関東廂番
元弘三年(1333)六月、後醍醐天皇によって新政権が樹立されると、同年八月五日足利尊氏は武蔵守に任ぜられ、尊氏の意を受けた弟相模守直義が成良親王を奉じて同年十二月十四日鎌倉に下向し、関東十カ国経営に着手した。
関東廂番は成良親王・足利直義を補佐するため、鎌倉将軍府(鎌倉小幕府)に置かれた軍事・検断組織であり、引付・内談の機能も兼ねていたと考えられている。
氏    名
一番 (渋川)刑部大輔義季
長井大膳権大夫広秀
?左京亮
仁木四郎義高
武田孫五郎時風
河越次郎高重
(二階堂)丹後次郎時景
二番 (岩松)兵部大輔経家
(上杉)蔵人憲顕
(藤原)出羽権守信重
(三浦)若狭判官時明
(二階堂)丹後三郎左衛門尉盛高
(二階堂)三河四郎左衛門尉行冬
三番 (吉良)宮内大輔貞家
長井甲斐前司泰広
那波左近大夫将監政家
?讃岐権守長義
(二階堂)山城左衛門大夫高貞
(中原)前隼人正致顕
相馬小次郎高胤
四番 (一色)右馬権助頼行
?豊前前司清忠
宇佐美三河前司祐清
天野三河守貞村
小野寺遠江権守道親
(二階堂)因幡三郎左衛門尉高憲
遠江七郎左衛門尉時長
五番 (石塔)丹波左近将監範家
(二階堂)尾張守長藤
伊東重左衛門尉祐持
後藤壱岐五郎左衛門尉
(二階堂)美作次郎左衛門尉高衡
(二階堂)丹波四郎政衡
六番 (吉良)中務大輔満義
(上杉)蔵人伊豆守重能
?下野判官高元
高太郎左衛門尉師顕
加藤左衛門尉
?下総四郎高家