私の文章作成環境


 この文章を読んで本当にそう思って、VZも買った。当時はまだ5インチフロッピーであった。仮名漢字変換は、ATOK6を使い、1枚のフロッピーにうVZとATOKを入れて仕事をしていた。本当に早くてうれしくなったことを覚えている。また、VZはカスタマイズができ、いっぺんで開くことのできるファイルが自分で指定できたりした。僕にとってもすばらしいソフトであった。当時9800円定価で7000円ぐらいで購入した。



1991.6.1号 ASAHIパソコン  p102  
私の私の文章作成環境  西田雅昭著
ソフトの操作について二度ほど書き、日本語ワープロの使いにくきについても書いだからであろうか。「お前はどうやって、原稿相を書いているのだ」というご意見をたまわった。そこで、私が日本語で文章を書いている際の姿を白状することにする。
 私は恐るべき悪筆であるので、PC‐8801のころから(最初のコンソール付きのパソコンはタンディであったので、漢字は望むべくもなかった)日本語ワープロソフトを使っていだ。これは「コマス」という会社の製品で、当時としては非常に優れたソフだった。
 工ンドユーザーのコンサルテイングをする機会が多かったので、8ビットのころから漢字を使うことについては、いろいろ挑戦をし、自分でもプログラムを書いだりしていだが、データ処理ならいざ知らず(CP/M+のRAMディスクにほれて、最初のRAMカードを作るお手伝いもした)、文書を作るだめの道具としてはとても無理だっだ。pc‐9801の世界になり、最初の本格的なかな漢字変換ソフトであるVJEが現れたとき、かな漢字変換のすばらしさから、これで文書はワープロで書くことができると確信した。しかし、W0RDSTARなどで英文を書いた経験からは、当時の日本語ワープロソフトはとても使いものにならなかった。当時から文章の印刷の際の飾りよりも、文章の編集能力に関心があったので、工ディターを使うことが多かっだと思う。
 ひょんなことから、開発中のEZエディタを知り、これにのめり込むことになった。こればど小さなサイズで、切れのよいソフトは、いまだに見当たらない。操作や機能について、自分の意見を受け入れていだだけだ喜びもあっだであろうが、以後、文章もプログラムもすべてEZ工ディタの上で書くことになった。活字の上でも推薦の言棄ばかり書いていたので、自分がこれを使うのは当たり前のことだっだろう。
 飾りを付けて印字する際は、ワープロソフトのお世話になることもあったが、面倒なので、ターポパスカルでレポートジェネレータのようなものを作ってしまった。ものを書くという立場と、工ンドユーザ一のコンサルティングのだめに、いろいろな日本語ワープロソフトを購入し、いろいろな漢字変換も使っだが、どうしてもなじめなかった。
 その後爆発的に流行したATOKは、ワープロソフトの一太郎を購入しないと使えなかったし、タイピストに打たせるとたちまちハングアップする。しかも、他のソフトの上で使うとご機嫌を損ねるなど、あまりにもひどかっだ。一太郎自体も、メジャーなソフトとはひどく食い違う奇妙な操作体系で、なぜこれが売れるのか不思議でならなかつた。

書き手の意見が皮映された
VZ工ディタ

VZ工ディタの製品化に際しては、最初からお手伝いさせていだだいだ。このソフトはスペックについて、多くの人々の意見が反映されていだので、文章を書いたり編集をしたりする人の意見も、すみずみまで考慮ざれている。
 まず、どのような漠字変換でも何の違いもなく動く。たった9800円で、1本買えば、PC‐9800/286、J‐3100、AX、旧MPC、PS/55、FMRと、どのマシンでも動く。最近はDOS/Vでも動くようになった。サイ
ズが小さくどのようなディスクにもちょいと入れておくことができる。私のダイナプックにも常にVZ工ディタが入っている。そして瞬時に起動する。これでは、他のソフトは使う気がしなくなってしまう。
 VZ工デイタの宣伝のようになってしまったが、実際に文章を書くときにどのように便利なのであろうか。

文章作成に必要な繊能とは

 文章を書くときに、もっとも必要なことは、思考の流れの邪魔をしないことである。そして、文章は書き直すことが多いということである。ある程度タイプが上手になると(私自身は英字で40ワード/分、カナで30ワード/分がやっとで、あまり上手ではない)、コンピュータに待たされるのがつらくなるし、あちこちのおかしなキーを打つのも嫌なものである。文章の訂正も、言葉の追加も、スムーズに動くものでなければならない。VZ工ディタの切れ昧は抜群で、文の挿入でも、異なる文書の切り替えでも、文末への移動でも一瞬で終わる。
 検索や置換は、1万字の文書で50カ所くらいの置換をやるのでも1秒とはかからない。他の文書から部分を切り取ってきて貼り付けるのも一瞬である。しかもファイラという機能を持っているから、ファイルの管理もVZ工ディタから離れず楽にできる。文書を書く際には、文字数や行数が問題になることもある。文字数や行数、ページ数は常時チエックできるし、1ページの行数や1行の文字数も一瞬で変えられる。
 かな漢字変換を使って日本語を書くのは煩わしい仕事である。VZ工ディタでは、変換が面倒で頻繁に出てくる言葉は、登録をしておいて、1ストロークで画面に移したり、複数語を登録しておいて、検索しながら画面に移す機能もある。まだ英数字の全角半角変更の機能は編集者にとって必須であろう。複数の文書の相違点を次々に指示してくれる機能は一度使ったらやめられない。コンピュータに関する原稿を書くときは、D0S上での出カ画面を一方で見ながら、切り貼りができる機能もうれしい。
 私の場合は、パラグラフやタイトルにジャンプする機能を利用して、アイデア・プロセッサとしても使っているし(dBXLを利
用して、自動的に文章を整理することもやっている)、電辞林FPを組み合わせると、翻訳の際に英文と翻訳文を二つ表示し、英語の単語にカーソルを合わせて、訳語を翻訳文のところへ自動的に持って来るといっだ翻訳もやったことがある。

ワープロは清書用か編集用


 またまたVZエディタの宣伝になってしまったが、文書を書くときには、飾りの機能よりも編集の機能の方が大切だということを強調したかったのである。現実に作家の方々で、文章を書くときは工ディターを使うという方もどんどん増えている。日本語ワープロが文章を書く場合の本当の道具となることを待ち望んでやまない。日本語ワープロは、見た目の美しい印刷をすることで競争をしているために、ますます文章を書くだめの道具から遠ざかっているような気がしてならない。これがやめられないならば、文章を書き編集するソフトと、清書するソフトを分けてしまえばよい。
 現実に、私の日本語ワープロのソフトは、他人のファイルを見るだめと清書のだめだけに限られてしまった(最近は、3000円の
シエアウエア[PRT++のお陰で、印字にも使わなくなった)。このようなサイズが小さくて、スピードが速いソフトを選んで使っている際には、マシンスピードもあまり気にならない。私の場合、プログラミングなどはlBMPCで行っているため、1年半ほど前までPC‐9801Fを現役として使っていだし、現在も工プソンのもっとも古いPC‐286を通常使っている。だだ、工ディター本来の用途であるプログラム開発の際には、Briefというエディタ一が最良であることを申し添えておく。




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