パソコン花盛り(第3回)
65歳から始めたワープロが3度目の故障。この時が運命の71歳。詩吟仲間の「70歳の記念」につられて、「71歳の記念にバンザイ」で、とうとうパソコンに切り替える事になった。
2年半、相変わらず理解出来ないカタカナの専門語の羅列。ローマ字入力も判らず「ひらがな」で軽うじて入力。牛歩の歩みの中で、ワープロの頃より頼まれて作っていた書類が又依頼される。今度はパソコンだ。『不正・強制終了』と赤字の ×(バッテン)で何度パソコンに叱られた事だろう。夜11時頃、画面は真っ黒に凍結して、マウスポインタは無し、どこをどうやって終了すればよいのか、迷惑も省みず、KさんにTEL、終了の方法を教えて貰い、安堵した事も何回かある。
そんな中で同級会の記録も50頁2冊、23人の同級生にお渡し出来る程、大きな仕事をこなした喜び、詩吟の会のプログラムも毎年作成、見開き頁のものより序々に縦書き(難易度の高い)の冊子に作り直したり、会の宛名シール等色々に挑戦して見た。
独学の為手元には相変わらず厚い本・薄い本何冊とある。ページ毎に引かれた赤線が気になって、確認のため?「高齢者パソコン講習会」の新聞の広告に引かれて、今所属する会に飛び込んだのが、平成12年9月の事である。
9月初回覗いた教室でビックリしたのは、本当に皆さん70・80を超えた方ばかり。講師1人が60代。カタコトの様な指先でキーボードから字を拾う。隣のおばあさん、いくらカタコトのようでもチャンとローマ字入力をしている。私はタマゲタ。これはいかん、これほど文明の最先端を行くものを扱って、ローマ字入力が常識と考えられているのに、私だって若い頃はタイピストだったじゃないか。いくら戦時中とは言っても、タイピスト学校の別室に隠されていたあの英文タイプを見て、やりたい思いに駆られた思い出があるではないか。
それから丸3日、パソコンに向かってA4ギッシリ、「A、I、U、E、O・KA、KI、KU、KE、KO・」「KYA、KYU、KYO」「ZYA,ZYU,ZYO」と只々夢中で入力した。
詩吟の先生依頼の趣意書作成をローマ字入力したのが始めての作品である。嬉しかった。本当に嬉しかった。
今思い起こして見ると、日本語入力の配置などはすっかり忘れている。
何ヶ月か、教室では一太郎から勉強を始めて、それでも私のパソコンにも一太郎はインストールしてあり、折々に使ってはいたので、勉強には追いついて行かれた。時々先に進んだ時もあった。(講師も自分の勉強をしながら教えていたのである)
一年位立ってもう一人の講師(エクセル専門)の勉強が始まった。いきなり渡されたテキストを見て驚いた。「銀行ローンの返済」の計算である。借入金が幾ら・利息が幾ら・何年返済・ボーナス時の返済金・月々返済・それらを割り出す関数を使った計算。数字に弱い私はお手上げだった。事もなげに説明する講師の横顔をじっと恨めしげに眺めていたものだ。
所が大発見? 東京工大大学院卒の理数に強い講師であったが、国語に弱かった。エクセルというのは、セル番一つ入力違いをすれば、計算が成り立たない。テキストの中で処々にそう言うミスを発見した。年齢のズウズウしさで、「先生、これミスプリじゃない?幾らやっても計算出来ないヨ。先生国語弱いネ。」「オー、俺理数は強いが文学は全く駄目なんだナ。」こんなやり取りがチョイチョイ。私も一安心。それでもその先生のお蔭で、検定の3・2・1級なんて云う問題も解けたり、解けなかったり。
半面に3クラスに増えた会員の交流・親睦の和はとても楽しく、固いものであった。高齢者の核家族の多い中で、話し合う仲間が出来た、そんな反動であろうか。毎月の食事会・花見・マレットゴルフ・忘年会と、回を重ねて親睦を深めた。
更に勉強はワードに進んだ。独学とは云え2年半、ワード主体に勉強した私の分野である。ワードは不得手と言う講師の講義を聞いていると、時にはまどろっこしく、時にはエッ、私知らなかった?今はそんな繰り返しである。
高齢者のパソコン勉強とはいえ2年もやっていれば、70・80を超えた方でも今は、デジタルカメラで、自分で写したフィルムをパソコンに取り入れ、自作の俳句・漢詩などを写真に入力した大作を、昨年秋町主催の文化祭に出品もした程である。大したものヨ。と余り写真を得てない私は、只感心して眺めている。
下諏訪町 武居 ヒロ