天正十九年(1591)九月、伊達政宗は大崎・葛西一揆扇動の責めを問われ旧大崎・葛西領に減知移封されたのを受け、米沢城から岩出沢城に移り、岩手沢を岩手山と改める。

慶長五年(1600)十二月二十四日、戦国大名国分氏の居城であった千代城を新居城の城地と定め、縄張りの儀を行うとともに千代を仙台と改める。

翌六年(1601)一月十一日、後藤信康、川島宗泰、金森隠岐守を普請奉行に任じ築城に着手。
同年四月十四日、伊達政宗は未完成の仙台城本丸に移る。

同年八月、仙台城で正式に新築落成の儀が執り行われ、ここに仙台藩が成立した。

尚、本丸大広間が完成するのは慶長十五年(1610)になってからである。

寛永十一年(1634)八月四日、将軍徳川家光から六十一万五千石の知行判物を賜り、二日前に加増された近江国五千石を加えた仙台藩六十二万石の表高はここに定まった。
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仙台藩の成立