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物語 ナポレオンの時代

Part 1
第一統領ボナパ
ルト


  
第1章 統領政のスタート


 5. 財政改革

 新政府のまえに立ちはだかる難問は山ほどあった。とくに財政の建て直し。これは待ったなしである。

 クーデタの翌日、国庫に残っていたのは16万7千フランに過ぎなかった。政令の印刷や地方への送料代にも不足する有様。

 ボナパルトはただちに銀行家たちに会って、300万フランの緊急融資を頼んだ。

 財政の赤字は昔からこの国の持病である。

 フランス革命が起きた理由のひとつ(それも大きなひとつ)は、国家財政の破綻だった。

 その革命から10年たったというのに、インフレ状態がいまも続いており、国のかかえる借金はいっこうに減っていない。

 ボナパルトは財政問題では素人であり、平均的な知識しか持たない。

 インフレを抑え込む。国債を発行しない。税収をふやす。この3つの方針を税務大臣ゴーダンに伝え、それを実行させた。 そして、強いリーダーシップを発揮して、つねに税務大臣を全面的にサポートした。

 徴税のやりかたがまず改められる。

 当時のフランスでは、選挙で当選した者が税金を集めていた。アマチュアがパートで仕事をしているようなもの。

 ゴーダンはそれに代えて、収入係や収税官などの専門職をおいた。徴税のためのピラミッド型の職階制をつくったのだ。

 収入係や収税官には、予定徴税額の5パーセントを前納させた。なにしろ国庫は空っぽなのだ。

 納税をスピードアップさせるために、最初に完納した県の名前をパリのしかるべき広場につける、と第一統領は約束した。

 ありとあらゆる方策を講じて、税金を効率的に取り立てようとした。

 一番乗りは、ヴォージュ県だった。バスチーユの牢獄に近いマレ地区にあるロワイヤル広場が、この1800年から、「ヴォージュ広場」と呼ばれるようになる。
         (続く)