも言いようのない不自然な精神であって、それでいて、あらゆる事物に左右されないでそこに停まっていられる精神のようなものも意識されていた。

 長い時間のようでもあったし、ほんのつかの間の時間のようでもあった。私は、ただひたすら迷妄の世界を流浪していた。狐狸妖怪などは表われなかったが、精神を食いちぎられる魂の痛みのようなものを感じていた。

 私の瞼の裏に東雲のほのかな光が差してきた。肉体的にはすっかり力を失っていたのに、精神の深い部分から泉のような新鮮で美しく、何とも言えないさわやかな息吹のようなものが、精神を食いちぎられる苦痛を押し退けて、湧き上ってくるのを、私は、確かな心で受け止めていた。


 いつの間にか梟の声もやんでいた。林のすべてが深い眠りに落ちている。多分、目覚めているのは私くらいなものであろう。自動車事故を契機に、それまでの人生が一変されてしまったが、諦めていると口にしながらも、妻であった女や、その家族が示した仕打ちをどれだけ呪ったかしれない。

 如法暗夜であった二年近い苦悩に、一条の光明を与えてくれた住職の勧めもあったし、自分自身でも望んで、誰の助力も借りないでフランスの知人を尋ねて日本を発ってきたのが、今から半年ほど前の、二月の、寒く暗い夜がいつまでも続くのではないかと思われる頃であった。

 今は夏の盛りも過ぎようとしている八月の半ば、寺で光明を見たと思っていたが、それは決して自分の心に固着したわけではなかった。飯が食えるようになって次第にいつもの生活が戻ってくるにつれて、またもや呪わしい思いに心はしばしば弄ばれたりもした。

 しかし、むりやり寺へ引っぱられてきたときのようなささくれた感情は、雨に洗われたアスファルト道路のように消え、今までの自分とは少し違っているようだった。

 今、テントの中で健康な眠りをむさぼっている筈の二人には明日がある。だが、払拭するにはあまりにも重く厳しい妻の家族の功利主義的な思わくに振り回された私に、願っているような人生が開かれるであろうか。将来に不安がないわけではないが、前ほど自分の運命に対してそれほど屈託しなくなってきていることも事実であった。

 斎藤とはリヨンへ来てからも月に二度三度は逢っていたが、彼の家族のことも、彼自身のことについても立ち入って話を聞いたことはないが、私にしても自分の歩んできた過去の一切を彼に話してはいないのだ。

 ほとんど未知の斎藤でありながら、生き生きとリヨンで生活している彼の姿が手に取るように伝わってくる。そこには過去のあらゆる出来事など全く無関係のままで存在しているのだ。ということは、過去にどんな汚点をかかえていようとも、現実の世界ではそれほど影響はないということになるのであろうか。

 むろん、法的な汚点ではなく、自分だけが汚点と思ってそれを引き摺って生きていることを私は言っているのであるが、果たして過去を知っても、知らないでいるときと同じような接触が保たれるものなのであろうか。

 その点については甚だ疑わしい。過去に固執していて何か益するものでもあるのであろうか。

 私は、深閑と更けていく林の中の立木にもたれ、じっと考えを一点に集中させていた。

「行ってくるがいい。そこに新たな世界があるかもしれないし、今までどおりの失望と呪詛の世界しかないかもしれない。とにかく行ってみなさい」

 寺の住職の熱心な勧めもあったし、自分も、『もしかしたら』という思いも手伝ってフランスへやってきたのだが、リヨンではそれを捜し得なかった。

 ジャックに誘われてピレネー・バスの片田舎まで、その頃にはかなり親しくなっていた斎藤を誘ってやってきたのだが、やはりここでも自分が願望しているようなものは見つかりそうもなかった。

 だが、私は、そのことで失望みたいなものは感じていない。遠方の山にぶつかっても戻ってくるやまびこにどこか似た応答が、この旅行中に発見できそうな予感もしていた。


 寺の一室に押し込まれて食事も与えられないまま七日目の早朝、私は、障子に差す暁のほの白さとは異なる霊妙の光を見た。

 体内を涼やかな風が吹き抜けてゆく感覚にも触れた。これが悟りだと私は意識し、それと同時に、それまでの種々雑多な事柄から完全に解放されたように思えたのであった。

 ところがその日の昼、住職がやってきて

「お前さん、きょうあたり輝くような光を見はしなかったかい」

 とたずねた。

 むろん、この数日で、すっかり固まってしまったような膝を、痛みを堪えながら、私は乗り出して大きく頷いてみせたのは当然であった。

「まだまだじゃなあ。だが、ほとんどお釈迦様の傍までは行っているようじゃなあ」

 住職は、さ湯なのか重湯なのか味わい分けることもできないような食べ物を入れた茶碗を、私の手のひらに乗せながら言った。

 私は、思わず茶碗を胸の前で止め、彼に反発する言葉を捜してみた。悟り切ったような口の利き方をしている彼を納得させる言葉が見つからないでいると

「誰しも腹ぺこになれば不思議なものを見るものじゃ。お前さんの見た光は、多分そんな類のものじゃ。だからと言って失望するに及ばない。ここまで来ればもうすぐじゃ」

 私の見た霊妙の光が嘘であろう筈がない。確かに見たことは見たのだ。しかし住職の言うように、空腹でいれば思いもよらない幻覚を見ることは確かであろう。それに私の場合は、ある意味での軟禁状態にあった。さすれば、思いがけない幻影に惑わされても仕方のないことなのかもしれない。

 私は、更に一週間、それまでとは違った思いでそこにとどまっていた。この一週間は住職の意思ではなく、自分自身が望んだ一週間であった。

 住職はさまざまな話をしてくれた。その度に腹を立てたり、がっくりと肩を落したりという日々であったが、既に死というものからは遠く離れてしまったらしく、二週間の座禅が終る頃には、私の心に一つの計画が育ち始めていた。そのことを住職に言うと

「行ってくるがいい。そこに新たな世界があるかもしれないし、今までどおりの失望と呪詛の世界しかないかもしれない。とにかく言ってみなさい」

 と言ってくれた。

「そうして、大いに四苦八苦してくるがいい。人間にとって生老病死は人の影のようなものだ。悍馬は地面に映る自分の姿に怯えて、遮二無二走り出すそうだが、人もそれに似ているのかもしれない。生老病死だけでも大変なのに、その上もう四つの苦労の源を担って生きてゆくほかない。『愛別離苦』『怨憎会苦』『求不得苦』『五蘊盛苦』これらの苦労を乗り越えられたらそれが悟りというものだ。そのためには無明の心を養うことしかない。この私などはそこまで到達しているわけではないのだ。お前さんは、私が経験したこともない大きな苦しみを通ってきている。きっと何かを得るだろう。行ってくるがいい」

 もう七十歳を二つ三つ過ぎたと記憶している住職が、私の肩を抱くようにして言ってくれたのであった。


 私は、ふっとわれに返って立木から身を離した。どこからか鳥の忍び音がしたように思ったのだが、聞き違えをしたのかもしれない。私は、そっとテントの裾をめくって中に潜り込んだ。

 自分はいつまでフランスにいるつもりでいるのであろうか。まさか悟りを得るまで帰国できないわけではないが、今はこのままでいたい。日本に帰らねばならない理由もないし、自分を待っている特定の人もいない。

 私は、失明によって他の健康な部分まで障害を受けたように思ってきた。離婚、退職、帰郷。どれ一つ取り上げても明るい材料はなかった。

 気の勝った妻の意思とは言え、失明だけで総てを捨てなければならない理由などあろう筈もないのに、私は、妻の意思を一蹴する気もなく総てを捨ててしまったのだ。

 妻の言葉に押し切られる自分の弱さを妻は見抜いていたのかもしれない。失明によって気が弱くなったわけではなさそうだ。生まれ持ってきた人間的な弱さなのかもしれない。

 もし自分の内に、社会において生かせる部分があるとしたなら見出したかった。それでフランスの知人を頼ってやってきたのであるが、結果はまだ出ていない。

 私は、結果という言葉を心に描いた瞬間、住職の言った無明という仏語を感動を込めて思い出した。それと同時に、あのラク・ブランに通ずる松林の中で感じた、どことなくもの足りない気持が何であるかわかった。

 それは、私の心に今もなお存在している事物への執着であった。林の中には小鳥がいて、いつも美しく囀っていなければいけない。蝉がやかましく鳴き立てていても当然であるという愚昧な考えに束縛されていたことであった。

 結果を生ずる事物一切に、因果と因縁が存在する。それ故に苦労が付き纏ってくるのだと、座禅の終る日に住職は、それまでの声音とは違うごくやわらいだ語調で言ってくれたことを、私は思い出すことができた。

 救いを求めているかぎり悟りは得られないとも言っていた。愛する人との別離。心にそぐわない人との接触。恨み憎む人との交わる苦しさ。肉体の燃えるような欲望。これらの苦労から逸れる方法は、心を虚しくさせるほかにないと教えてくれた。

 私は、この国へ何かを得ようとしてやってきたことに、大きな誤りのあったことに気づいた。フランスで関係している一人が、やはり私と同じように事故に会い、車椅子の生活を余儀なくされた。しかし、彼は周囲の助言と助力によって元の職場に復帰して、今も働いていた。それを知っている私は、何がそうさせたかを知りたくてフランスへやってきたのであった。

 むろん、それだけの理由ではない。私を知り尽くしているところにいることが心に圧迫を感じ、それから逃げ出したいという思いも大いに働いていたことも数えられる理由であった。

 しかし、その人の周辺を調べて知ったところで、私にはそれほど役に立つことでないことを自覚しはじめていた。なぜなら、国状の違う日本でフランスの彼と同様のことを求めても難しい問題であるからだ。

 それよりも私は、傍らで気持よさそうに眠っている斎藤の生き方に羨ましいものを感じていた。このまま彼と行動を共にしていれば何かが得られるような予感に、私は、闇に向かって大きく息を吐くと、斎藤のほうに背を向けて目を閉じた。





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