パソコン花盛り(第2回)




 衝動買いのワープロも、分厚い4冊の本と格闘の末、70歳迄の5年間には、曲がりなりにも年賀葉書は勿論、孫の誕生日カード・作画・そして我が詩吟教室の生徒さんから原稿を頂いて、パーソナルDTPで「教場新聞」を発刊する事も試みた。第6号までは出したが、その後休刊となってしまった。

 自分の力もわきまえず頼まれて、詩吟上部組織の会のプログラム等も、B42枚表にして作成。一字の誤字も無く作れたのは、少女時代タイピストで働いていた時の習性が心と指先に残っていたのか。

 70歳の時、詩吟教室の男性仲間が「《70歳の記念》にパソコンを買ったよ。」と話してくれた。 「エッ、ウソ。」 私の頭にはパソコンのパの字も思い浮ばなかった。そんなものは会社に居る人とか、若い人がやるものと頭から決め込んでいた。(でもその頃には50歳後半の男性でも、今はパソコンが出来ないと会社務めが出来ない。だけどとても難しくて大変だ。とボヤキの声を聞いたことがあります。)

 たまたま、ワープロがフル回転のお陰で二度も故障し、その都度買ったお店に修理に出せば、安いワープロが買える位かかった。三度目の故障の時が運命の71歳。昨年聞いた「70歳の記念」。友の言葉が頭をよぎった。「ダメダメ、それこそ宝の持ち腐れよ。」「イイエ、男の人と女の人と、どんな風に頭の中が違うって言うの?」私の心が悶えている時、主人が「隣の息子がパソコン扱って居ると云うから、買って貰って据付まで話を付けて来た。」といきなり会合から帰って来ての報告。「チョット待ってよ。とてもじゃないが私?」何時にない尻込みの私? 清水(きよみず)の舞台から飛び降りた気持ちで、ままよ、「71歳の記念」にバンザイ。そんな複雑な気持ちの中で、我が家の机の上にパソコンがセットされた。

 入力方法も「ひらがなしか解らないからね。」とお願いの上で、とも角文章だけは何とかなった。然し消すにも、書き足すにも、1字マスあけするにも、マウス・アイコン・クリック・ドラッグと、例によって珍しい言葉ばかり。(アイコンなんて解らないって事でしょ?珍しいは負け惜しみよ。)又もや付録の薄い数冊の本と大格闘。「パソコンが簡単に解る本」本屋に行けばそんな本ばかり目に付く。とうとう「ワード98」「一太郎8」なる本を購入。3年経った今開いて見れば、どこもかしこも赤線がいっぱい引いてある。果して理解出来てやっていたのかなア。(この疑問が3年後の今、「高齢者パソコン講習会」の新聞広告に引かれて、この教室を覗いて見る引き金となる)

平成11年5月8日、 パソコンが来たその年の12月、生意気にも《スキャナ》という物が有れば、文集ももう少し楽しいレイアウトが出来るんじゃない? そんな思いを込めて購入。同級会の記録を整理するのに、箱根は天成園のパンフレットも入れたり、亡くなった同級生の写真も入れたり、50頁2冊(S37年〜H12年3月)を1ヶ月掛かって作り上げた。嬉しいことには24人の同級生が、皆さん手元に置いて読みたいとの事で、製本24冊。何かえらく大きな仕事をした思い。

 人の会話を聞いては、「一太郎8」「筆自慢」なるソフトもインストール(こんな言葉知らなかったヨ)して見た。

 隣のパソコンを世話してくれた息子曰く。「一太郎8」「筆自慢」「ワード」「エクセル」おばさん、実際こんなに、こなせられるかなア。の一言のみ。


下諏訪町 武居 ヒロ



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