|
―――唐突だが。 細川可南子という人物は、チョコレートを食べない。 それがいつの頃からかはもうわからないが、 可南子はチョコレートに興味を持たなくなった。 時々、一緒に暮らす母親が自分用にチョコレートを買ってくると、 『アンタも昔はチョコ、チョコって煩かったのにねえ』などとからかわれることがある。 その事から推測すると、物心つくかつかないかの頃には、 しっかりと食べていたらしいのだからアレルギーの類ではない。 また、共学時代にチョコレートを渡してこっ酷く捨てられたとか、 あるいは同性からチョコを渡されて迫られただとかいうトラウマがあるわけでもない。 もしかしたら後者は1・2年ほど未来に現実になるかもしれないが。 別段甘いものが嫌いというわけでもなく(同年代の女の子に比べると辛党の感はあるが)、 むしろケーキやアイスなんかを乃梨子や瞳子と共に食べ歩いたりもする。 じゃあ部活のために食べないのかと問われれば、実はそうでもない。 何故なら、細川家に常に常備されているものの一つにポテトチップスがあり、 可南子はしょっちゅう夜食代わりにそれをつまんだりしているのだから。 スポーツをする上でどちらが好ましいかと問われれば、 (どちらも本来好ましくはないのだろうが強いて言えば)チョコレートに軍配が上がる。 最近では健康ブームでポリフェノール効果が注目され、 甘味の薄いチョコレートなんかも売り出されている。 にもかかわらず、細川可南子は相変わらずチョコレートを食べずに、 お気に入りのポテトチップスをパリパリチビチビとつまむのである。 とある土曜日。 可南子は、もはや恒例行事と化しつつある、 『乃梨子さんの家でひたすらダラダラ過ごしましょうの会(命名・松平瞳子)』 に参加していた。 二条乃梨子・松平瞳子・細川可南子の三人は、 月に一度か二度くらいの間隔で休日は共に過ごすようになっていた。 行動の指針を決定するのは大抵は瞳子で。 この日も二条宅の家主である菫子がいないのをいいことに、 入り浸ってひたすらダラダラと過ごしていた。 別に何をするでもなく、各々雑誌や読みかけの本を持ち込んで読みふけったり、 リリアンや世間で話題になっていることを話したりというのがこの会の趣旨である。 可南子の服装は長袖のTシャツにジーンズというシンプルなもので、 この日は珍しくバイク雑誌なぞを持ち込んでそれを半分ボーっとしながら目で追っていた。 ブラウスの上に黒いセーターを着込み、珍しくミニのプリーツスカートを穿いた瞳子は、 妙にお気に入りらしいクッションに寝そべり、本棚に入っていた漫画を読みふけっている。 Tシャツにやや大き目のカーゴパンツという少年のような出で立ちの乃梨子は、 瞳子に占拠されたクッションに寄りかかって、パソコンから流れる音楽に聞き入っている。 ベッドの縁にもたれかかって雑誌に目を通していた可南子が、 傍らに置いていたポテトチップスの袋を探ろうと視線をあげると、 丁度、瞳子が口の中にチョコレートを放り込んだのが目に入った。 ロングセラー商品であるそのアーモンドチョコレートは、 つい一時間前に封を開けたはずだったが、 もはや1/4程度しか箱の中には残っていなかった。 「瞳子、チョコ、好きよね」 不意に、そんな言葉が可南子の口をついて出た。 言われた瞳子はクッションから起き上がるともきゅもきゅと口を動かして、 「……そうですか?」 口に入れたチョコレートを嚥下してから首をかしげた。 「さっきからひっきりなしに口に運んでいるじゃない」 「え?あー、もうこんなになくなってる。食べすぎだよ、瞳子」 「むぅ。いいじゃありませんの」 可南子の声に乃梨子が箱を覗き込んで瞳子を咎め、言われた瞳子が頬を膨らませる。 「大体、可南子さんだってずーっとポテトチップスを食べてるじゃありませんの」 「私はあなたみたいにひっきりなしに食べてるわけじゃないから。ほら」 傍らに置いていたポテトチップスの袋を差し出して、瞳子たちに見せる可南子。 「……あんまり減ってませんわね」 「んー、確かに」 やや憮然とする瞳子に相槌を打ちながら、 一枚もらうよ、と乃梨子が袋の中に手を突っ込む。 可南子が差し出したその袋の中身は、確かに半分も減っていなかった。 「……そういえば」 袋を自分の傍らに戻しながら、可南子は瞳子の呟きを聞いた。 「今気がついたんですけど」 「どしたの?」 神妙な顔をして呟く瞳子を覗き込みながら、空いたクッションを占領する乃梨子。 「私、可南子さんがチョコを食べるところを見たことがございませんわ」 「……そう?」 瞳子の言葉に、可南子は雑誌に戻しかけた視線を更に瞳子に戻す。 「あー、言われてみるとないね」 クッションにうつ伏せになった乃梨子が、瞳子の言葉に同調する。 この親友関係が始まって一年近く。 このまま卒業まで説明しないで済むかと思っていたのだが。 可南子は、表情には出さずに心の中だけでため息をついた。 ……とはいえそれほど重大なことでもないのだが。 そして瞳子が当然の疑問を口にする。 「なんで食べないんですの?」 やっぱり。 さてどう説明したものか、と可南子は天井を仰いだ。 「……さあ?」 と、かなり本心の入った言葉がまた口をついて出た。 正直な話、自分がどうしてチョコレートを食べなくなったのかわからないから。 しかしそれは眼前の親友二人には誤魔化すような態度と移ったらしく、 「アレルギーですの?」 「……そもそもチョコレートアレルギーってあるの?」 「聞いたことありませんわね」 と、質疑応答の時間になだれ込むハメになってしまった。 「甘いもの嫌い……じゃないよね。ケーキとか普通に食べてたし」 「むしろケーキやアイスは好物よ」 「なにかトラウマでもあるんですの?」 「チョコレートに関するトラウマってなによ」 「昔、散々食べさせられて嫌になったとか」 「普通嫌になるほど子供に食べさせないわよ?虫歯になるし」 「じゃあ、部活関係?」 「だったらポテトチップスも食べないわね」 「ん〜〜、じゃあチョコレートを食べると酔っ払うとか!」 「どこの宇宙人よ私は」 質疑応答が段々とボケツッコミの漫才になりかけてきた頃、 「あ〜〜〜〜もう、なんなんですの一体!?」 瞳子が、キレた。 「そう言われてもね……特に理由はないのよ」 『ない?』 淡々と言う可南子の言葉に、瞳子と乃梨子の声が重なった。 「昔は食べてたらしいんだけど……いつの間にか食べなくなって。 特に食べたいとも思わなかったから、そのまま食べなかっただけなんだけど」 「なんなんですのそれ?」 瞳子が、理解できないとでも言いたげに頭を抱える。 「で、どのくらい食べてないわけ?チョコ」 「……そうね……かれこれ十年くらいは食べてないんじゃないかしら」 『十年!?』 指折り数える可南子の声に、瞳子と乃梨子がまた声を揃えて仰天する。 「私なら考えられませんわ……」 そのまま、何か小さくブツブツと呟き始める瞳子。 「多分、志摩子さんでも十年はないんじゃないかな……」 比較対象に志摩子を持ってくる辺りが乃梨子である。 「……いっそ今食べてみます?」 言いながら、1/4ほど残ったチョコレートの箱を差し出す瞳子。 「うーん……」 しかし、可南子は手にした雑誌で口元を隠して考え込む。 「ここまできちゃうと何かこう踏ん切りがつかないというか……」 「まあ、わかる気がしないでもないけど……」 「正直、ギネス級ですものね……」 チョコの箱を戻して、腕組みして唸る瞳子。 しかし、不意にハッとしたように口を開く。 「……可南子さん、別にチョコが嫌いなわけではないのですよね?」 唐突に、瞳子は可南子に問いかける。 「十年食べてないからなんとも言えないけど……多分ね」 「でしたら……乃梨子さん、ちょっと」 可南子の返答を聞いた瞳子は、乃梨子を引っ張ってリビングへと消えた。 少し首を傾げる可南子だったが、瞳子の言動が不可解なのは割といつものことなので、 しばらくほっぽらかしていたバイク雑誌へと視線を戻すのだった。 翌週、水曜日。 この日は、リリアン全体が浮き立つイベントデー。 所謂、聖バレンタインデーという日であった。 学校中に蔓延したチョコレートの香りがようやく弱まった放課後。 可南子はいささか戸惑っていた。 姉も妹も今だ居らぬこの一人身には、 縁のないイベントであるとたかをくくっていた可南子であったが。 蓋を開けてみれば来るわ来るわの大安売り。 朝、登校して靴箱を開ければ、3つのチョコレートがお出迎え。 それを皮切りに、述べ12個ものチョコレートが可南子の手元に届いていた。 バスケ部の後輩、名も知らぬ下級生、果ては上級生からも1つ。 「これは喜ぶべきなのかしらね……」 まだ男嫌いに陥る以前、告白された経験も何度かある可南子だが、 同性にモテるというこの状況はどう判断すべきか迷うところである。 が、いつまでも教室で考えていても仕方がない。 それに今日は新聞部企画のバレンタイン企画がある。 本気で乃梨子や瞳子のカードを探すつもりはなかったが、 顔を出すくらいはしようかと席を立つ。 (ああ、でも菜々ちゃんのカードなら探してもいいかもね) などと考えながらブラブラと薔薇の館前へと向かう可南子。 その道すがら。 「可南子!」 聞き覚えのある声に呼び止められて、足を止める。 振り返れば、乃梨子と瞳子が息を弾ませてそこに立っていた。 「探しましたわよ可南子さん!」 「教室に行ったら出てったばかりだって聞いたからさ」 「二人とも、どうしてここに?薔薇の館に行かなくていいの?」 イベントの主役たる3人のうち2人がここにいていいのだろうかと可南子は考えた。 「へへ、ちょっとね」 「渡すものがありますの」 見れば、瞳子は手提げ袋を持っている。 その中身を探り、瞳子は可南子の前につかみ出したそれを差し出した。 「はい、可南子さん!」 「私たちからの、バレンタインチョコだよ」 可南子の前に差し出されたのは、赤いチェック柄の入った掌サイズの布袋。 「……私に?」 「ええ。友チョコっていうんですって?」 確かに、友人同士でチョコをやり取りする新しい習慣のことは聞いたことがあるが。 「瞳子に材料取り寄せてもらってさ。二人で作ったんだ」 「これなら、食べてくれますわよね?」 あっ、と可南子は小さく息を呑んだ。 あの日、乃梨子の家で二人が話していたのはこれだったのか。 ……多少情熱の傾け方がズレているような気もするがそれは忘却の彼方に押しやって。 「ありがとう。ありがたく頂くわ」 瞳子の手からチョコの入った袋を受け取って微笑む可南子。 それを見た乃梨子と瞳子も、ほっとしたように微笑んだ。 「可南子、結構もらってたみたいだからどうしようかとも思ったんだけどさ」 「せっかく可南子さんのために作ったんですし、ね」 「ふふふ……ホワイトデーのお返しは期待しててもいいわよ?」 「そりゃ勿論そのつもり……って瞳子!!いま何時!?」 「え!?ああ、マ、マズイですわ〜〜!!」 手近な教室の時計を覗き込んだとたん、乃梨子と瞳子は慌て始める。 「ゴメン、可南子、私たち行くから!!」 「よろしければ、イベントに参加してくださいまし!!」 「ええ、頑張ってね」 シスターに捕まったらお説教確定の速度で走り去る蕾二人。 その背中に、可南子は軽く手を振りながら見送った。 「さて、私も行こうかしらね」 一人呟き、周囲の生徒達に紛れて薔薇の館へと向かう可南子。 その途中、つい先ほどもらった袋の口を解いて、中身を一つだけ取り出した。 黒く艶のあるハート型のそれをしばらく眺めたあと、おもむろに口へと放り込む。 (……ああ。こんな味だったわね、そういえば) 十年ぶりとなる甘く、そしてわずかに苦みばしった味に目を細める。 (今日のターゲットは、やっぱり菜々ちゃんのカードね) と、可南子は心の中で考える。 何故なら、乃梨子も瞳子も自分の姉にカードを見つけてもらいたがっているのだろうから。 チョコレートのお返しということで、あの二人のカードは見逃しておいてあげよう。 (友チョコのお返しって、何が相場だったかしらね……) 帰ったら調べてみようと思いながら、可南子は薔薇の館へと足を進めていった……。 ―――Fin. [執筆:楓野 夏樹 Foolish three] |