知的生産の原点


                                            1990.03.15
*以下の文は、梅棹忠夫先生の知的生産の方法を自分なりにようやくしたものである。もちろん著作権は著者が所有するが、この本の紹介として書かせていただきたい。この本の衝撃は僕にとってはたいへん大きなものであった。


読書録
知的生産の技術
                                 梅棹忠夫
はじめに
「芸のこつというものは、師匠から教えてもらうものではない。ぬすむも
というのである。教える側よりも習う側に、それだけ積極的意欲がなくては、何事も上達するものではない。
もし学校において、教師ができるだけ教えまいとし、学生はなんとかして教師から知恵を奪い取ってやろうと努める。そういうきびしい対立と抗争の関係が成立するならば、学校と言うものの教育的効果は、今の何層倍かにのぼるのではないかと、私は想像している。

現象を観察し記録するのはどうするのがいいか、あるいは、自分の発想を定着させ展開するにはどういう方法があるか、こういうことを、学校でなかなか教えてくれないのである。
知的生産とは頭を働かせて、何か新しいことがらー情報ーを、人に分かる形で提出することなのだ。
この本のねらいは、研究の仕方や、勉強の仕方が書いてある、思われても困る。議論の種をまいて、刺激剤を提供するだけである。


1、発見の手帳

レジュコーフスキー『神がみの復活』 ダビンチの発見の手帳
ダビンチはいつでもどこでも手帳をつけていた。それをまねたのである。
私が手帳に書いたのは発見である。毎日の経験の中で、何かの意味で、これはおもしろいと思った現象を記録するのである。ある意味ではそれはそのままで小さな論文ーないしは論文の草稿ーとなりうるような性質のものであった。その内容は犬にかまれたときに、傷の後の歯形が、どういう形に並んでついたかとか、「すもうとり人形」の構造とか、その日の食べ物の種類と味の記述だとか、ニンニクの学名についての考察だとか、
文で書く
発見の手帳の原理は何事も徹底的に文章にして、書いてしまうのである。小さな発見、かすかなひらめきをも、にがさないできちんと文字にしてしまおうとするやり方である。
「 発見の手帳」をたゆまず続けたことは、観察を正確にし、思考を精密にする上に、非常によい訓練法であったと、私は思っている。
有効な素材蓄積法
発見のあるたびに、せっせと「発見の手帳」に書き留めて、蓄積を図ることにしたのである。
思考の構築のために、「発見の手帳」は、やはり大変有効な素材蓄積法であろうと、私は考えている。
手帳の構造
第一原則 いつでも身につけていなければいけない
索引を作る
一冊を早く使いきってしまうことであり、一冊を書き終えたところで、必ず索引を作る。借り物でない自分自身の思想が、しだいに、自然と形をとってあらわれてくるものである。

2、ノートからカードへ

ノートの欠点は、ページが固定化されていて、書いた内容の順序が変更できないことである。だから整理には不適切である。
3、カードとその使い方
紙質と印刷 カードはくるものである。繰り返しくるものである。カードは他人が読んでも分かるように、しっかりと完全な文章で書くんである。「発見の手帳」で述べたときに、豆論文を執筆するのだといったが、その原則はカードにおいても全く同じである。カードはメモではない。
 1枚1項目
必ず日付を付けたほうがいい。小さい要素に分けた方が成功する。1枚のカードに1行しか書いてなくてもかまわないのだ。
分類が目的ではない 一見なんの関係もないように見えるカーとカードの間に、思いかけぬ関連が存在することに気が付くのである。
これはいわば目に見えない脳細胞の働きを、カードという形で、外部に取り出して眺めるような物である。
カードは繰り返しくるのが重要なのである。いろいろな組合せを作る。それを繰り返せば何万枚のカードでも死蔵されることはない。
カード法は、歴史を現在化する技術であり、時間を物質化する方法である。
根気強くカードにかく癖をつけなければならない。

、切抜きと規格化
記事の大小に関わりなく、台紙1枚に記事一つという原則を堅くまもることにした。
オープンファイル方式がちょうどカードに当たる。ここまで来てはじめて、追加・変更・分類が自由自在と言うことになる。
台紙に張ると言うことも一つの規格化であるとともに、オープンファイルのフォルダーに入れるという操作もまたまた、一つの規格化である。今では本とカード以外の全ての資料を収容する資料庫となっている。

5、整理と事務

本居宣長の話 本居宣長は、自分の家の書棚から、明りをつけずに必要な本を取り出せたたという。
整理と整頓 物事がよく整理されているのは、見た目にはともかく、必要なものが必要なときにすぐに取り出せるようになっている。整理は機能の秩序の問題であり、整頓は形式の秩序の問題である。
おき場所の体系化 第一に重要なのは、「あり場所」が決定されている。整理の第一原則は、物の「おき場所」を決める、ということである。
元の位置に「戻す」ことが第二の原則。
垂直式ファイリング
分類形式をどうするか
徹底的に細分化しなければ、実際に役に立たない。細分化を進めると結局は固有名詞が単位になってしまう。
秩序と静けさ
人間を人間らしい状態に常においておくために、何が必要かということである。簡単に言うと人間からいかにいらつきをへらすか、というような問題なのである。 知的生産の一つの要点は、できるだけ障害物を取り除いて滑らかな水路を作ることによって、日常の知的活動にともなう乗除的乱流を取り除くことであると言っていいだろう。精神の層流状態を確保する技術だといてもいい。努力によってえられるものは、精神の安静なのである。

6、読書

本と言うものははじめから終わりまで読むものである。ひろい読みとかは、本の読み方としては、ひじょうに下手な読み方である。
本を読んだときには読書カードの作製ということを実行している。
本を読むということは、著者によって構築された世界の中に、自分自身を没入させるという行為である。それが出来なければ、本は理解したことにならない。
とにかく全巻を通読することこそ、第一であろう。
 読書ノート本を読んだ後何をするかというといよいよノートをつけるのである。全体の要約をのせるのもいいだろう。感想や批評をのせるのもいいだろう。
本を全部読む→ つんどく→ノートに感想などをつける。読書二編を実行
創造的読書  読書において大事なのは、著者の思想を正確に理解すると共に、それによって自分の思考を開発し、育成する事なのである。

7、ペンからタイプライターへ

8、手紙

新しい技法の開発  自分用の手紙のひな型を作ることである。第一に用紙の選定。必ず手紙専用の紙を用意する。これだけやれば手紙はかき易くなる。
手紙のコピー 手紙のコピーを取って保存しておくということは、手紙というものに取っての最小の必要条件だと思うのだが。
9、日記と記録
自分という他人との文通  日記というものは、時間を異にした「自分」という「他人」との文通であると考えておいたほうがよい。
日記というのは自分自身に取って、重要な史料なのである。
物事を記録せずに記憶する。はじめから、記憶しようとする努力はあきらめて、なるだけこまめに記憶することに努力する。これは科学者とは限らず、知的生産に携わるものん、基本的な心得背在る。

10、原稿

原稿はコピーするものである。

11、文章

文章が書けるということは、知的職業人の基礎的技能の一つである。分類するのではなく、論理的につながりがありそうだ、と思われる紙切れをまとめていくのである。何枚かまとまったら論理的に筋道が通ると思われる順序に、その一群の紙切れを並べてみる。そしてその端を重ねて、ホッチキスでとめるのである。 これで一つの思想が定着したのである。→これを「こざね」と読んでいる。庫の方法でやれば一応論理的でまとまった文章が書ける。→川喜田二郎「発想法」

終わりに
実行が肝心