奥州における太閤検地
奥州会津検地条々写 相馬領検地目録 相馬領文禄検地沙汰
上田一段 永楽銭200文 1石 1石5斗(300文)
中田一段 永楽銭180文 9斗 1石3斗(260文)
下田一段 永楽銭150文 7.5斗 1石1斗(220文)
上畑一反 永楽銭100文 5斗 1石2斗(240文)
中畑一反 永楽銭80文 4斗 1石(200文)
下畑一反 永楽銭50文 2.5斗 8斗(160文)
屋敷 (永楽銭100文) 1石2斗(240文)
天正十八年(1590)八月九日に発せられた豊臣秀吉御朱印状の写しである『奥州会津検地条々写』では、田畑の等級を上・中・下に区別し、生産高ではなく年貢高で、しかも石高制をとらず永楽銭による貫高制で記されている。

一方、同年の『相馬領検地目録』では石高制で記されており、両方を照らし合わせると、田畑の年貢高は5石=1貫文と計算されている。

『奥州会津検地条々写』には、この他に、
山間部の畑や漆木は年貢をかけるかどうかよく見極めること。
田畑とも一段(反)につき、五間・六十間(三百歩)に定めること。(一間=6尺3寸竿≒191cm)
などの条目がある。

屋敷一軒の棟役は100文となっているが、戦国大名留守氏の場合は在家一軒200文であったので、これと比較すると徴税高は半分になっている。

また、文禄二年(1593)に行われた相馬領の文禄検地では検地基準がより厳しくなっていることがわかる(『相馬藩政史』収録の「文禄検地沙汰」より)。

参考までに、戦国時代の後北条氏の検地基準を示すと、田一段=500文、畑一段=165文であった。
1000文=1貫文
1石=10斗
1斗=10升
1升=10合
1(段)反=10畝=300歩=300坪≒10アール