死すべき時に
死し、
生くべき時に
生く、
 この文章は新渡戸稲造がその著書『武士道』の中で引用した徳川光圀の言葉である。

 戦国時代の武士にとって一番大事なことは主君に対する「忠義」ではない、自分の家を如何に守るかということである。
 そのためには、裏切りもあり、親子兄弟で戦うこともあり、人質に出した人を見殺しにすることもあり、要するに何でもありの時代である。

 江戸時代に確立された武士道とは根本的に違う。しかしながら上掲の文章は武士の覚悟を表したもので時代を超えて共有される価値観であろう。
 簡単な言葉だが実践は容易なものではない。須賀川城に籠城した二階堂家臣、二階堂家を見限り伊達方についた二階堂家臣、それぞれにそれぞれの思いがあったのであろう。

 北海道函館市の函館山の麓に一つの碑が立っている。名は「碧血碑」といい、箱館戦争で戦死した新撰組副長土方歳三など旧幕府軍約800名の戦死者を弔うため建立されたものである。

 「碧血碑」の名前の由来は「義に殉じて流した武人の血は三年経つと碧玉に変わる」という中国の故事によるものであるが、須賀川城に籠城し戦死した人々の血も碧玉に変わったのかもしれない。

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