鏡沼氏 須賀川城に籠城した武将に鏡沼大膳(藤)がいる。その名前は鏡沼村(岩瀬郡鏡石町鏡田字鏡沼)に由来すると考えられる。常松氏系図によれば、鏡沼大膳の父は鏡沼大蔵である。また鏡沼の西行寺は永禄年間(1558〜1570)に鏡沼藤内による開基と伝わる。
影山氏 須賀川城に籠城した武将に影山与惣六郎、影山長三郎、影山又一郎(藤)がいる。
鹿島氏 為氏の下向に従った侍に鹿島隼人(白)(藤)、須賀川城に籠城した武将に鹿島彦八郎(藤)がいる。鹿島村(岩瀬郡鏡石町鏡田字鹿島・東鹿島)は鹿島氏に関連する地名と考えられる。
樫村氏 為氏に従った侍に樫村清兵衛(白)がいる。
片寄氏 為氏に従った侍に片寄新蔵人(白)(藤)が、須賀川城に籠城した武将に片寄新蔵人がいる。片寄氏は岩城郡片寄村(福島県いわき市平)を発祥とする岩城氏族であろう。
川田氏 「岩瀬郡誌」などによれば、川田氏は川田館(須賀川市大字今泉字旧館)を居城としていた。この館跡に一基の五輪塔があり川田太郎左衛門尉、河田修理、川田山城守と刻まれているという。その後裔を称する川田家には二階堂為氏発給の書状が3通残されていて、その宛所は川田修理と川田山城守であるという。またその書状には今泉城臣とあり、川田氏は今泉城主の与力であったと考えられる。
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