ポテトチップ×チョコレート〜聖とウァレンティーヌス〜

ポテトチップ×チョコレート

〜聖とウァレンティーヌス〜


 言おうかどうか迷ったけれど。
「それ、普通に売ってるよ」
「……」
「北海道の。なんて言ったかな、なんとかっていう会社が」
 こんなの見たことないでしょう、と誇らしげに語った江利子に私は教授する。
 しかし、反応がない。
 気がつくと、ポテトチップにチョコレートをコーティングした手作りのお菓子を持ったまま、江利子はチョコに塗り固められて動かなくなっていた。




 もちろん、馬鹿にするつもりはなかった。ただ、あたかも自分が世界で初めてそれを作ったような雰囲気を醸していたし、後で本当のことを知って傷ついたら可哀相だから、それならば私が、王様は透明な服を着ているのではなく裸なだけだと指摘してあげようと、あくまでも親切心から取った行動だった。
 とはいえ、「普通に」は必要なかったかも知れない。「普通に」自体はそれこそ普通の言葉なのに、動詞や形容詞の前につく「普通に」にはいささか皮肉の意味が込められている。
 バレンタインの朝、下駄箱の前でそんなやりとりをして以来、江利子の私に対する態度がおかしい。休み時間に廊下ですれ違ったときもガン無視されたし、こうして放課後、この頃は受験勉強で疎遠になっていたお姉さまたちを呼んでチョコを渡し合っている薔薇の館でも、向かいに座っているのに目すら合わせようとしない。
 何が楽しくて製菓会社の陰謀に乗らなければならないのかと、去年はチョコを渡さなかったから。今年は日頃の感謝の意味を込めて渡すにしても、手作りなんていう柄でもないから。お姉さまにはデパートで買った味も値段もそれなりなチョコを贈った。蓉子は、彼女らしい正統派の手作り一口チョコを紅薔薇さまに贈っていた。祥子と令も、それぞれのお姉さまにチョコを贈っていた。
 もちろん江利子も黄薔薇さまにチョコを贈っていたのだが、そのチョコの外装に妙な違和感を覚えた。おそらく他の皆は気付いていない、薔薇の館に来る前に江利子と会った私にしか気付けない違和感。
「聖、ちょっと」
 その違和感の正体を探ろうとしていると、隣に座っていた蓉子が私の肩を叩いて立ち上がった。ちょっとこっち来なさい、と。
 私がやりますと言う令と祥子を制止して、紅茶のお代わりを淹れる手伝いの振りをして蓉子についていく。
「人づてに聞いた話なんだけどね」
 お湯を注いだカップにティーパックを浸して、蓉子は徐に口を開く。
「江利子、五限目の途中で早退したんですって」
「えっ」
「急に気分が悪くなったからって、文字通り急に」
 思わず振り向いて、江利子の顔色を確かめる。黄薔薇さまに贈ったチョコを美味しいと言われて、令に贈られたチョコを食べて美味しいと言って、ニヤニヤ。どう見ても気分上々だ。
「でも、こうして薔薇の館には来ているし。私たちには隠しているつもりらしいし。どうしたのかしら」
「気分が悪くなったけど、回復したから戻ってきたんじゃないの?」
「どうだか」
 私の推理に納得しかねるらしく、普段はどんな難しい問題でもスーパーコンピュータのように解いてしまう蓉子が首を捻る。それは正しい。私自身、その推理は完全に的外れだと思っているから。
 不思議なことに、江利子が黄薔薇さまに渡していたのは手作りのポテトチップチョコレートではなく、何の変哲もない市販の詰め合わせチョコだった。そのチョコはどこから出てきたのか、あのポテトチップチョコレートはどこにいったのか、他の人に渡したのか、しかし自分のお姉さまを差し置いて別の誰かに手作りチョコを渡すというのはおかしくないかと思っていたけど。
 間違いない。江利子は気分が悪いと嘘を吐いて早退して、チョコを買いに行ったのだ。世界に一つしかない独創的なチョコとして作ったポテトチップチョコレートが、実はただの二番煎じと知ったから。そんなものをお姉さまに渡すのは、面白いもの好きを自負する自分の沽券に関わるから。
「……私のせいかよ」
「え?」
「ううん、なんでもない」
 慌ててかぶりを振る。心の中で呟いた声のつもりが、勢いあまって外に出てしまったらしい。
 直接無視されるよりも、直接目を背けられるよりも、江利子が早退してまでチョコを買いにいったという間接的な情報は私の胸をきりきりと締めつけた。
 無視したければ口を固く結んでいればいい。目を背けたければ眼球をほんの少しだけ動かせばいい。しかし早退してチョコを買って再び学校に戻ってくるためには、嘘を吐いて、早退届を書いて、バスに乗って、駅前のスーパーに行って、チョコを選んで、またバスに乗って、先生たちに見つからないように慎重に門をくぐらなければならない。前の二つとは費やす労力が違いすぎる。
 面倒くさがりの江利子に、そんな手間のかかる行動を起こさせたのは。
 紛れもなく、私の発した一言なのだ。




 それ以後も江利子は頑なに私を無視し続けたが、山百合会の集まりが少なかったせいで顔を合わせること自体がほとんどなかったため、それほど害はなかった。
 どちらにしろ、江利子が頭を下げるなり、そこまでしなくても以前のように接してくるなりしない限り、私の側から何か行動を起こす気はない。私は塵ほども悪くないのだし、それに、こんな状態は長く続かないという確信があったから。少なくとも永遠には続かないと。幼稚舎から続く私と江利子の関係は、ほんの些細な一言によって崩れるような柔なものではないはずだ。
 バレンタインから一週間経った今日。
 その確信を証明するように、昼休み、江利子が私の教室にやって来て、話があるのと階段の踊り場に私を呼び出した。
「ずっとあなたを避けたりして。大人気なかったわ、ごめんなさい」
 踊り場に着くや否や、江利子は頭を下げる。
 原因とか、期間とか、そんなものはどうでもいい。顔を合わせるたびにいがみ合っていた幼稚舎の頃とは違う。これですべてちゃらだ。
「それは?」
 ちゃらになったついでに、私は江利子がさっきから手にしている紙箱について尋ねる。濃い黄色の下地に何か茶色い丸いギザギザのもの。一瞬ドーナツ屋のものかと思ったが、それにしては箱が小さいし、何よりも明らかにその茶色い丸いギザギザのものはドーナツではない。
「興味が湧いて取り寄せてみたの。これよね、聖が言っていたのって」
「だと、思うけど」
 それはまさしく、「普通に売ってる」ポテトチップチョコレートだった。あまりに衝撃的だったためか今ではそれを真似た商品もいくつか売られているが、江利子が持っている箱にはそのお菓子のパイオニアである北海道のチョコレート会社の名前がある。
「食べたことはあるの?」
「いや、そういうのがあるって知っていただけ」
「だったら丁度いいわ」
 はい、と江利子は箱を開けて私に差し出す。
 食べろということらしい。どんな味がするのか気になっていたので、お言葉に甘えて一枚取って口に入れる。
「どう?」
「うん、美味しい」
 インターネット上等で聞く評判はかなり賛否両論だったが、私は賛の方だった。チョコの甘さとポテチの塩辛さの絶妙なハーモニー。購買で贔屓にしているマスタードタラモサラダサンドも、買うのは私を含めた極々一部の限られた人だというし、少し味覚が変わっているのかも知れない。
「私はもう食べたし、家にまだあるから、全部あげる」
 と、ポテトチップチョコレートの箱は江利子から私へと引き渡された。
 お前の物が俺の物になったということで、遠慮なく二枚目三枚目へと手を伸ばす。夏以外の季節に北海道に住みたいと思うのは、これが初めてかも知れない。
「バランスがいいよね、チョコの量とかの」
「そう思う?」
「思う思う。やっぱりそういうのを考えて作られてるっていうか」
「そりゃあ考えたわよ。作るのはこれで二回目なんだから」
 立て続けにチョコレートポテトチップを食べる私を見て、江利子は笑う。
「……え?」
 四枚目を飲み込み、更に五枚目をつまもうとした指をふと止める。なんか今、江利子が変なことを言った気がする。作るのはこれで二回目?
 見れば、江利子は俯いて肩を震わせていた。寒いのだろうか。
 と、次の瞬間。
「ざまぁみなさいっ!」
 世界を征服したように江利子はふんぞり返り、そして気を違えたように高笑いを上げて階段を降りていった。いや、あれは完全に気を違えている。
 その場に取り残され、一人考える。さっきの言動から察するに、このポテトチップチョコレートは江利子の作ったもの。しかし、少なくともこの箱は本物。
 すべての辻褄が合うように推論を立てると、江利子は実際にこのポテトチップチョコレートを取り寄せ、中身は家で食べるなり何なりして空っぽにし、その箱に自分で作ったポテトチップチョコレートを詰めたということになる。
 おそらくは、私に食べさせるためだけに。渾身の手作りチョコを二番煎じだと馬鹿にした――と本人は誤解している――私に、二番煎じのチョコを本家本元のチョコと勘違いさせて食べさせるためだけに。
 こんな回りくどい方法で、自尊心を傷つけられた報復を果たしたつもりなのか、江利子は。正直、これっぽっちも意味が分からない。どの辺りがどう報復なのかすら分からない。
 私の心に刻まれたのは、報復による傷ではなく。
 江利子の手作りチョコが食べられたという、嬉しさだけだった。
 





[執筆:茜雲 蒼色蒼光




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