ボランティア活動を通して




 私がボランティア活動を始めたきっかけは、今から十数年前、胃癌(がん)の手術を受け元気になり命拾いをしたので、これからの人生を大切にして、私のできることで何か社会へお返しして行くことができればと思っていたころのことです。

     小林玲岳(れいがく)先生のお世話をして

 ハイム天白から詩吟クラブの指導をと同じ詩吟教室にいた小林玲岳先生にお話しがあり、そのボランティアをすることになりました。

 玲岳先生は目がご不自由なので、私が少しでも目をかしてあげられたらと思いご一緒させていただきました。

     ハイム天白の詩吟クラブで

 ハイム天白詩吟クラブの日は、玲岳先生と全部の部屋を回り「詩吟に出てきて下さい」とお誘いの声をかけて歩きました。

 おじいさんおばあさんという呼び方は絶対にしないようにし、極力名前を呼ぶようにしました。名前を覚えるのに苦労しました。玲岳先生は声で覚えて下さいました。大変だったと思います。

     短歌や俳句に譜をつけて

 毎月天白の短歌クラブで皆さんの作った短歌や俳句をいただいてきました。墨字(すみじ)なので私が読んでテープに入れ、それを玲岳先生が聞きながら点字に直し、たくさんの短歌や俳句の中から一人一首を選んで二人で半分づつ詩吟で吟じられるよう、譜をつけました。私の分は詩吟で吟じてテープに入れ、それをまた玲岳先生が聞きながら点字にしました。それをもとに全員の短歌を玲岳先生の吟でテープに入れ、翌月の詩吟クラブの日にハイム天白へ持って行き全館へ放送してもらいました。

      十二年間やって来てよかった

 自分の短歌が聞こえると感激して涙を流す方もいました。こんな時やってきてよかったとしみじみ思いました。

 九十分テープで二十本になり、良い思い出が出来ました。

 玲岳先生は勉強家で熱心な方で私を引き立てて下さいましたので、十二年間もご一緒できたのだと思います。

     点字を習っておけば

 十二年間も続くとは思ってもみなかったので、若いうちに点字を習っておけばもっと手助けができたのではないかと思いました。玲岳先生のエスコートも思うようにできなかったことなど申し訳なかったと今ごろ反省しております。

 ハイム天白へ行ったおかげで、皆さんが一生懸命生きている姿に接し、私も頑張(がんば)らなければといつも励まされて来ました。


下諏訪町 小林 佳喜久



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