目配せ




 人生長い間には嬉しいこと・楽しいこと・悲しいこと・悔しいことなど悲喜こもごもあります。

 私が学業のため、東京に滞在していた時のことです。区役所に手続きのことで友人にエスコートを頼んで出かけました。受付で私が訪れた旨の事情を説明したのに、私を無視して、応対に出てきた職員が、友人に話をし始めました。

 友人は私をエスコートしただけなので、事情は全く分かりませんといって本人に説明して下さいといっています。その通りで、本人の私がいるのになぜ無視するのかと職員に強く言いました。おそらく私が見えないため無視したと思いますが、後で大変申し訳ない態度だったと区役所の部長か課長か知りませんが謝りました。

 当時はまだまだ今日のほど視覚障害者に対する理解が乏しかったこともありますが、見えないゆえに惨めさと情けない自分に腹立たしくなりました。

 その時に比べれば、少しは理解されているはずの今日でも、無視されることに遭遇することが度々あります。当地の役場へ行った時のことです。

 受付で書類を提出して、一緒に行って頂いた方と椅子で待っていました。10分もして私をエスコートしてくれていた方が、書類が出来てもらってきたから帰りましょうというではありませんか。役場の係員は手招きして、一緒に行ってくれた方をよんで書類を渡しました。

 私はまたここでも無視されたと腹立たしくなりましたが、ここは我慢して帰宅することにしました。役場の係員は、見える人に渡せば手っ取り早いのかも知れませんが、本人がいる以上見えないからといってその人を無視してはいけないことです。

 選挙投票会場でのことです。私は友人と一緒に出かけ投票を済ませて会場を出ようとした時、ある婦人が私に声をかけてくれました。私が挨拶をしようと近づいて行き始めると、その婦人は手で友人に「そちらへ早く連れていけ」と合図していたというではありませんか。

 何と失礼な態度であろうか。そういう態度をするのなら、はじめから声をかけなければいいのに…。人を侮辱した態度に、その人の人格さえ疑いたくなります。

 ある店で買い物をした時のことです。ご主人様が一人で店番をしていました。インターホンで奥様を呼んで店に現れました。私が買い物を告げますと、奥様はご主人に私からお金をもらうようにと目配せしたというのです。夫婦の間ではそれで通用するのかも知れませんが、決してほめられた行為ではありません。

 帰宅後、一緒に行ってくれた方に奥様のその態度を聞いて、腹立たしいというよりいつも親しく買い物をしていたのに、後味の悪い思いがのこると同時に、その人の内面の一部を覗き見たようで嫌な気分になりました。

 これは、ほんの数例にしかすぎませんが、先日家内が婦人部総会で一泊二日で出かけた会場でのことです。ホームヘルパーの件でいつも電話で話をしているその方が、婦人部の総会に出席しているにもかかわらず、つい家内に一言の声もかけなかったと帰ってきて話をしていました。

 福祉に関わっている人でさえこの始末です。障害者を理解出来ずに本当の福祉事業が行えるのでしょうか!?

 それは、見えない者の僻みではないのかと言われる方もいるかも知れませんが、皆さんは意識的にあるいは、無意識の内にそのような態度はしていませんか。視力がなくてもそのときの雰囲気で何となく分かるものです。

 私に限らず、視覚障害者は大なり小なりこのような態度に接しています。そして、嫌な思いをしながらその場をじっと耐えています。このような態度をしてはいけないことですし、あってはならない行為です。視覚障害者とてプライドはあります。時と場合によってはその人の人格を傷つけることにも成りかねません。

 私はいろいろな場所で、上に挙げた態度や行為を絶対してはいけないと話をしています。視覚障害者は無能者ではないのです。直接話せば分かるものです。

 近年「ノーマライゼーション」とか、「バリアフリー」などといって道路に点字ブロックを敷設したり、家庭用品やエレベーターに点字を付けるなど、徐々にハード面では、視覚障害者にとって便利になりつつあります。
 しかし、一方ソフト面では、視覚障害者が理解されてきたとは言え、まだまだ不十分であり、心のバリアが取り除かれる日はいつのことであろうか。と考える今日このごろです。




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