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「志村、お前、プロにならないか」 行方(なめかた)がそう言ったのは三年ぶりだった。 確か、志村が高校の終わりの時にもそう言ったのだ。 「考えさせてください」 「もう十分考えたろ、この世界はな、若いうちしかできねえんだ。お前、もう二十歳だろ、これ以上遅れてどうする」 行方と志村には十年の付き合いがある。キックボクシングを始めてずっとだ。 感謝もしている。いかつい顔に、ごつい手、背も志村より高い。 でもはじめて会ったときより、皺がずっと増えたし、髪にも白いものが混じっている。 「自分の人生だから、ちゃんと考えたいんです」 「もったいねえなあ。もったいねえ、お前なら、タイトルが取れるかも知れないんだぞ」 「すいません」 その日は、もうその話はしなかった。 しかし、と志村は思う。 俺は、いったいどういう風に生きたいのだろうか。 『志村甲之進の襲撃』 「あんた、鬼が棲んでるぜ」 大学の構内で、片目をガーゼで包んだ男に志村が声をかけられたのは、昼休みの時だった。 「鬼?」 「今時珍しいねえ、あんたの鬼、変わった形してるぜぇ、こりゃ珍しい」 かつては明るいクリーム色だったであろうスーツはすっかりくすんで、よれよれになったそれを着ているこの男は30代に見えた。 講師には見えないが、年をとって入学した学生だろうか(祖父のように) 「暴力がすっかり染み付いているじゃないか、なのにそんなに馴染んで、普通の学生みたいだよ」 「何の話ですか?」 頭がおかしい人だろうか、と志村はいぶかしむ。男は名刺を差し出してきた。 占い・霊視 狐塚清文 と名刺には書かれている。 うん、関わらないでおこう。 「さよなら」 志村は全力で駆け出した。その背に声がかけられる。 「気をつけなよ、あんたは絶対、他の鬼に寄せられるぜぇ」 聞くと、狂気の残り香が自分にうつりそうでいやだった。 そしてそれは予想通り、嫌な感じとなって、講義中ずっと残っていた。 「「志村先輩」」 目の前に運慶と快慶が作った仁王像のようなものが立っている。 街中で声をかけられると、それだけで脅されているように見えるから困ったものだ。 しかも、これが後輩なんだから嫌になる。俺はこいつらと喧嘩をしたことはないが、絶対に厄介な相手になるだろう。 「日光、月光、久しぶり…」 目の前で立っているだけで、物凄い威圧感だ。息苦しい。 「頼み事が」 「あるんです」 「分かった、分かったからどこか喫茶店にでも行こう。座って話そう」 「お金が」 「あまりない」 「奢る!奢るから座ろう!」 周囲の視線に耐えられない繊細な志村甲之進だった。 近くのファミリーレストランに直行する。 禁煙席に座ると、三人掛けのソファが2人だけで満杯になるのが見れた。電車で隣の席に座って欲しくないタイプだ。 「ハンバーグ、ラーメン、チョコレートパフェ」 「スパゲティ、サイコロステーキ、海鮮丼」 志村は沈黙した。 「志村先輩も」 「遠慮なく」 お前らが遠慮しろ!と叫びそうになったが、志村はなんとか笑顔を作った。 「お腹があんまり空いてないんだ。コーヒー1つ」 水を一口飲む、氷の冷たさが染みる。 この兄弟は余り会話が得意なタイプではないし、本題に入った方が良いと志村は思った。 「それで、何の用かな?」 卒業生に頼みごとをするようなタイプだっただろうか。図体が大きくて有名だったが、人となりまでは、2学年離れてしまうと分からない。 志村が興味をもたなかっただけかも知れないが。 「実は」 「花寺の生徒が」 「他校の生徒に」 「絡まれています」 なんで一人で喋らないんだろう。とても気になるけど、その疑問を頭から志村は振り払う。 「そんなことは昔からよくあったし、ある程度、お礼してやれば納まるんじゃないかな」 お前らが乗り込んだら一発だろう、とは言わない。 「今までとは」 「違う」 「金を取られる」 「取った奴らは学校の元締めに上納している」 「下を叩いても無駄、でも、下はノルマを納めるのに必死」 「だから犠牲が何回も出る」 「元から絶つしかない」 「花寺以外もやられている」 「でも、やるには全面戦争」 「志村先輩の力が欲しい」 このサラウンド喋りの利点を志村は発見した。 一人がながなが喋るよりも、箇条書きのような効果があって整理されやすい。 まあそれは、日光月光が長いセンテンスで喋らないせいかも知れないが。 「なあ、日光、月光、それは警察に言うべきだ。俺は卒業生だし、そんな喧嘩に関わる気はない」 しかし、上納とは、そういえば似たような事件があって、新聞に載ったことがあったのを志村は思い出す。 表に出なくても、似たようなことが他の学校で起こっていてもおかしくはない。 学校はある種の閉鎖社会だ。そこにある闇は暗く、深い。 警察の捜査も、なかなか及ばない。 「うーん」 「志村先輩がそういうなら仕方ない」 日光月光の前に料理が運ばれてくる。 「「いただきます」」 彼らはそれをガツガツたいらげた。 俺は何をしてるんだろう、と志村は思った。 大学では相変わらず志村は一人で落語を聞いたり、本を読んだりしていた。 問題は何も解決していない。 でも遠山と約束したし、少しは前を向いて生きていきたい。 前を向いて。 大学で学ぶことを活かして生きる…… …無理だ。 不可能だ。そんな知能はないし、どう活かしていいかも分からない。 ネクタイをしめて通勤することも、まるで月面着陸のように遠い現実に思える。 現実と聞くだけで、憂鬱になる。 どうやったって生きられない。 (プロにならないか) 行方はそう言った。 スーツ姿の自分に比べ、リングに上がって蹴りを放つ自分は、比較的簡単に想像できた。 結局、それしかないんじゃないのか。 一体、どれだけの人間が、自分の思ったように生きられるというのか。 キックボクサー、いいじゃないか、どこに不満がある。 志村は本を閉じて、目を瞑った。 講義はさぼる覚悟だった。 大学の帰りに駅前で、落語のCDと、ゴールドダガー賞とかいうのを取った本を買った。 そして駅前広場を通る。 遠山先生がいないかな、と思う自分はなんとも女々しい奴だ。と志村は苦笑する。 行き交う人々を、つい眼で追ってしまう。 小学生か、俺は、と自嘲しつつもやめられない。 そのとき。 不意に肩を叩かれた。一瞬、期待してしまう自分はどうしようもなく女々しい。 「よう、志村」 しかし、振り向いて見えたのは華やいだ笑顔ではなく、いかついヤクザだった。 「松崎先輩」 松崎先輩は、学生時代、唯一志村を型にはめようとしなかった先輩で、志村はこの人物以外の上級生と話したことがない。 学生の頃の松崎は、出席日数が足りず、喧嘩に明け暮れ、勉強はせず教師と揉めていた。 今はヤクザをしている。 なんというか、なるべくしてなったような印象があった。 ああ、あの人なら、と進路を聞かされたとき誰もが納得した。 今は派手なスーツに豹柄のシャツ、スキンヘッドにサングラスをしている。 「お前、いま、何してるんだ」 「大学生です」 志村より背は少しだけ低く、体重は重い、30代に見えるようなふけた容姿だ。その分威圧感がある。 「お前でも大学っていけるものなんだな」 嫌味ではなく、自然に言っている。それはそれでどうかと思うが。 「鉛筆転がせばいけますよ」 「お前さ、うちの組に入る気ないか」 唐突にそう言って松崎は志村の目を見た。志村は首を振る。 「卒業までは大学にいるつもりです」 「今時なら、大学出のヤクザだっている」 「そんな先のこと、卒業してから考えますよ」 志村はハッキリ言って嫌だった。いくらなんでもヤクザになんかなりたくない。 そんな逡巡を無視して松崎は明るく大声を出した。 「おう、考えとけ、組に若いもんが足りないからな、お前なら歓迎だ」 志村はおどけて話を流そうとする。 「評価していただけて恐悦至極」 「ふん、やっぱお前にゃ無理だな、仁義が足りない」 成功したようだ。 松崎は志村の肩に手を置いて言う。 「そうそう、お前、M高の織田って知ってるか?」 「いえ?」 「組で噂を聞く位はしゃいでるらしい。今はみんな無視してるがな、耳に入るだけでもはしゃぎすぎだからな。ちょっと知ってたら教えてほしかっただけだ。じゃあな」 「ええ、お元気で」 松崎はそのまま人込みに消えていった。 格闘家か、ヤクザ、なんとも嫌な二択だ。 自分の人生の選択には、こんなものしか残らなかったのか。 誇り溢れる人生だ。人徳が知れる。 志村はため息をついた。 「プロ資格、とってみようと思うんです」 志村は行方にそう告げた。 行方は何も言わずに暫くじっとしてから言った。 「甘い世界じゃねえぞ、練習も今までの比じゃねえ。上り詰められるのは一握りだ。お前、後悔しねえんだな」 今度は志村が黙った。 ぶっちゃけ、どうしても行きたい道ではない。 しかし、もうこれしか選択肢がないじゃないか。 「覚悟はしています」 言っちゃった、すげー嘘つきじゃないか、志村甲之進。 「それなら、今日から練習開始だ、プロ試験にあわせて、お前を最強の男にしてやる」 「分かりました」 「それと…もう心配ないとは思うが、お前、今までよく街で喧嘩をしてたろう」 知っていたのか… いや、知っていてもおかしくはなかった。十年一緒にいたのだ。気付きもするだろう。 「これからは絶対にするな。プロになったら、喧嘩だけで選手生命は終わりだ。いいな」 「分かりました」 こうして、志村はハードトレーニングの毎日に入った。 十年もやっているから基本的なことは身に入っている。ひたすらにそれを磨く。 朝も昼もなく磨く。 そういう毎日の始まりだった。 だが、しかし。 何故か志村は大人しくしていられない。 二週間が経過した日だった。 志村は終ってから後悔した。 …やっちゃった。 目の前では先輩が白目を剥いている。 事の発端は、先輩が志村に絡んだことだった。 練習生で志村の相手が出来る人間は殆どおらず、スパーしても瞬殺の状態だった。練習すればするほど強くなる気がする。 志村は自分が恐ろしいくらいに研ぎ澄まされているのを感じた。 (鬼が棲んでるぜ) 今なら信じてもいいような気分だ。 相手になる奴がいない。 しかし、行方は既にプロになっている人間とは志村をスパーさせなかった。 どういう考えかは分からない。 ジムには昔から志村を知っている人間と、知らない人間がいて、知らない先輩はおっしゃった。 「お前、プロになるには全然努力が足りないんだよ、いい気になるんじゃねーよ」 「それはどうもすいません」 「なんだよそれ、心がこもってねーんだよ」 若手のホープらしかった。何が気に食わないのか? おそらくは、後輩の力が気に食わないのだろう。 大体、ジムでは志村の方が先輩だ。年は相手が上だけど。 この微妙な関係が、ギスギスした空気を作っている。 どっちが上か、はっきりさせた方がいい。 どす黒い感情がもりあがってくる。 奴は言う。 「きっちり謝れ、謝れよ」 志村は返答の代わりに中指をたてた。 「リングへ上がれ、豚野郎」 やれやれー、と無責任な歓声があがり、2人より上の先輩がゴングをならした。 リングで2人は向かい合う。 一瞬の静寂。 彼は志村を侮っていた訳ではなかった。だがゴングの響きが完全に消え去った時には、彼は既に負けていた。 誰も声をあげられない。 刹那の出来事。 電光石火のハイキック。 肉を打つ大きな音がジム中に響く。 先輩は白目を剥いて膝をついていた。 そこで最初の状況に戻る。志村は思う。 ……やっちゃった。 先輩は救急車で運ばれ、志村は眼一杯怒られた。 そして陰でこう言われた。 「お前は十年やってる。だからお前が他の年月浅い奴より出来るのは当然だ。お前が既にプロになっている奴を倒して調子に乗られるのは嫌だったし、まだプロにもなってない奴にやられて、あいつらが自信を失うのも嫌だった。それをお前は…」 「…すいません」 行方は本気で怒ってはいない、志村はそう判断した。怒られる理由はない。あいつは調子に乗りすぎだ。志村は身勝手にそう決め付けた。 「お前、次に武田に会ったらどう言う気だ」 「すいません、とか?」 「やめとけ、余計傷つける」 「じゃあ、どうするんです」 「普通にしとけ、それと、最近ずっとハードだったからな、三日くらい休んどけ。それまであいつと話しておく」 「OK、自主トレしときます」 やれやれ。 大学の講義が終ると暇になる。 単位が簡単にとれるようなものばかり選んでいたし、トレーニングのために、相当さぼってもいた。 いまさら来ても身が入らない。 ベンチにぼんやり座った。 「「志村先輩」」 「うおっ!?」 ベンチが完全に陰になっている。 2人の大男が目の前に立っている。何で大学に!? 「お話したいことが」 「あるんです」 「わかった!わかったから大学の外で話そう!」 大学で目立つのは嫌過ぎる! 俺が2人を連れて校門へ向かおうとすると、今まで2人の陰に隠れて見えなかった姿が見えた。 痣だらけで、M校の制服を着ている。 「あれ?この子は?」 「中学の」 「後輩」 「澄乃康之っていいます」 何だか嫌な予感がした。 |