向山型算数教え方教室 5月号
向山洋一 巻頭論文を読んで
算数授業へのこだわり
君子ぱ行いをもってて言い 小人は舌をもって言う(王腸明) 向山洋一 「向山型算数」を知って,その効果にびっくりした教師は,実は「算数指導法」より,もっと大きなものを手に入れたことになる。それは,「授業の基本」を,初めて知ったということなのである。「教え子」は,指導者によって伸びもすれば伸び悩みもする。高校野球が,いい例だ。甲子園に出てくるようなチームは,素質のある子が全県,時には全国から集まる。しかし,それだけでは,全国区で通用しない。それを指導する一流の指導者,つまり監督がいる。こちらの方が大切だ。一流の指導者が,オンボロ野球チームの監督について「出ると負け」が直ちに「たまに勝ち」になり,あっという間に「ほとんど勝ち」の状態にしてしまう。1,2年もすれぱ「出ると勝ち」の状態になり,ついには何十年も夢見た「甲子園のキップ」を手にする。その時の選手は,どこにでもいる野球好きの少年たちだ。その子たちを,全国のトップレベルまで,ひきあげるのである。これが指導者の役割だ。野球チームに限らず,集団,団体はすべて同じだ。 優秀な人材の集まる超有名会社でも,社の行く手を決定するのは,社長だ。社長1人で9割は決まってしまう。学校も同じである。斎藤喜博のいない島小学校は,ただの田舎の.学校だ。板倉聖宣のいない仮説実験授業は,ただの理科好きの集まりだ。教室でも同じである。教師によって,子どもは変わる。教師の指導カが9割の比重を持つ。間題は,その「教師の指導カ」である。教師は「指導カ」がないのである。 これは、向山洋一氏の巻頭論文の一部である。これだけでは論文の全体像はつかめないが、自分にとってたいへん納得できる内容なので、著作権の問題もあるがのせていただく。やはり教師によって子供は変わる。当然のことであるが、これにつきる。甲子園で戦う高校生も良き指導者に恵まれ、自分でも頑張る気持ちをもって取り組み出場できただろう。 ZONEというテレビ番組で、樹徳高校の甲子園をめざす取り組みを放映した。一流の監督は、妥協を許さない練習を来る日も来る日も続け、それに子供たちはついて行った。大人の世界ではとうていいやになってしまうであろうことを高校生は、一つの目標(甲子園)に向かって一生懸命に取り組んでいた。結局樹徳高校は、甲子園には出場できなかったが、高校生の心に、やればできるようになるという考えが芽生えただろう。 一方教育はどうだろう。クラスの子供たちが、教師の話を聞くことができたり、指示を理解し行動できたり、という当たり前のことができることがいいクラスかということになる。学級がどのような状態が、甲子園で勝つのと同じになるのか。その基準が実ははっきりしていない。テストの平均点を上げることが、よいクラスに結びつくのか、これも疑問に残るところである。 クラス作りの基準がはっきりしないので、教師の価値によって学級も変わってしまう。周りもそれぞれの先生の主張を認め合う。これが本当は現状ではないか。教師と子供との関係がよい状態であれば、それに対して批判する人はいない。 私個人としては、子供が生き生きと授業をし、しかもテストの成績もいいそんなクラスが一番いいのではないかと考えている。保護者も望むところだろう。休み時間にはよく遊び、授業中には真剣に取り組む。それが理想である。 スポーツでは試合に勝つこと、ビジネスでは営業セールスを上げることがよい基準と決まっている。教育はいろいろ価値観がありすべてひとつに統一できない。これが難しいところである。 自分なりのしっかりとした教育観、指針をもち、信念をもって取り組むことが重要だ。 |