コーナー                       

                今になって思うこと                     

                                            

      
      14年前の出来事でした。 次女が蓄膿症との診断で病院に入院治療しておりましたが

     症状は進むばかりでした。何日経った頃だったでしょうか、耳にした事もないような病名の

     悪性の病気だといわれた日から、私が住んでいたはずの世の中が別の場所に思えるよう

     な空虚な空間に入り込んでしまいました。そして病名だけが重くのしかかっていました。 

     テレビの中で楽しそうに歌っている人にまで腹立たしさを感じたり、友人にまで隔たりを感

     じて孤独感に陥りました。 当時、私は肉腫だのガンだといえばもうダメなのではないか・・・

     という位の古い貧しい知識しかなく、その上、お世話になっていたのは大きな総合病院で

     したが「この病気は初めてで・・・」と言われ不安でただオロオロするばかり、私が代わって

     あげられたら・・・という叶わぬ望みだけが心を占領していました。 

     息を吸おうとしても肺
に空気が入って来ないような数日が続きました。                                                             
 
          そんな泥沼でもがいている私に、全く面識もないのに有名な小児医からお手紙が

      届きました。 知人が情報を探して相談した方から数人を経て娘の状況が伝わり、

      娘の病気に対する現状認識と方向性を示す内容が簡単にですが分かりやすく説明さ

      れていました。大病院の有名な先生でありながら名前すら知らない子の病気にまで心

      を配って下さったお手紙を戴き、やっと私達も顔を上げて立ち上がる事ができました。 

       それは正に私達にとって泥沼に下ろされた蜘蛛の糸でした。 

        主治医の許可を頂き、ガン専門病院の小児科に転院できてからは、娘も私も孤独に

       病気と闘ってはいませんでした。 そこには同じような仲間が沢山いて、辛い治療の理解

       者も沢山応援してくれていました。 再々発を乗り越え数年後結婚した子、一度

       ホスピスを紹介された状況から回復して大学生になった子、ボランティアの方々や患児

        の家族・・・心情を共有できる仲間がいて親も子も安定した前向きな気持ちを取り戻す

       ことができました。辛い治療の合間には楽しい時間もありました。                                                                                          
                
       
 


       残念なことに娘の治療は上手くいきませんでした。 症例の少ない病気で判断が

      つかずに開けてしまい、初期治療も遅れてしまっていました。 悪性の病気ですから

      100%の子が治癒する訳ではないと分かってはいました。同じ病気の子供達が沢山

      治っているのです。ずーと望みは捨てずにいました。 

 

        10年以上経った今、こうして当時を思い出すと、不思議と病院で楽しそうにしていた

      娘
の顔が思い出されます。残っている写真が院内でのハローウィンやお花見、夏祭りなど

      の
イベントやお料理会などのパーティーの時で、どれも笑っていてくれるからかもしれません。 

      もちろん辛い事は沢山ありました。 「患者って心を串刺しにされた者って書くんだよね。」

       と高校生の子が言っていたことを思い出します。 私達親も同じです。

       でも面談室で主治医から泣き叫びたいほどの状況を聞かされても泣けないのです。

       目が腫れてしまうからです。子供達はどんなに小さくてもお母さんの様子を読み取って

      しまい不安になるのです。 だからドアーを開けて廊下に出た途端、みんな母さん達は

      女優になります。 そして明るく元気に子供達と楽しい時間を過ごすのです。

      娘のいない事実は消しようもない寂しさですが、
     娘を愛する気持ちも感謝も消える事はありません。          
                                                                                                                                                                                                                                                              
       
       そんな忘れる事などありえない2年8ヶ月は私の人生観も変えました。 心の痛みにも
強く
    
     なったように思います。ストレスに鈍感になったという方が合っているのかもしれません、きっと。


     病気と闘うなんて悲しい事は、出来れば子供達に経験させないほうが良いに決まって
います。 

     でも、それを乗り越えた患児たちは、困難に立ち向かう力や弱い立場の人
に向ける優しい

      心を必ず手に入れています。 それは10年経って分かった事です。 

     沢山の仲間が病気を克服し素晴らしい学生や社会人になっているからです。 また患児だけ

     でなく、兄弟として患児の闘病を見ていた子達に医療関係の仕事を目指し
たり、ボランティア

     に係わっている子が多い事も分かりました。 

     「人生、万事塞翁が午」
そんな言葉の意味がしみじみ分かる歳になりました。

       

       
         今、難しい病気と向き合っていらっしゃる方がいるとしたら、心からのエールを送りたい

     と思います。 10年前も小児がんの治癒率はかなり高く、その現実を知らなかった私は

     その素晴らしい数字に驚いたものでした。 

     でも、たぶん現在はもっともっと医療の現場は進んでいると思います。 主治医をはじめ

     小児科の先生方は最善の治療を考えて下さっていると思います。 

     「頑張って」と言われると、「何をどう頑張れっていうの」・・とか、「言うのは簡単だわ」と、

     素直に受け止める事が出来ていなかった時もありました。 でも、病気と闘っている子を

       応援する
立場になった今、「頑張って」は周りの人の心からのエールだったとわかります。

     お母様が元気でないと子供さんは元気になれません。 どうか頑張ってください。
                                                        

                                                      

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