鍼灸の成り立ち


 鍼灸術が発明される以前は、化学や医学などとはほど遠い時代ですから、転んだ時の打撲や腰痛など、患部を手や石で打いたり、さすったりなどして、症状を和らげていたようです。

 その後、鍼灸が発明され、漢方薬と共に、人の病気の治療に用いられるようになりましたが、最初から、現在使用されている形状をしていたわけではありません。

 鍼灸の紀元は、1部にはインド説もあり明らかではありませんが、3千年まえに、中国に発生したという説が、有力です。中国最古の医書といわれる「素問霊枢」に詳しく記述されています。

 中国で発展した鍼灸術が我が国に伝来したのは、欽明天皇の23年(562年)と伝えられています。984年には、丹波康頼が「医心方」30巻を編纂しています。この書は、現存する我が国最古の医書いわれ、その第2巻には鍼灸の治療法が詳しく述べられています。

 鍼は、発明当初は鉄で作られていましたが、御園意齋(1617年没)が、現在使用している金鍼・銀鍼を作ったといわれます。さらに、石坂宗哲(1765〜1840年)は、鍼灸術の名手といわれ、「大凶」を基礎とし、オランダ医学をかみした独特の説を立て、「鍼灸説約」その他の著書を著し、その当時来庁したシーボルト(1796〜1866年)によって翻訳され、ヨーロッパにも紹介されたといわれます。

 鍼灸は、自然哲学に基づいて発展した東洋医学であり、現代医学のように化学的に解明した治療というより、数千年の経験的治療によって発展して来た治療です。

 明治以前は、漢方医学を貴重とする鍼灸が盛んに行われて医学の1文科として尊重されて、人々の病気の治療の手段として用いられ、諸種の病に苦しむ人々を救ってきたのです。

 しかし、明治以後、積極的に西洋医学を取り入れるようになると、鍼灸や漢方医学は疎んじられ、病気の治療はその座を西洋医学に譲ることになりました。しかも、明治政府は、はり灸や漢方薬を西洋医学に組み込むどころか、それまで、鍼灸や漢方薬が病気の治療に大きく貢献してきたことなど認めようともせず、西洋医学からも外すことにしました。

 とはいえ、総ての医学者が、西洋医学だけに目を向けていたわけではありませんでした。経験的医学とは言うものの、治効作用について関心を持つ医学者もたくさんいました。そういう医学者たちが、地道に鍼灸が生体に及ぼす治効作用について研究を続けていたのです。得に、大正昭和にかけて、鍼灸術の科学化が盛んに進められ、現在に至っています。

 しかし、漢方薬は1部現代医療の中に取り入れられて保険でも使用を認められていますが、鍼灸は治効作用もあり、多数の国民にも指示されているにもかかわらず、国では医療として認めようとしていません。イギリス・フランス・アメリカ・ロシアなど西洋の諸外国で鍼治療が導入され医学の1部として使用されているにもかかわらずです。




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