残照 第12回(最終回)


森亜人《もり・あじん》



      第12章

 二人がパリを出発したのは五月中旬だった。

 今回の旅は目的もなく、どこが終着駅になるかわからない。まりにしてみれば、絵の元になる風景をできうるかぎりたくさんスケッチしておけばよかったのだ。

 ぼくはぼくで、二度と土を掘り返すことも、自然のなかで思いきり走り回ることもできなくなっているので、最後の最後まで彼女の傍らにいてやりたかった。

 最初、まりはトレーラー・ハウスでいくことを強硬に反対した。運転が病気に障ると言うのだ。だが、一日に数時間の運転という条件で、彼女からOKのサインがでた。

 長い旅を順調に進めていくために、試験的ということで、二人はバルビゾンへ出かけることにした。

 パリ近郊の村で、そこはミレーやコローがこよなく愛しただけあって、二十世紀も終わろうとしている現在でも、当時 ―― たぶんという文字が含まれているが ―― と変わらないたたずまいを保っていた。

 まりは、このバルビゾン派に属すると思う。コローの『春』や、ミレーの『種まく人』『夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い』が特に好きなようだった。

 その画家たちが暮らしていたという村にいって、彼女は、ゆらゆらと立ち昇る大地の果てまで眺め入るような眼差しで、麦畑を心ゆくまで眺めていた。ぼくも彼女と並んでシートに腰をおろし、陽炎が立ち昇る畑の彼方に思いをはせていた。

 ぼくの脳裏をよぎる物は、四〇数億年前から脈々と呼吸している地球なのだ。地球の全てが凍結したときもあれば、全てが熱風に覆われたときもあった。それも数千、数億という年月なのだ。

 目に見えない微生物だった我々の先祖は、過酷な自然の呼吸に、ときに育まれ、ときに阻害されながら、辛抱強く生き延びてきた。そんな祖先に、ぼくは改めて偉大な力を感じるのだ。

 そうして、自分に与えられた生命の糸も細々となり、ドイツの片田舎の医師に宣告された年月も過ぎてしまった。ぼくは、まりが描いた『春のボート遊び』に暗示された日々を過ごしているのだ。


 一度パリに戻った二人は、三日後、今度こそ長い旅に出発した。まりの希望もあって、途中で高速道路を降り、ニームやアルルに立ち寄り、一週間後にフィレンツェに到着した。ぼくにとっては初めての土地だった。

 今まで多くの町を見てきたが、アッシジと同じように、町の全てが美術に思えた。まりの口を借りるなら

「フィレンツェは中世の時代に、カプセルに閉じ込めたものを今世紀になって取り出したようなものなのよ」

 ということになる。

 どこへいってもキリスト教の香りでいっぱいだった。宗教とは無縁なぼくにとって、このたたずまいは息苦しいほどだった。しかし、ルネサンスの美術は、この宗教的色彩がなければ生まれることもなかったかもしれない。

 日本の水墨画の世界に仏教がなかったら育たなかったように、西洋文化も、貧しい庶民の心に浸透していったキリスト教がなければ、このような芸術は育たなかったに違いない。

 ぼくは、『花の聖母』と名づけられている大聖堂の塔や、そこから打ち鳴らされる壮麗な鐘の音に魅了されていた。

 広い通りの向かいに大きなレストランのあるのをぼくは見つけた。店の前面は見事な彫刻で飾られていた。その入口の扉の上に造形された花が、ひと抱えもありそうな花瓶に差してあるのもフィレンツェらしいと思った。ぼくは感心して

「確かにこの町は素晴らしい。あの花までもが今にも香ってくるみたいじゃないか」

 と、ウィンドーショッピングをしているまりの気を引くように言った。

 まりは、ぼくの示す方をじっと眺めていたが

「ほんとね。あれは蘭科の植物だからきっと高い香りがするわよ」

 と言った。

「まったくだ。あれほど見事に造られていれば、甚五郎の竹の水仙のように香り出すかもしれないなぁ」

 ぼくはいつになく芸術なるものを感傷する気分になっていた。

「だったら隆夫さん、あれは造り物だと思っているの。ほんとに?」

 まりは、扉の上の造花と、ぼくの顔を見ていたが、もう一度

「ほんとにほんと?」

 と言って、手の甲を口に当てて笑い出した。

「あれは造ったものじゃないと言うのかい」

 まりは笑っていて何も答えなかった。ぼくは何となくなさけなくなってしまった。まりが笑えば笑うほど、自分の愚昧さを嘲笑されているようで、不機嫌な顔になって横を向いた。

 彼女の言うとおりだ。男と女の見分けもつかないような俺だ。造形された花と思うのも当然のことだろう。

 まりは、笑いのなかにいても、ぼくの変化に気づいていたようだ。

「ほら、すてきな香りでしょ」

 と言って、香水を滲み込ませたハンカチをぼくの鼻の先で振ってみせた。

「あの花もこんな香りがすればいいのにね。でも、あれは駄目ね…。ねぇ、隆夫さん、あのレストランのパスタ、とてもおいしいんだってよ。一度は食べてみる価値があるみたい。わたし、空腹でもう死にそう…」

 まりは、花のことなど話題にしていなかったような顔になって、甘えるようにそう言ってくれた。

 ぼくがカンシューの林のなかで、急性肺炎で倒れているところを村人に助けられた年の秋、まりはフィレンツェへやってきた。その折りに、いま目の前にしているレストランを紹介されたのだという。その折りには残念ながら味わうことができなかったのだ。

 彼女の肉眼は美術を見る力があり、心眼には、ぼくの心を読み取る力があるらしい。

 ぼくは愚かしい行為のあと、必ずといっていいほど心が屈託してしまう。自尊心が強いわけではない。一つの愚行は一気に時を遡り、飯窪のり子との破廉恥きわまる経験に至ってしまうのだ。

 馬鹿げた行為や言葉は、飯窪のり子とイコールになっているのだ。そのこと事態が大いに馬鹿げていると知りながら、ぼくは救い難い穴のなかへ落ちていくのだ。

 己を呪縛する感覚の激しいときは再び不能者に戻ってしまう。ただ羞恥が全身を苦しめ、まりの優しさに強い拒否反応を示してしまうのだ。意識すればするほど、夏の日の浜辺を思い出す。岩の陰から、ぼくの背に投げかけてきた飯窪のり子の声が、まざまざと耳許で、ぼくの精神を混乱させるように不連続音を響かせるのだ。

 まりは、そんなぼくを穴の底から助け出してくれる。飯窪のり子の全てから解放されたくて、日本を逃げ出してきたはずなのに。まりと逢わなかったら、ぼくは今もなお、穴の底で呻き悶えていたであろう。

「そうだね。ぼくも腹が空いたよ」

 ぼくは彼女の心を大切にしたかった。ぼくの脇の下にすっぽり入っているまりを引き寄せ、長い黒髪を指に絡ませながらそう言った。

 いまは大通りにいるからという理由ではなく、素直な気持から彼女の心に傾注できたことが嬉しい。

 ひと度、群雲のように飯窪のり子がぼくの心を占有してしまうと、ぼくは餓鬼になってしまう。それが、きょうは彼女の心に何の抵抗もなく入り込めた。いつもこうでありたい。大動脈瘤を患ってからは、まりとベッドを共にしていない。でも、二人は幸せそのものだった。

 ぼくは、まりと大通りを渡りながら、心から願わずにいられなかった。このままずっと生きていたい。こんな体になっても、まりは前とちっとも変わることがない。むしろ、ぼくの猛々しい男の放つ生臭さをふんわりと包み込んでくれるのだ。

 その夜、旅の疲れからか、中世の芸術家たちの素晴らしい息吹に触れたためなのか、ぼくは心臓発作に襲われた。丸薬を口に含みながら、死ぬのではないかという恐怖と、胸を締めつける苦悶を敵にまわして戦っていた。

―― いまは死ねない。まりを残していまは死ねない。死にたくないのだ。 ――

 この願望を命綱にしてぼくは戦った。

 幸いに苦痛は数分で去った。しかし、この夜を境に、左胸部と背部に重苦しいしこりが固着した。そして、左の鎖骨と乳の中間あたりの肋骨の空隙から拍動に合わせてゴム風船のようなものが指に触れるようになった。

 フィレンツェには一週間の滞在予定だった。ところがまりは、あと一週間だけでいいから延長したいと言い出した。もう少しスケッチをしたいというのが理由だった。恐らく

「いまのあなたでは運転してローマまでいくのは無理よ」

 というのが本音であったろう。

 もし、そんなことをあからさまに言おうものなら、ぼくが即座に反発するとでも思ったに違いあるまい。

「ごめんなさいね。退屈でしょうけど、あと一週間だけ我慢してちょうだい」

 と、いつものシャルマンな唇をちょっとすぼめながら言うのだった。

 まりの願いどおり、ローマに向けて出発したのは七月の初めだった。まりの心を引き、ぼくの心も和ませてくれたアルノ川を下って、斜塔で有名なピサに立ち寄った。

 斜塔は、この町の大聖堂の鐘楼だが、建設中に地盤が緩んで傾きはじめたという。フランスで聞いたときは、設計上の間違いだと聞いてきたのだが、やはり地元の人間は、たとえそうであってもそんなことは言わないらしい。これほど傾斜していてもよく倒れないものだと、つい建築のミスを考える前に感心してしまった。

 傾いた螺旋階段を上っていけば、塔の外へ出られる。ぼくに遠慮するまりを促し、彼女だけを塔のなかへ送り込んでやった。

 ぼくは斜塔の周辺をゆっくり歩いてみようと、人と車でごったがえしている広場に出ていった。観光バスの群れが引きも切らずに駐車場へ入ってくる。そして、色彩も鮮やかな服を着たイタリアの老若男女が大きな声で話しながら斜塔へと入っていく。

 ぼくは人込みを避けるように、買うつもりもなかったが、まりが降りてくるまでと思い、大聖堂の横に並ぶ土産品店の一つに入ってみた。

 店の奥まった棚の上に木製の小箱が並んでいた。そのなかに一つだけ陶器の箱があった。ぼくは興味を引かれて、何の考えもなく手に取ってみた。

 箱は想像していたものよりかなり重く、蓋も箱そのものも白が基調で、蓋から箱に掛けて、無数の糸が金糸のように流れていた。光線の加減だろうか、渦のようにも見え、蛇のとぐろのようにも見えた。なかに、同様の模様が彫り込まれた玉が金糸で繋いであった。鎖は、輪を作り、金属製の薄い三角形の板に繋がっていた。

 一つの角からは短い鎖が出て、その先端に十字架がぶらさがっていた。数えてみると、他の玉に比べてやや大きめの玉を中心に、十個の玉が五連、等間隔に並んでいた。十字架のぶらさがっている鎖には、一つ、三つ、一つと玉が並んでいた。

「セニョール、これ買いますか?」

 おぼつかない日本語が後ろでした。

「セニョール、あなた目がいいよ。このロザリオは素晴らしいね」

―― そうか。これがロザリオというものなのか。 ――

 ぼくは今までロザリオというものを見ていなかったらしい。いや、見たかもしれないが、記憶として残っていないと言ったほうが正しいだろう。教会は何回も見学した。信者たちの手に、これと同じものが握られていたのを見たようにも思える。

 今もロザリオに興味を覚えたわけではない。木製の小箱の並んでいるなかに一つだけ材質の違うものを発見したにすぎないのだ。

 ぼくは買うことにした。かなり高いことを言ったが、そこはイタリア。身ぶり手ぶりで交渉して半値に負けさせた。半値といっても、実際は相手の思わくどおりの値段だったかもしれないのだが…。

 ぼくは包みをポケットに入れて外へ出た。斜塔の入場券売場の外で、まりは心配そうな顔をして、少し背伸びをした恰好で待っていた。

 ぼくを見つけると、まりは人を押しのけるようにして広場へ飛び出してきた。今にも泣きそうな顔をして、ぼくの胸に体ごとぶつけるように飛び込んできた。

 ぼくは彼女の心配を吹き飛ばすように、買ってきた包みを彼女の手の届かないあたりで、子供をじらすように振ってみせた。

「なぁに?」

 まりは少し怒ったような目でぼくを睨みながら、両手でぼくの腕にぶらさがった。背の高いぼくだから、彼女が手を伸ばしても箱には届かない。だが、腕にぶらさがれば別問題だ。人の出入りの激しいところでは、彼女を高くぶらさげるわけにもいかない。

 まりは、自分の作戦が成功したことで、機嫌も直ったらしく

「ふふふ。要するにここの使い方ね」

 と言って、自分の頭を軽く叩き、ついでに被っていた帽子を脱ぐと、ぼくの手から奪った包みをそのなかに隠してしまった。

「ねぇ、礼拝堂にいってみましょうよ。この包みはそこで開くことにするわ」

 まりはそう言うと、先に立って広場を横切り、大聖堂のなかへ入っていった。

 ステンドグラスを透かして室内に流れ込んでいる光線が、祭壇上のキリスト像をより神秘的に見せていた。

 遠方からやってきた観光客で賑わっている前庭と比べ、聖堂内は別世界のように静まり返っていた。

 数十人ほどいるのに、誰もいないのではないかと思うほどの静寂が、堂内全体を支配していた。どの人も思い思いの姿勢を取りながら、それでも両手を胸の前に組み合わせ、一心不乱に祈っていた。

 パリのシテ島にあるノートルダムの雰囲気とはずいぶん印象を異にしていた。考えてみれば、ノートルダムの寺院の場合は、観光客で溢れていたからかもしれない。

 ケルンの駅前にも大聖堂があるが、地質調査でドイツへ行ったときに覗いたことがあったが、そこでも何百という数の人が水を打ったような静けさのなかで祈っていた。あの場合は、ちょうどミサの最中だったことを思い出した。

 ぼくは改めて堂内を見まわしてみた。

 いままで見てきた教会にも壁画があった。むろん、この聖堂内にもある。まりの話では、それらの壁画はキリストの十字架の道行きを描いているものだそうだ。

 こうして眺めて思ったことだが、やはり、フィレンツェのサンタ マリア デル フィオーレにあった壁画が最高のように思えた。まぁ、ぼくがそんなことを言っても素人だからあてにはならないだろうが。

 まりは、祭壇近くの長椅子の端に腰かけると、ぼくの手から奪った包みを注意深く開いた。ぼくもまりの後ろの席に座り、彼女の肩越しに、包装紙を開いていく手元を見ていた。

 まりは箱の中身を見ることも忘れて、表面に彫られた美しい渦巻上の紋様を見つめていた。そうして、ステンドグラスから流れ落ちる光画に透かしてみた。

「おぉ! マリア様」

 ぼくは自分の耳を疑った。まりの言った言葉は、ぼくが予期していたのと違っていた。店のなかで見たときは、渦のようでもあり、蛇のとぐろのようでもあった。だが、聖堂内では、マリアの姿に変貌してしまったらしい。ぼくは思わず

「そんなばかな」

 と、彼女の耳許に囁いた。

「ほんとよ。ほら…」

 まりはそのままの状態で、箱を持ち上げ、ぼくの目の前にかざした。

 確かに彼女の言うとおりだ。渦の彫刻を施していない部分が、顔の輪郭に見える。ステンドグラスによって色の屈折が生じ、その明暗は、睫毛を伏せた女の顔のように見えるのだった。

「隆夫さん、あなた、すてきなものを買ってくださったのね。どうもありがとう」

 ぼくは急に箱の中身を見たくなった。ロザリオの玉の一つ一つにも、箱の上蓋と同じ彫刻が施されていると思い出したからだ。

 ぼくの直感したとおり、ロザリオの玉に彫られた模様も、神秘的な光のなかで、マリアの憂いを含んだ表情になっていた。ただ、一つの玉が独立しているのには、見ようによって、幼い子供を胸に抱いた女の姿に見えないこともなかった。

―― 店主も知っていたのだろうか…。 ――

 次に浮かんだ疑問はこれだった。

「セニョール、あなた目がいいね」

 と、店主は言った。彼は、承知の上で負けてくれたとしたら、ぼくはずいぶんずうずうしい買物をしたことになる。しかし、店主は知らなかったであろう。礼拝堂まで持ってきて調べるようなことはしなかったであろう。知っていたらそこはイタリア人。簡単に言い値を下げていくはずはない。それどころか、定価そのものをあの値段にしておかなかったであろう。

 オルガンの低音が静かに堂内の空気を動かしはじめた。まりは祭壇に向き直ると、ひざまづき台に滑りおりた。今まで教会へ来てもひざまづいた姿を見たことがない。それだけに、彼女の祈る姿が美しく、胸に秘めたものが何であるか気にもなった。

 まりはロザリオの玉を繰りながら祈っている。堂内には、いつの間にか百人以上の人が席について、ある者は座ったまま、またある者は、前の席の背に頭を押しつけるようにして祈っていた。静寂な堂内を乱す者は誰もいない。

 ぼくは静かに祈っているまりの後ろの席に腰をおろし、祭壇に点っている小さな明りをじっと見つめていた。

 頭のなかは、ローマに行ってホテルをどう捜すかということだった。この時期のローマは観光客でほとんど満室だろう。三年前にローマへ来たときにしばらく宿泊していたホテルの場所を思い出そうとして目を閉じていた。


 ピサの礼拝堂をあとにしたぼくたちがローマ市内に入ったのは夕方だった。

 そのときの宿を捜しながら車を走らせていた。市内に入ってから一時間も似たような通りを回っているのだが、目的の宿が見つからないでいる。

 ローマの交通状態は、東京より話にならないほど無秩序のように思われる。プリマ セーラ デル ドンゴという名のホテルを見つけ出したのは、どの建物にも明りがともっている時刻だった。

 ぼくの神経はタガネで傷つけられたコルク材の肌のようだった。

 夜更けて、ぼくは胸部の苦悶で目を覚ました。ドイツの荒野での経験に似ていた。薬を口に含んでも効果は表れそうもない。ぼくは、深く眠っているまりの体を揺り動かした。

 まりはバネじかけの人形のように跳ね起き

「しっかりするのよ」

 と言って、フロントへ飛び降りていった。ぼくは十数分後、苦悶のなかで病院へ担ぎ込まれた。

「絶対安静十日間」

 まりは病院の医師から、ぼくの病気に関する全てを聞き出したらしい。何を聞いても 「あなたは静かに寝ていることよ。必ずよくなるっていっていたわ」

 としか言わず、カンシューのときよりも優しいほほ笑みを浮かべてぼくの傍らに付き添っていた。

 今回も死ななかった。三週間ほどでトイレくらいなら大丈夫という、医師の許しを得た。トイレまでが廊下に、そして戸外へと次第に距離がのびていった。

 八月になっていた。

 そんなぁる日、まりは改まった口調で

「ねぇ、隆夫さん、わたしに十日ほど休暇をください」

 と言った。どこへ何をしにいくかも言わず、彼女は、ローマを発っていった。

 彼女が病室に戻ったのは、彼女が出ていってから十二日めの朝だった。

 ぼくは知らないでいたが、彼女は、毎日病院へ電話をしていたようだ。帰ってきたまりの表情は常と変わらない。ただ、暑さをやわらげるために、長い髪を頭の高いところで結んでいることくらいなものだった。

「どこへいってたんだい」

 と聞くと

「ふふふ。当ててごらんなさいな」

 と言って、彼女は、自分のベッドに座った。

 ぼくは、彼女は、パリにいったように思えたので、そのことを言うと

「ピンポン。でも半分ね」

 と言って、いたずらっぽく笑った。

 ぼくには見当もつかない。近隣諸国の名を言っても、彼女は、笑っているだけで、首を横に振るばかりだった。

「実はねぇ、日本へいってきたの」

 とこともなげに言った。

「そのままになっていた婚姻届をあなたの郷里の役場に出したり、わたしの大切な品をこちらへ送るようにしたり、悪いと思ったけど、あなたの財産も知り合いの弁護士に依頼し、きちんと整理してきたの」

 ぼくは

「どうしてそんなことを」

 と言おうとして、ふっと口を閉じた。そこに彼女の並々ならぬ決意を感じたからだ。だから

「たいへんだったねぇ」

 と、全く違う言葉を口に出していた。

「パリのアパルトマンもそのままになっていたでしょ? だから、あそこも引き払ってきたわ。少しばかりだけれど、残してきた荷物をこちらへ送ったわ。隆夫さんのもね」

 ぼくの病院生活も二ヶ月ほどつづいた九月、まりが手配しておいた現在のアパルトマンに退院することができた。




 田沼、昨年の夏、八月の半ばだったと思うが、若い女の声で、君のところへ電話のあったことを今も記憶しているだろうか。もし覚えていたなら、君は幸せものだ。ぼくの妻の声を耳にした友人は君だけなんだ。

「大学の事務の者ですが、田沼さんの正しい住所を教えてください」

 と、彼女は、言ったそうだ。思い出せたであろうか。

彼女が君に、ぼくのことを話さなかったことは大いに残念だった。彼女としては、ぼくの病状がわかっているだけに、君の耳に入れられなかったのだろう。

 君との友情の空白のほとんどが埋められた。ぼくの寿命もあと少しだ。ドイツの老医師の言った日月は過去の日付になったと思う。これが本当の『余生』とでも言うのかもしれない。

 退院してから現在までの一年半に起こったことを話しても君の興味を引くようなことは何もない。この旅が始まる前と同じで、パリでの生活とほとんど変わらないものだ。まりはキャンバスに向い、ぼくは読書に耽るという日々が続いてきた。

 だが、この便りの初めに記したように、ぼくは一人で暮らしている。その理由を最後に書くことにしよう。それも、ぼくたちにふさわしく、あっさりと書く。


「隆夫さん、わたしはあなたの妻よ。残念だったけど子供には恵まれなかったわ。そんなまりにとって、あなたより大切なものがあると思って?」

 まりはアパルトマンの長椅子に横になっているぼくの傍らに椅子を引き寄せて、ぼくの背中を静かに撫でながら語り続けた。

「わたし、死ぬことなんかちっとも恐ろしくないわ。あなたの死ぬときは、わたしの死ぬときよ。そのためにも日本へいってきたのよ。二人にとって、いまは残照のときじゃないかしら。死という夕闇が忍び寄っているわ。いつ死ぬかわからないけれど、今こそ残照なのよ」

 まりの声はどこまでも静かだった。それが恐ろしい。死を目の前にしているぼくよりも心が静かなのだ。

「わたしの画いた『春のボート遊び』を覚えているでしょ。あれは、二人の未来を予言した作品なのかもしれないわ。だから、二度と画けないほど上手に画けたのよ。残照がボート遊びをしているカップルに差し、その光よりカップルの顔の輝きのほうがより強く画いてあるでしょ。わたしは、本当にそう思うの」

 ローマの秋がぼくには悲しいほど穏やかだ。まるで、まりの心がローマの季節をコントロールしているようだ。

「あなたに読んでもらった日記のとおり、あの飛行機に乗ったときから八年にもなるのよね。あなたを意識していたの。あなたの運命も定められているように、わたしの運命も定まっているのよ。生きているものは必ず死を迎えるわ。でも、そのときがわからないからのんきにしていられるのよ。道を歩いている人に、『あなたは一週間後に死にます』と言ったらどうなるでしょう。きっとその人は、わたしを狂人と思うか、恐怖のため走り出すかのどちらかじゃないかしら。夕闇が暗いほど残照は美しいものだと思うの」

 まりはそう言って身を半転させると、まりの顔をじっと見つめているぼくの唇に軽くシャルマンな唇を押し当てて、描き上げた絵をパリの画廊に送るために出かけていった。

 今年の九月末のことだった。

 二人は毎日のように、死について語り合っていた。その日もコーヒーを啜りながら話していたのだ。

 ぼくは悩んでいた。まりは、ぼくと死に向かって二人三脚でもしているような言い方をしている。ぼくが死ねば本当にまりは死ぬかもしれない。今のうちに縛っている綱を切っておかなければいけない。

 二人はよく散歩した。バルベリーニの広場から少し登ったところにあるカフェテリアの椅子に座って、通りを行き交うファッショナブルな服装をした若い男女や、コルセットをしっかり腰にとめているとしか思えないほど、ほっそりした腰の夫人が颯爽と歩いている姿を見ながら語り合ったものだ。

 ぼくの調子がすこぶる良いときには、そのまま古代ローマのポルタ ピンツァーナの門の近くまでゆるゆると散歩した。歩きながら、ぼくはまりの考えをどうにかしなくてはいけないと思い続けていた。

「死の陰が暗いほど残照は美しい」

 と彼女は、言っている。今の彼女を見ていると、その言葉がぴったりしているような生き方をしている。

 日々が輝いているのだ。それは悪いことではない。生き生きとした生活は、誰しもが望むところだろう。だが、ぼくには、拭えない死が待っている。その死を、まりは終着駅だと思っている。

 モンマルトルの石段の途中で熱っぽく話してくれた彼女の言葉が思い出される。

「なぜって、神は宇宙の根源である光をお造りになり、それに時をコンタクトさせたのではないかしら」

 哲学めいた言葉に、ぼくは反論していた。

「そうすると、神は光と時間だけを造って、あとは知らん顔というわけですね」

 そのあとは続かなかった。あのとき、まりの友人が来たからだ。そうして、その話は八年も滞ったままになっている。

 バルベリーニのカフェテリアでも、スペイン広場の近くにあるカフェ・グレコの薄暗い古びた椅子に座っていたときも話をしたが、まりの言った『宇宙の根源である光に時をコンタクトさせた』の続きはしていない。

 今更、そんなことをぶり返すつもりもないが、ぼくはあれから二つの重い病を経て知ったことがある。

 それは、人間はどこから来て、何をし、どこへ行くのか、ということだ。かなり哲学めいたことかもしれないが。早い話、自分の、過去の経験がいったい自分にとってどれほどの価値があるものなのかをだ。

 まりは、神が、光に時をコンタクトさせ、あとは流れのままにさせたと言っていた。ということは、大自然は不動ではない。なら、神はどうなのだろうか? 神は不変だとすれば、自然も不変でなくてはいけないのではないだろうか。

 こんなような問題についての誰かの著を読んだ気がするが、いまは覚えていない。そのなかで、『存在と無のあいだ』とか言っていた。

 いずれにせよ、今のぼくは死を直前にした三〇代半ばの若者。まして、まりはやっと三十路を一つ過ぎたばかりだ。そんな若い女が、愛しているからといって、自分までも死を考えるなんて健康的とはいえないのではないか。

 きょうもぼくは、彼女が外出したあと、そのことを考えていた。

―― どうやって彼女の考えを生きるほうへ向けてやるかだ。 ――

 ぼくの死で、どんなことが彼女の上に降りかかってくるかをだ。ぼくに残されている財産は、彼女の生活のかなりの部分を補償してくれるであろう。いや、ぼくが残す財産など、彼女の画家としての天分と比べれば微々たるものだろう。

 彼女には絵がある。それに、まりは若い。しばらくは悲嘆の日々を余儀なくされるかもしれない。しかし、それすら若さが次第に消去していってくれるはずだ。

 ふと、窓外がうす暗くなっているのに気づいて、ぼくは目を上げた。外は雨になっていた。風も募ってきているようだった。たぶん、まりのことだから笠を持って出かけたと思うが、それでもと思い、ぼくはゆるりと外へ出ていった。

 ぼくは広い通りまで彼女を迎えに出ていった。

 激しい雷雨のなかを車が上下している。通りの向かい側に空を遮蔽するほどの大樹があり、その下に雨を避けるように人が群がっていた。

 人の群れのなかに赤い傘を持った女がいた。傘が上下している。それでも、周囲の人たちの持っている傘より上に出ることはなかった。何はともあれ、まりが雨に濡れずに戻ってこられたことに、ぼくは安堵した。

 まりだった。ぼくも片手を高く上げてやった。そのときだった。まりたちの背後に鋭い雷鳴と閃光が走り、火柱が立った。

 ぼくは目を閉じた。カンシューの原で経験した閃光と同じだ。瞬間、ぼくの目も耳も何の役にも立たない状態になっていた。車の激しい警笛に、ぼくは閉じていた目を開いた。

 激しく降る雨の音。ブレーキを踏む音。絹を裂くような悲鳴。大樹の下にいた人たちが、目に見えない力で薙ぎ倒されるように、車道へ叩きつけられていた。

 ぼくは急停止した車の列のなかへ飛び込んでいった。夢中だった。真っ二つに裂けた大樹の近くに、まりは倒れていた。他にも三人倒れているようだったが、ぼくの目にはまりの姿しか映らなかった。

 まりは死んだ。残照もなく死んでしまった。道路の反対にぼくを見つけ、美しくほほ笑んだ姿のまま、ぼくより先に終着駅に着いてしまった。


 田沼、まりの死んだあとの数ヶ月間の空白については尋ねないでくれたまえ。ぼくの残照の影も闇の端まで伸びてきているのが見えるようになった。まりを永く待たせても可哀そうだ。まりは見た目より淋しがりやなんだ。彼女が迎えにくる前にもう一度、どうにかして君に会っておきたい。

 きょうも残照がローマの空に消えようとしている。今年もあと二日だ。君に荷物を送った。一ヶ月もすれば着くと思う。驚かないで荷物を預かっていてくれたまえ。

 それでは再会を約して…




 私は、奥村の書き綴った大学ノートをゆっくり閉じた。と同時に、唐突にシャルル・アズナブールの熱唱した『ラ ボエーム』の歌声が心の底から聞こえてきた。日本では、金子ゆかりがやはり熱唱して、感動を与えてくれた。

. むろん、フランス語を理解して感動したのではない。シャルル・アズナブールの熱唱が私の心に訴えてきたにほかならないのだが。のちに、金子ゆかりの歌を聞いて、ますます私の心を揺さぶったのだ。

 窓の外には闇が広がっている。奥村の死の彼方に、伊達まりの微笑みが見える。彼女の手に握られた絵筆の先に、男女の輝くような笑顔が残照のなかにぽっかり浮かんでいる。

 ラ ボエームの詩ではないが、彼等が暮らしていたパリのモンマルトル近くのアパルトマンを訪ねたとしても二人を思い出せる香りもないだろう。しかし、私は、そこへ行けば、なんとなく奥村と伊達まりを感じられるような気がしてならなかった。

 ラ ボエームの詩のなかでは、貧しい若者のほとばしるような情熱をかたむけ、愛し合いながら若さゆえに破綻した愛のほつれの思い出を歌っているのだが、奥村たちには過去のわびしさを思い出さなくてもいいことが何か救いのように感じられてならない。

 奥村にせよ、彼の妻となった伊達まりにせよ、彼らの歩みには、ラ ボエームのようなさすらいの陰などない。若くして死を迎えた二人だが、そこには悔いなど感じられない。この感覚は私だけだろうか。

 私は、机の上の奥村の遺影を伏せ、彼の妻のアルバムから、二人で写した写真を額縁に納め、その前に彼の大学ノートと、彼の妻の日記帳を重ねた。


―― 了 ――





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