本多忠勝の遺言
「徳川四天王」の一人、本多忠勝は生涯に五十七度の合戦を経験したとされるが、ただの一度も不覚を取らず、身に一カ所の手疵も負わなかったと伝わっていて、徳川家康も彼のことを八幡大菩薩の再来と称している。下の言葉は彼の遺言の一節である。
「侍は首取らずとも不手柄なりとも、事の難に臨みて退かず、主君と枕を並べて討死を遂げ、忠節を守るを指して侍と曰ふ。(中略)・・
譜代の君を棄てて、二君に仕ふる輩あり、夫れ心と云うものは、物に触れ移り易きものなれば、仮初にも士道の外を見聞きせず、武芸文学をするにも、忠義を心掛け天下の難を救はんと志すべきなり。」