家格 | 家柄 | 家数 | 家臣名 |
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一門 | 伊達氏一門並びに伊達氏に従った戦国時代の大小名など。 | 11 | 石川、伊達、伊達(留守)、伊達(亘理)、伊達(白石)、伊達(岩城)、伊達(田手)、伊達、伊達、白河、三沢 |
一家 | 譜代世臣並びに伊達氏に従った戦国時代の国人領主など。 (後に黒川、藤田、飯坂、白石は断絶) |
17〜21 | 鮎貝、秋保、柴田、小梁川、塩森、大條、泉田、村田、黒木、石母田、瀬上、中村、石川、中目、亘理、梁川、片倉、(黒川)、(藤田)、(飯坂)、(白石) |
準一家 | 松前、福原両氏以外は伊達氏と戦った戦国大名の旧家臣など。 (後に八幡、大塚、北郷、窪田、本宮、葛西、猪苗代分家は断絶、大浪は降格) |
8〜15 | 猪苗代、天童、松前、芦名、高泉、上遠野、保土原、福原、(八幡)、(大塚)、(北郷)、(窪田)、(本宮)、(葛西)、(猪苗代)、(大浪) |
一族 | 譜代世臣、伊達氏庶流家など。 (後に小泉は一門の伊達(田手)に吸収、田手、白岩、大窪、下飯坂は断絶、石田、上郡山、増田、国分、飯田、砂金は降格) |
22〜33 | 大立目、大町、大塚、大内、西大條、小原、西大立目、中嶋、宮内、中嶋、茂庭、遠藤、佐藤、畠中、片平、下郡山、沼辺、大町、高城、大松沢、石母田、坂、(小泉)、(田手)、(白岩)、(大窪)、(下飯坂)、(石田)、(上郡山)、(増田)、(国分)、(飯田)、(砂金) |
宿老 | 譜代世臣。 (後に原田、富塚、津田、浜田、牧野は断絶) |
3〜8 | 遠藤、後藤、但木、(原田)、(富塚)、(津田)、(浜田)、(牧野) |
着座 | 門閥分家、藩の重職経験者など。 正月の賀礼に太刀・馬目録を献上し、藩主から盃を頂戴する格式があった。 (後に山岡、鈴木、古田、遠山、貝田、古内、三分一所、茂庭、山口、川嶋は断絶、堀越、白津、五十嵐、大波、山岸は降格、真山は平士から昇格) |
29〜45 | 只野、大條、奥山、奥山、古内、古内、高野、伊東、佐々、富田、長沼、布施、黒沢、柴多、松岡、石田、平賀、古田、松本、和田、氏家、戸田、和久、笠原、大町、高屋、猪苗代、錦織、良覚院、(山岡)、(鈴木)、(古田)、(遠山)、(貝田)、(古内)、(三分一所)、(茂庭)、(山口)、(川嶋)、(堀越)、(白津)、(五十嵐)、(大波)、(山岸)、真山 |
太刀上 | 門閥分家並びに一族からの降格家。 正月の賀礼に太刀を献上し、藩主から盃を頂戴する格式があった。 (増田分家は昇格) |
4〜10 | 国分、増田、上郡山、飯田、砂金、藤沢、梁川、増田、茂庭、白河 |
召出一番座 | 門閥分家などで、大番組の大番士を務めた。正月の宴に藩主から召し出される格式があった。 (堀越は着座から降格、後に下郡山、高城分家は断絶) |
35〜37 | 岡村、鮎貝、秋保、秋保、大條、村田、村田、石母田、石母田、亘理、上郡山、西大條、宮内、遠藤、佐藤、畠中、(下郡山)、沼辺、砂金、大町、高城、(高城)、大松沢、石母田、但木、桑島、田村、中村、日野、遠藤、湯目、後藤、横尾、小野、堀越、茂庭、秋保 |
召出二番座 | 門閥分家並びに伊達氏に従った戦国時代の小領主などで、大番組の大番士を務めた。正月の宴に藩主から召し出される格式があった。 (大浪は準一家から、白津、五十嵐、大波、山岸は着座から降格) |
48〜53 | 猪苗代、上遠野、保土原、金上、清水、大浪、塩、白津、真田、桑島、大浪、長沼、橋本、青木、青木、南、加藤、田中、大和田、五十嵐、松林、大波、今泉、大島、北、上野、渡辺、本多、佐藤、中山、木幡、山家、中地、大河内、太田、武田、浅井、田辺、早川、熊谷、鈴木、椙原、布施、木村、山岸、安田、小島、橋本、荒井、鈴木、鈴木、安部 |
平士 | 大番組の大番士を務めた一般的な武士階層。大番組は一組360人で十組あり、詰所により、虎之間番士、中之間番士、次之間番士、広間番士に格付されていた。100石以上は1008家、約70%は100石以下の家である。藩の軍役規定では100石以上の平士は馬上出陣を求められた。 | 約3350 | − |
組士 | 小姓、徒士、鷹匠、番外士、給主衆、不断衆、名懸衆など。 大半は切米・扶持取りである。 |
860 | − |
郷士 | − | ? | − |