詩吟コンクールに出場して!





 「門前小僧習わぬ経を読む」と言いますが、小さい我が家のこと、家内が詩吟を吟じていると、私がどの部屋に居ようと詩吟が耳に聞こえてきます。

 昭和50年も初め頃だったと思いますが、台所にガス瞬間湯沸かし器を取り付けてからのことでした。

 朝起きて「さア、今日も元気にはじめるぞ」といって台所に立って30分も経つと、気分が悪くなったと家内が座り込んでしまいます。その内、とうとう倒れて意識が薄れてしまったことが何度かありました。隣り合わせの治療室に私が居たから良かったものの、誰にも気づかれなかったら大変なことになっていたに違いありません。近くの開業医に診察を依頼しても、その都度医師の診断は、ただの貧血として処置するだけで他の手当もありませんでした。

 確かに、一酸化炭素中毒になれば、貧血を起こすことは間違いないことですが、ガス瞬間湯沸かし器の説明をしても、一酸化炭素中毒を思い当たらなかったことはどういうことでしょうか!?

 健康が優れない日々のなか、姉兄弟に誘われて家内は、気分転換に湯当時に出かけました。注文しておいたガス漏れ感知器が家内の留守中に届いたので、取り付けるとどうでしょう!!間もなくしてガス感知器がすぐびびーんという音が鳴り始めるではありませんか……。

 「あっ!これだ」と私は直感しました。狭い台所にガス瞬間湯沸かしをガスレンジと同時に使ったために一酸化炭素が発生したことが判明しました。私は、すぐに家内の旅行先へ「原因が分かったぞ」と電話を入れたことを今も鮮明に覚えています。今思い出しても恐ろしいことです。

 そして、それ以後ガス瞬間湯沸かし器を止めにしましたが、家内の健康ははかばかしくなく、腎性高血圧とも重なってなかなか回復しない中、昭和53年の秋、友人に詩吟をやらないかと誘われて、家内は好きな詩吟を二つ返事で始めました。

 何が幸いしたのか分かりませんが、盲導犬との散歩や鍼治療それに毎日の詩吟を吟ずることで、徐徐に家内の腎性高血圧も正常に回復していきました。腎機能検査を受けても腎臓は健康状態に回復しているとの診断でした。糸球体腎炎は血液を濾過して尿を生成する重要な機能であり、昭和30年代の医学では、糸球体腎炎の治癒は難しいと言われていましたが、治癒することもあることを知りました。

 家内もボランティアで、12年間続けてきた特別養護老人ホームへの詩吟指導も、高齢を迎えて一昨年辞退しましたが、今なお、詩吟の勉強は続けており、昨年総伝の雅号を頂きました。詩吟を始めた当初は、毎朝欠かさず詩吟の発声をしていましたので、小さな我が家のこと、私もいつの間にか詩吟を口ずさむようになっていました。これこそが、「門前小僧習わぬ経を読む」でしょうか……。

 いつの間にか、家内の生徒にさせられて、そもそも好きでない詩吟は、「長崎弁でイントネーションが悪い」だの、「節回しが良くない」とか注意されながらも、私も数年前に8段位を取りました。カラオケなら多少自身がありますが、今日に至るも詩吟は全く進歩していません(笑い)。そんな中、私が詩吟のコンクールに出場することになりました。

 平成16年4月18日、「文部科学大臣認可社団法人日本詩吟学院岳風会認可長野県本部諏訪岳風会下諏訪支部」の温習会が、下諏訪町のあるホテルを会場に開催されました。今年は第30周年記念大会ということで、プログラムの一つに詩吟コンクールがありました。

 同日の午後諏訪鍼灸・マッサージ師会の総会がありましたが、幸いなことに、コンクールは午前中に組まれていましたので、私は自分の詩吟を吟じて会場を早退しました。しかし、入賞もしないほとを吟ずる前に分かっていました。それは、私が箸にも棒にもかからない下手だからということではありません……その日は、決して満足のいく吟じ方でなかったことは確かでしたが、自分ではそこそこ吟ずることが出来たと思っていました。

 ではなぜ!?コンクールだから当然一定のルールは必要です。この詩吟コンクールには厳格なルールがあるのです。マイクに近寄り過ぎないために、足元に白線が敷かれてあります。吟ずる前にこの白線を踏んだだけで失格になります。私はこのミスをやってしまったのです(苦笑)。じゃア、その時点で退場かというとそうではありません。たとえ失格になってしまったとしても、一応は白線から下がった地点で吟じさせます。

 私は、自分が白線を踏んでルールに違反したからいうわけではありませんが、ルールを守ることは必要であり、違反してはいけないほとも承知しています。この白線を踏んだままで、詩吟を吟じたのであれば、ルールに反したことになり、失格と言われても当然であり、仕方がないと思います。

 もう、数年前になりますが、家内が優秀吟者コンクールに出場した時のことでした。やはり私と同様白線を踏んだことで失格になってしまいました。

 しかし、そもそもこのコンクールの本質はどこにあるのだろうかと疑問に思う時、口はばったいように聞こえますが、詩吟は「詩」の心をいかに吟ずるかにあるとおもうのです。例え、白線を踏んだとしても、詩吟を吟ずる段階でこの白線より下がって吟じれば何も問題はないのではないかと思いますが……どうしても、ペナルティーを課すということであれば、一応は吟じさせているわけですので、減点くらいで良いのではと思います。

 ところが、詩吟の昇段や昇殿の審査はどうでしょうか?注意を受けたとしても先ず不合格にされたという人はいません。一人でも会員を減らさないために審査をあまくしているとしか思えません。

 私は、何も視覚障害者を特別扱いにして欲しいというわけではありません。今後このような厳格なルールが続く限り、視覚障害者の出場意欲を阻害するだけでなく、視覚障害者をエスコートする者も気を遣うことになり、責任を感じてエスコートをしなくなるのではと危惧する私です。

2004年7月5日




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