鎌倉府政所執事
建武三年(1336)十一月に足利尊氏が室町幕府を開くと、鎌倉府は関東八カ国に伊豆・甲斐・信濃国を加えた十一カ国を支配するために、暦応年間(1338〜1342)中頃に形が整えられたと考えられている地方統治機構である。鎌倉府の財政を担当する役所が政所で、執事はその長官である。生田本『鎌倉大日記』によると、初期の政所執事については記録に混乱があり不確定な部分もあるが、康安元年(1361)に政所執事と関東管領を兼務していた畠山国清が失脚してからは、二階堂氏が執事職を独占していることがわかる。
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氏名 法名 通称・官途・受領名 在職期間(推定を含む)
長井広秀 大膳権大夫 建武元年(1334)〜暦応元年(1338)
?兼政 筑前守 暦応元年(1338)〜暦応三年(1340)
二階堂行直 山城守 暦応三年(1340)〜観応二年(1351)
二階堂行元 行照 山城判官・山城中務少輔 観応二年(1351)〜文和元年(1352)
二階堂成藤 安芸守 文和元年(1352)〜文和二年(1353)
栗飯原清胤 道最 下総入道 文和二年(1353)〜文和四年(1355)
二階堂成藤 安芸守 文和四年(1355)〜延文元年(1356)
畠山国清 道誓 修理権大夫・阿波守 延文元年(1356)〜康安元年(1361)
二階堂氏貞 山城宮内少輔 康安元年(1361)〜貞治元年(1362)
二階堂(行春) 忻恵 駿河入道 貞治元年(1362)〜貞治二年(1363)
二階堂行種 道超 正五位上左衛門大尉 貞治二年(1363)〜貞治四年(1365)
二階堂行詮 信濃民部大輔 貞治四年(1365)〜貞治六年(1367)
二階堂氏貞 行康 山城宮内少輔 貞治六年(1367)〜応安二年(1369)
二階堂行種 道超 応安二年(1369)〜応安五年(1372)
二階堂行詮 及(友)政 式部大輔入道 応安五年(1372)〜永和元年(1375)
二階堂氏貞 行康 永和元年(1375)〜康暦元年(1379)
二階堂行詮 及(友)政 康暦元年(1379)〜康暦二年(1380)
二階堂氏貞 行康 康暦二年(1380)〜永徳二年(1382)
二階堂行詮 及(友)政 永徳二年(1382)〜永徳三年(1383)
二階堂貞盛 因幡三郎左衛門尉 永徳三年(1383)〜至徳元年(1384)
二階堂清春 下野守 至徳元年(1384)〜康応元年(1389)
二階堂行詮 及(友)政 明徳元年(1390)〜明徳三年(1392)
二階堂定種 三河前司(前三河守) 明徳四年(1393)〜応永二年(1395)
二階堂氏盛 下総守 応永三年(1396)〜応永十一年(1404)
二階堂? 前駿河守 応永十一年(1404)〜応永十二年(1405)
二階堂? 前山城守 応永十二年(1405)〜応永十三年(1406)
二階堂氏盛 (下総入道) 応永十四年(1407)〜応永二十三年(1416)
二階堂 行祟 駿河入道 応永二十三年(1416)〜正長元年(1428)
二階堂盛秀 前信濃守 正長元年(1428)〜永享三年(1431)
二階堂? 散位 永享三年(1431)〜永享六年(1434)
二階堂盛秀 永享六年(1434)〜永享十年(1438)
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