堀田氏 塩田氏系図によれば、細桙城主塩田右近大夫政繁の家臣に堀田鳴海がいる。
保土原氏 二階堂氏の一門・一族の保土原氏を参照してください。
前田川氏
(前田河氏)
須賀川城に籠城した武将に前田河信濃守(藤)がいる。前田川氏は前田川村(須賀川市大字前田川)に所領があったことから称した在名と考えられる。常松氏系図には享禄元年(1528)前田川館を佐藤但馬守に渡すとあり前田川氏は本姓佐藤氏か。「岩瀬郡誌」にも前田川村上の台館(前田川館)の館主は二階堂家臣佐藤氏でこの地の居住者はその後裔で今なお佐藤氏を称するとある。なお、この佐藤氏はその系図によれば在原姓を称している。
前田沢氏 『奥羽永慶軍記』巻之十七の「須田美濃守遣飛脚矢部保土原事」により前田沢蔵人が須賀川城に籠城していたことがわかる。それによれば落城の際、身の危険を顧みず床の間にあった二階堂家の巻物を取りに行って焼死したようである。二階堂家臣の中でも忠義心の厚い侍であった。
前田沢蔵人は安積郡前田沢城(郡山市喜久田町前田沢)主前田沢兵部少輔の一族であろうか。前田沢氏は伊東氏の庶流で、伊東祐長の二男祐光の末流が前田沢村に居住し称したとされ、「田村伊達略記」には伊東十郎左衛門尉祐能の末葉前田沢越後守祐昌が前田沢城に在城するともある。
津軽藩士伊東氏は前田沢城主前田兵部祐為の子孫と称している。
黒月氏 為氏の下向に従った侍に黒月右衛門(白)、黒月與右衛門(藤)と須賀川城に籠城した武将に黒月與右衛門がいる。
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