軍役
家臣は主君から知行を与えられる代わりに、その知行高に見合う軍役の負担を求められた。

戦国大名二階堂氏の軍役に関する史料は見つかっていないので、戦国大名後北条氏の着到状に記された家臣の軍役数を参考にしようと思う。
家臣名 着到年月日 知行高 軍 役 数
岡本八郎左衛門 永禄二年(1559) 五十九貫文 一本 大小籏持 具足皮笠
一本 四方指物持 同理
二本 鑓、二間之中柄 武具同理
一騎 自身、甲大立物、具足、面肪、手蓋、馬鎧金
二人 歩者、具足皮笠
以上七人

(これによれば、籏持ち一人、指物持ち一人、鑓持ち二人、歩者二人を従え、岡本八郎左衛門は自ら馬に乗り、計7人が出陣したことがわかる)
植松右京亮 天正元年(1573)
四十貫五百十文 一本 大小籏持役 笠具足
一本 指物持 同
一本 鑓二間之中柄 同
一騎 馬上、甲大立物、面頬、手蓋、具足、馬鎧金
一人 歩者、皮笠具足
以上五人

(これによれば、籏持ち一人、指物持ち一人、鑓持ち一人、歩者一人を従え、植松右京亮は自ら馬に乗り、計5人が出陣したことがわかる) 
小熊総七郎 天正十一年(1583)
十八貫五百文 一本 指物、四方竪六尺五寸、横四尺二寸、持手具足皮笠、金銀之間ニ而紋可出
一本 鑓、二間之中柄、金銀之間可推、持手具足皮笠、同理
一騎 馬上、甲大立物、具足手蓋面肪
己上三人

(これによれば、指物持ち一人、鑓持ち一人を従え、小熊総七郎は自ら馬に乗り、計3人が出陣したことがわかる)