雪解け 第9回




森亜人《もり・あじん》

 年は三十を一つ二つ過ぎていた。どうしてこれほど優しくて性格の良い人が今まで結婚しなかったのか不思議なくらいの女性だった。

 もしかしたら遺伝的な病を隠していて今日まで結婚できなかったのではないかという疑念だった。交際が深まれば見つけだせるだろうと思っていたにもかかわらず、それは徒労にすぎなかった。

 負けたのだ。静まり返った水面のような彼女に負けたのだ。それが悔しかった。今まで積み重ねてきた自信を根底からひっくり返されたのだ。

 彼女には私を負かしたという感情はなかったはずだ。私のみが肩肘を張っていたにすぎないのだ。それに気づいたとき、負けを感じたのだ。

 彼女と別れたあと、彼女が結婚したという話を聞いていない。未だ未婚でいるとすれば四十の声を聞いているはずだ。どうして結婚しないのか考えてはいけないことかもしれないが、やはり気になる。

 最後の日に、いつも行く喫茶店の隅で私は言った。

「ぼくのことは忘れてください。あなたにふさわしい男性は山ほどいるはずです。障害者のなかでも一番だめ男と結婚する馬鹿はありません」

 それに対し彼女は

「わたしがいけないんです。あなたを障害者だと考えたこと一度もありません。もし、あなたにそういう負担を掛けていたなら、それはわたしが足らない人間だったのです。ですから、決してご自分を責めないでください」

 そう言ってあとは言葉を飲み込み、いつまでもすすり泣いていた。

 私は彼女の細い肩を抱き締めたかった。抱き締めてこう言いたかった。

「違うんです。決して障害者という負い目からではありません。本当は、自ら自分の自尊心を打ち砕いたことを知られたくないだけなんです」と。

 多分、ここで彼女の肩を抱き寄せたなら、迷うことなく彼女は私の胸に身を預けてくるだろう。それゆえに私は自己の保身という身勝手な思いから、ずるずると不本意のまま彼女との生活に入ってしまうことを恐れたのだ。それがせめてもの最後の足掻きだった。

 感情に任せて別れ話を取り消しでもしたら、自分の心も砕けてしまうだろう。それは取りも直さず、彼女を不幸の道に引きずり込むことになるのだ。私は両の拳を固く握り締めて押し黙っていた。

 その彼女がバシャに重なって私の記憶の深い部分から浮上してきたのだ。絶え難いほどの懐かしさだ。あれほど忘れようと歯を食いしばってきたはずの彼女なのに。自分の心の変化に私は狼狽えてしまった。

 どことなく細い線の持ち主だった。年齢も充分すぎるほど大人だったが、ガラスのようなデリケートな部分を持った人だった。

 彼女は優しさが全身を覆っているような人だったが、月光をまさぐる感覚に似ていた。どんなに優しくされても私の知っている優しさとどこか違っていた。

 彼女と愛を交わした夜、冷たい体を抱き締めながら思った。時とともに彼女の体がぬくもっていく。それなのに、どこかで私を観察しているようなところのある人だった。決して不感症ではない。引き締まった体から発散する情念が私に伝わってくる。

 私の自尊心を打ち砕いた最たる理由は彼女の宗教だった。優しさではない。まさしく彼女の持っている宗教だったのだ。

「君はキリストとぼくと選ばなければいけなくなったとき、どちらを選ぶの?」

「ごめんなさい。わたしに答えろとおっしゃるの?」

「そう」

「困るわ。人間と神と一緒にできませんもの」

「別に神を捨てろと言っているんじゃないけど」

「わかっていますわ。でも困ります」

「どうして?」

 私は不満だった。これから結婚する相手に何と答えるべきかを用意していないなんて私には考え難いことだった。しばらく黙っていた彼女は遠慮ぎみにではあったが、毅然とした声で

「ごめんなさい。自信はないけれど、わたしはキリストを選ぶと思います。コルベ神父様はご自分の命を名もない人に捧げられたんですもの」

 この言葉が私を打ちのめしたのだ。祖母から何回も聞かされていたコルベ神父。

 アウシュヴィッツの餓死室に入れられ、最も体の弱かった彼が一番長生きをし、最後には石炭酸を体内に注入されて亡くなったという。

 迷うことなく「あなたを」と言ってくれるものと思っていた。私は羞恥を覚えた。教師として積み重ねてきた学識も、人間性も無視されたように思ったのだ。

 ゴウォンブ氏の家を囲む木立や、盲学校を包み込んでいる林に初夏が巡ってきていた。

 私の寝起きするドームの周囲は全くの林だ。ありとあらゆる小鳥が集まってくる。それ故、朝などは寝坊もしていられない。

 紅茶を満たしたティーカップで快復の兆しに乾杯してから一ヶ月半になる。私は次第に自信を取り戻してきていた。ワルシャワ盲学校の受け入れはスムースだったが、思ったとおり、日本側は契約を不履行にした際の将来の保障はできないと言ってきた。

 昨年の今頃は、ポーランドで骨を埋めてもかまわないとまで思っていた。だが、今は気持の面で変化が起きていた。環境といい、周囲の人的環境といい、私にとって文句のつけようもなかったが、十年前に自分の身勝手から最後の一歩を踏み切れなくて別れた女のことが心に引っ掛かるようになっていた。





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