私が須賀川市にある菩提寺を訪れた時の話をしようと思います。その寺は須賀川市内から阿武隈川を越えて行った山里にある小さなお寺で、そこの住職が私に語ってくれた話です。天海上人とは後の天海大僧正のことで、徳川家康のブレーンとなり「黒衣の宰相」とも呼ばれました。もともとは会津出身の人と言われていますが、別に明智光秀と同一人物であるという説があることでも知られています。
 真偽のほどは私には分かりませんが住職が言うには、天正元年(1573)に天海上人がその寺の住職を務めたというのです。天海上人が川越の無量寿寺の仏蔵房北院に入山したのが天正十六年(1588)であるから、その十五年前です。天海上人は当時では珍しく高齢で亡くなっていて、寛永二十年(1643)に亡くなり百十余歳であったと言われております。これも住職から聞いた話ですが、手帳に残っていたので記します。天海上人の長生きの秘訣をお教え願いたいとある人から聞かれて答えた言葉ということです。
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  百歳の生を得ようとせば

   勤を硬く

   色を薄く

   食を細く

   心を広くせよ