侍大将名 馬上侍数 足軽数 従者
その内陪臣 鉄砲 歩行侍、中間、小者など
佐竹主計(北) 24 (5) 40 25 10 75 220〜 319〜
引渡、角館所預5700石(5731石)
佐竹主殿(東) 23 (9) 40 25 10 75 220〜 318〜
引渡、5600石(5605石)
佐竹石見(小場、西) 23 (13) 40 25 10 75 220〜 318〜
引渡、大館所預9000石(5801石)
佐竹淡路(南) 23 (13) 40 25 10 75 220〜 318〜
引渡、湯沢所預8200石(5720石)
石塚市正 23 (1) 40 25 10 75 220〜 318〜
廻座1700石(1255石)
戸村十大夫 24 (8) 40 25 10 75 220〜 319〜
引渡、横手所預6000石(5463石)
多賀谷左兵衛 23 (8) 40 25 10 75 220〜 318〜
引渡、檜山所預5000石(3376石)
向源左衛門 23 (6) 40 25 10 75 220〜 318〜
廻座、横手組下支配5000石(2486石)
渋江宇右衛門 23 (5) 40 25 10 75 220〜 318〜
廻座、刈和野組下支配4500石(2919石)
須田主膳 23 (2) 40 25 10 75 220〜 318〜
廻座、2600石(1642石)
十一 佐藤忠左衛門 23 (4) 40 25 10 75 220〜 318〜
廻座、2500石(880石)
十二 梅津半右衛門 23 (13) 40 25 10 75 220〜 318〜
廻座、角間川組下支配8000石(3623石)
278 (87) 480 300 120 900 2640〜 3818〜
秋田久保田藩の軍編成
 下記の軍編成は、延宝五年(1677)の「遠路軍役騎馬目録」などから作成したものです。
 幕府から求められた軍役数に沿って作成された派遣計画書という性格かと思いますが、佐竹氏の軍編成を知る上で参考になるものです。
(馬上侍は概ね八十石以上の武士であるが、「大阪冬の陣」の軍役負担は三百石一騎で、Aという百石取りの武士が一騎を仕立てて出陣する際は、B・C・Dという武士が石高に応じて二百石分の人数とお金をAに差し出すという形であったようです。
陪臣とは旗本・侍大将・大身家臣の家来のことである。侍大将の石高は時代により変遷するが参考までに記載した。カッコ内は秋田武鑑に記載してある石高である。)
十二備(軍)
旗本
馬上侍 足軽数 従者
その内陪臣 籏持ち 鉄砲 その他 歩行侍、中間、小者など
109 (13) 50 80 25 20 50 225 900〜 1234〜