エピローグ 19年後
8.ナポレオン伝説(V)
ところで、「ナポレオン伝説」とはいかなるものか?
端的にいえば、近代の英雄伝説である。
英雄(ヒーロー)とは、ヨーロッパでは古くからある言葉で、古代では神と人間の中間にある存在、
つまりは超人。
中世では殉教者がしばしば英雄とみなされた。
いわば各時代と社会における民衆の願望を実現する者が、英雄であった。
若き日のボナパルトは、無敵の将軍としてヨーロッパ各地で敵軍を粉砕し、軍神と称えられた。
加えて国内では、大革命後の混乱を収束させ、フランスに安定と秩序をもたらす。
コルシカの小貴族の息子に生まれたにもかかわらず、出世階段を急ぎ足で駆け上がって国家元首に、さらには皇帝にまでなった。
言い換えれば、人並み外れた「知」と「力」を兼ね備えた男であった。
このようなナポレオンを英雄とみなす者は、フランス国内はもちろん、ヨーロッパ各地に数多くいた。
たとえば、ベートーヴェン。
この著名なドイツ人作曲家は、作曲中の交響曲『英雄』を当初ボナパルト将軍に捧げるつもりでいた。
ところが将軍が皇帝になったと聞いて失望し、幻滅して、曲を献呈するのをやめてしまった。
この逸話によって、ナポレオンと英雄のイメージがベートーヴェンの中で重なっていたことが分かる。
皇帝に即位したあとのナポレオンは、このドイツ人作曲家が予想したように、人びとから自由を奪ったかもしれない。
しかし、平等をあたえた。
それによって、フランス革命の継承者として資格を得た。
やがてワーテルローで敗れて、失墜し、セント・ヘレナ島に流される。
ナポレオンについての暗黒伝説が広まる。
ところがフランスに戻ってきたのはブルボン王家だった。
ヨーロッパをふたたび支配したのは、保守反動のウィーン会議の精神だった。
人びとは、ナポレオンが過去を破壊し、新しい時代を築こうとして挫折した英雄であったことを思い出す。
ナポレオンの黄金伝説は蘇り、保守反動の時代への不満も重なって、その伝説はいっそう輝きをまし、フランス社会をそしてヨーロッパ全土を照らすまでになるのである。