9時〜10時 討論 1(★伴 一孝先生の発問で)
「よいながめ」というのは「三年とうげ」で見ているのですか。それとも「ふもと」で見ているのですか。
ノートに書き、討論する。
☆我がクラスでは言葉を根拠に意見をまとめる事に慣れていなかった。そのため、この討論はややむずかしかったようだ。
11時〜13時 討論 2 (★伴 一孝先生の発問で)
おじいさんが腰を下ろして一息入れたのは、どのあたりですか。
☆おじいさんの位置を絵に描かせることで、どの子も喜んで取り組んだ。
意見はほぼ3つに分かれた。
・「三年とうげのてっぺん」派・・・「うつくしいながめ」が見えるのはてっぺんである。(多数)
・「とうげに行く途中」派・・・・・・・転んだときに「三年とうげにさしかかりました。」とあるから、休んだのはまだ手前だ。(ごく少数)
・「とうげをすぎたところ」派・・・・・(根拠がなくすぐにつぶされた)
☆討論は盛り上がり、討論をしながら意見が変わる児童もいた。辞書を片手に何時間も討論がつづいた。
「さしかかる」
さしかか・る 4 0 【差し掛(か)る】
(動ラ五[四])
(1)移動していて、ちょうどある地点に至る。通りかかる。
「いよいよ最後の急坂に―・る」
(2)ある時期にはいる。その時期・状況になろうとする。
「雨期に―・る」
(3)上からおおいかぶさる。
「木ノ枝水ニ―・ル/日葡」
三省堂提供「大辞林 第二版」より
凡例はこちら
この「さしかかる」が決め手になって話し合いが進められた。
ちょうどその地点に至るということで峠付近であることが子供たちも
気づいたようだ。登ってすぐの所と考えた子は、否定された。
しかし、峠の手前か峠を越えた後かでは、二つの意見に分かれた。
決定的な証拠の文がないので、両方正解として次に進めた。
この発問のすごさを実感した。ただ、ノートに意見を書くときに「言葉を根拠にして自分の考えをまとめる」という事ができず、とまっどっている児童も多かった。くり返した指導の必要を感じた。
☆「おじいさんの転んだ所はどこか」ということから、「とうげよりかなり手前」ということになった。
峠を考え場合、山の一番上の部分である
ある子が、三年峠で転んだのだから、峠でころんだに違いないと発言した。
これには、教師も考えてしまった。辞書では
とうげ
山のさか道を上りきって、そをすぎれば下りになるというところ。
と辞書には書かれている。そこを発言したのだ。
ほとんどの子供は、
文『お日さまが西にかたむき、夕やけ空がだんだん暗くなりました。』
ここを証拠にして、発言する子が多くいた。
峠をどのように解釈するか
個人的には、三年峠とは上り道から下り道までのことを言うだろうと思う
だから、峠よりしばらく行ったところでおじいさんは倒れたことになる。
そのように解釈をしたい。
大勢の子供たちはそこまでは峠付近と考える子供たち納得させることは
できなかった。しかし、この発問で子供たちの意見は活発になったことは確かだ。
ところで
話し合いの仕方であるが
この授業ではネーム板を黒板に貼って自分の意見を明確にした。
それによって子供たちの考えが明確になり、発表しやすくなる。
「かなり手前」の絵を描いていた児童はわずか2人で(28人学級)逆転現象が起きた。
14時 「一字読解」(★高橋 健司先生の発問)
(1) 反物とはなんですか。(着物を作るための布)
(2) おじいさんは何につまずいたのですか。(石)
(3) おばあさんがおじいさんのためにしたことを3つ書きなさい。(お医者を呼ぶ、薬をのませる、つきっきりで看病した)
(4) おじいさんの見舞いに来たのはだれですか。(トルトリ)
(5) トルトリの仕事はなんですか。(水車屋)
(6) 水車屋ってどんな人?(水車を使い米や麦を粉にひく仕事をしている人)
(7) トルトリは本当に見舞いに来たのですか。「本当」「うそ」と書きなさい。
(うそ)
(8) では何をしにきたのですか。(おじいさんの病気を治しにきた。)
(9) トルトリは「どこ」で「なにをする」とおじいさんの病気が治ると、言いましたか。
(三年峠でもう一度転ぶ)
(10)「ばかな」といったおじいさんは、もう一度転ぶとどうなると思ったんですか。(もっと速く死ぬと思った)
15時 主題を書く。
主題というのは「物語が読み手に伝えようとしているメッセージ」です。
「人の世は〜」
「人間は〜」と書き始めてごらんなさい。
16時 全体の感想を書く。