|
犬猿の仲、とはよく言ったもので。 確かにワンワンキーキー五月蠅い。 「二人ともいい加減にしたら?」 「それは私ではなく瞳子さんに言って下さい」 「どうして私が! 可南子さんこそ、いい加減にして欲しいものですわ!」 仲裁を諦めた乃梨子は、一旦自分の席に戻った。 このまま瞳子可南子の喧嘩につきあっていると、忍耐心と鼓膜のどちらかが壊れてしまうに違いない。そもそも、二人の喧嘩は日常茶飯事なのだから簡単に止められると思う方が間違いなのかも知れない。 というより、これ以上つきあってられない。 そこで、乃梨子は知らないふりをすることにした。いくら二人でも、本題の会議が始まればおとなしくなるだろう。 「あ、あの、乃梨子さん?」 クラスメートの一人がおずおずと声をかけてくる。 しまった。 知らん顔をしている限り、自分に二人を仲裁しろと言ってくるような者はいないだろう、という乃梨子の読みは見事に外れた。 乃梨子は辺りの様子を伺う。 何人かが自分を見ている。その目は明らかに「白薔薇のつぼみ、何とかして下さい」と訴えていた。 「あの二人を止めた方がいいと思いますよ?」 別の一人の言葉に、乃梨子は渋々立ち上がろうとする。 そこで乃梨子は止まった。 いつの間にか、二人は乃梨子のすぐ目の前に移動してきている。そしてそのうえで、まだ口喧嘩は止めてない。 ふと、嫌な予感がして乃梨子は二人の様子を観察した。 すると、可南子と瞳子の互いの応酬の合間合間に、明らかにこちらを意識している気配がある。 …こいつら、止めてもらえると思ってる! おふざけでないよ! と、菫子さん並みに一喝したい気持ちを抑えて、乃梨子は深呼吸。「二人とも、調子に乗ったらシメるよ?」 ボソッとした一言は、二人にしか聞こえていない。 周囲からは、突然瞳子と可南子が言い争いを止めたように見えていることだろう。 「…乃梨子、恐い」 「さすが、千葉から来ただけはあります」 凶器を頭にぶら下げている娘と新潟原産産地直送娘には言われたくない。と乃梨子は思う。 「と、いうことがあったんです」 乃梨子がそう言って話を結ぶと、志摩子さんはクスクスと上品に笑う。 「大変ね、乃梨子も」 うん、と言いながら机に突っ伏せる乃梨子を志摩子さんが優しく撫でてくれる。 「だけど、瞳子ちゃんも可南子ちゃんも乃梨子を頼りにしているのよ。だから甘えているの」 一日の授業を終えて薔薇の館へやってきた乃梨子を迎えたのは志摩子さん。祐巳さまも由乃さまも今は居ない。今は白薔薇姉妹の貸し切りの場。 だから、乃梨子も少し緩んでいる。 「そうかなあ…」 「由乃さんが令さまのことを嫌いだと思う?」 「え?」 いきなりな二人の話題に、乃梨子は目を丸くする。 「ううん、そんなこと全然思わないけれど、どうして?」 「知らない人から見れば、由乃さんの令さまへの態度はどうかしら?」 ああ、と乃梨子は頷いた。 そうだ。確かに志摩子さんの言うとおり。二人は端から見ていても驚くほど仲がいい。そして、由乃さまは令さまにとても甘えていて、令さまはそんな由乃さまを受け入れている。菜々ちゃんの存在で最近は少しずつ変わってきているけれど、それでも二人の仲の良さに変化はない。 ということは、瞳子と可南子も…。 「乃梨子を頼りにして、甘えているの。二人とも、乃梨子のことは信用しているのよ」 「信用、かぁ…」 乃梨子は突っ伏していた身体を持ち上げる。 「信用されるって、疲れるね」 志摩子さんが笑う。 「そうね。けれど、嬉しいものでしょう?」 他ならぬ志摩子さんにそう言われると、そんなものかな、と乃梨子は思ってしまう。 でも、少し疲れる。 だけど、ちょっぴり嬉しい。 とても複雑だ。 そもそも、あの二人が水と油なのだ。と乃梨子はつくづく思う。 そんなことはないんじゃない? と志摩子さん。水と油は混ざらないけれど、瞳子ちゃんと可南子ちゃんは時によっては協力しているんじゃない? だからって、似たもの同士だとは思わない。大同小異ともちょっと違う。 混ざってもいいけれど、やっぱり相反する物。 「塩と砂糖ね」 志摩子さんの例えに、乃梨子はポンと手を叩いて頷いた。 塩と砂糖。同時に使う料理なんてごまんとある。だけど、塩と砂糖は正反対の物だ。少なくとも、イメージとしては正反対の物だ。 「しょっぱいと甘い、全然違う味のような気がするけれど、上手く使えば互いを引き立てるのよ」 うーん、と乃梨子は唸った。志摩子さんの例えは素晴らしいのだけれど、それが二人に当てはまるのだと言われると、ちょっと待ってねと考えこんでしまう。 だけど、塩と砂糖のイメージはいいかも知れない。 塩の可南子、砂糖の瞳子。しょっぱい可南子、甘い瞳子。 そこで乃梨子の脳裏に何かが浮かんだような気がした。 何かのイメージ。何かが「塩と砂糖」と「可南子瞳子」を繋いでいる。 なんだろう。 少し考えながら、そしてもう少し深く考えながら、乃梨子は無意識に首をまわしはじめた。 気疲れで肩が凝ったような気がしていたからちょうどいい。 ゆっくり回していた首が、あるものを見つけてピタリと止まった。 「あ」と思わず口に出した視界の先には、祐巳さまが持ち込んだおやつが。 昨日、高等部に迷い込んだ幼稚園児を幼稚舎学舎まで送っていったときにもらったおやつ。園児用のおやつのあまりをもらった物。 パラソルチョコレート。 「瞳子ちゃん瞳子ちゃん」 由乃さまがパラソルチョコレートを両手に持って、頭の横にぶら下げている。 「ほらほら、瞳子ちゃん」 瞳子の縦ロールを模しているらしい。 「違いますっ」 「似てるよねぇ? 祐巳さん」 「うーん。少し」 「お姉さままでっ!」 瞳子はプイッとそっぽを向きながら、ボリボリとチョコレートを囓っていた。 チョコレートは甘い。甘いパラソルチョコレートは瞳子の縦ロール。 これだ。これが、「甘い砂糖」と「瞳子」を繋げていたイメージなのだ。 だったら、塩は? そう考えてみると、答はあっさり見つかった。 パラソルチョコレートの横に無造作に置いてある細長い円筒容器。誰かが持ってきたポテトチップスだ。 テーブルの上にすくっと立った姿は、長身の誰かを確かに思い出させる。 なるほど。ポテトチップが「しょっぱい塩」と「可南子」のイメージを繋げていたのだ。 「塩と砂糖」 よりは「ポテトチップスとチョコレート」の方がいいな、と乃梨子は心から思った。 そうだ。それがいい。「ポテチとチョコ」でいい。 両方ともそれぞれ一品で立派なおやつだけれども、二つ同時に食べるのは嫌だ。想像してみても、味が合わないと乃梨子は思う。 瞳子と可南子だって、それぞれ一人とつきあうのは別にどうということもないのだ。なのに二人が揃うと、かなり困ったことになる。 単品でいいのだ。混ぜるなんて、とんでもない。 「なにやってんだい、リコ」 帰ってきた菫子さんは、テーブルの上を見て目を丸くする。 「そんなに広げて」 そこに置かれているのはチョコレートとポテトチップス。 学校の帰りに色々と考えていて、ついコンビニに立ち寄ってしまったのだ。 「夕ご飯前の間食は感心しないねぇ」 「食べるのは、後でね」 乃梨子はとりあえずテーブル上を片づけた。 そして夕食を終えて、少ししてから袋を開ける。 「なに、そんなに食べたかったの?」 まさか、クラスメートをイメージしたお菓子だとはとても言えない。 菫子さんの問いを笑って誤魔化しながら、乃梨子はチョコレートの封を解く。 「二つとも?」 「全部は食べないけれど…菫子さんも食べる?」 「じゃあ、リコの好意に甘えてチョコレートだけでいいよ」 ひょいっと摘んでパクリと一口。 「甘い」 当たり前の感想を聞きながら、乃梨子はポテトチップの上にチョコレートを一欠片乗せる。 「何してるの?」 「一緒に食べてみようかと思って」 「また、変わったことを試すんだね」 「ちょっとね」 二つ同時に食べてみる。 ……やっぱり。 というかなんというか、美味しくない。 「…美味しくない」 「何を確認してるの?」 呆れた顔の菫子さんに、乃梨子は苦笑で答えるしかなかった。 「うん、なんというか、ちょっとした好奇心」 「好奇心ねぇ。食べ物を粗末にするのは感心しないよ?」 「残りはちゃんと普通に食べるよ」 二つ同時に食べるのは良くない。 それぞれの味を生かして別々に食べるのが一番美味しい食べ方だ。と乃梨子は確信した。 そして翌日の朝。 「どうしてですの?」 瞳子は朝一番の乃梨子の言葉にまず異を唱えた。 「いいから、少し離れてなさい」 可南子に近づくな、言葉はもっと優しいけれど、そんな意味のことを乃梨子は瞳子に告げていた。 「寄れば触れば口喧嘩ばかりなんだから、最初から近づかないこと。それが一番手っ取り早いの」 「短絡的ですわね」 「それともなに? 瞳子は可南子さんの近くにいたいの?」 「な…! そんな訳ありませんわ!」 「だったら、いいじゃない」 そして、同じ事を可南子に。 「私の行動を乃梨子さんが規制するんですか?」 「そうだけど、何か不都合だった?」 開き直った乃梨子の言葉に可南子の勢いは鈍る。 「別に、不都合はないけれど…」 「喧嘩をしなくて済むから、可南子さんも楽になるでしょう?」 可南子はしっかりと頷く。 「だったら、いいじゃない?」 「…そうね」 その日は口喧嘩がなかった。次の日も。そして次の日も。 乃梨子は内心、「上手くいったじゃない」と喜んでいる。 だけどどこかおかしい。 数日に渡って二人の口喧嘩から解放された乃梨子は、上機嫌になるはずだった。鬱陶しいことから解放されれば嬉しいはずなのに。 なんだろう、この気怠さは。 なんだろう、このダウナーな気分は。 それでも、志摩子さんに会えれば乃梨子は元気になれる。だから乃梨子は、薔薇の館へ足を向ける。 階段を上がろうとしたときに、 「だから、恥ずかしいって言ってるんです!」 瞳子の金切り声。一階の物置から聞こえてくる。 すわ、と思ったけれど、今の薔薇の舘に可南子が居るわけがない。となると、今の薔薇の館で瞳子がこんな風に言える相手は一人しかいない。 そーっと覗いてみると、案の定、瞳子の相手は祐巳さまだった。 「何が恥ずかしいのよ。来年度の紅薔薇のつぼみとして、ちゃんとやってもらうわよ! 三年生を送る会では一年生の隠し芸が必須なの」 「そんなの、初耳ですわ! 祥子お姉さまにも聞いたことありません」 「うん。だって、これは山百合会以外の人には秘密だもの」 噂に聞いたアレか、と乃梨子は思った。確かに、あの時の祐巳さまと同じ事をやれといわれたら乃梨子も怖気を震う。ちなみに、乃梨子は聖さまに他言無用という条件でそれを教えてもらっていた。 それにしても、瞳子の反抗はちょっと度を超している、と乃梨子は思った。何か嫌なことでもあって機嫌が悪いところに追い打ちをかけられたような、そんな怒り方だ。 「嫌ですわ! どうして、瞳子が安木節なんか…」 「紅薔薇の伝統なの」 「初耳です!」 「だから、秘密なの」 祐巳さまは実はかなり頑固だと乃梨子は知っている。こうなったら、多分瞳子に逃げ場はない。 「絶対嫌です!」 瞳子がこちらに向かって走り出したのを見て、乃梨子は慌てて玄関へ向かった。そして、今来たばかりを装う。 「どうしたの? 瞳子?」 「どうもこうもありません!」 そのまま走り去ってしまう。 「あら…」 呆然とそれを見送る祐巳さま。 「あ、乃梨子ちゃん。変なところ見られちゃったね。ごきげんよう」 「ごきげんよう」 「ところで乃梨子ちゃん、ここ最近、クラスで何かあった?」 「え?」 「瞳子、なんだか機嫌が悪いみたいなんだけど」 「機嫌が?」 「機嫌が悪いというか、何か溜め込んでるみたいだけど」 「それがわかってて、あんなこと言ったんですか?」 「なんだ、聞いてたの?」 参ったな、というように笑う祐巳さま。 「だって、ここで爆発させてあげないと、別の人相手に爆発したら大変だもの」 あ、と乃梨子は頭を下げたくなった。祐巳さまは、さすがに瞳子のお姉さまなのだ。 「クラスでは別に何もないようですけれど」 「そう? バスケット部の美弥さんに聞いたんだけど、可南子ちゃんも最近機嫌が悪いことが多いらしいの。だから椿組で何かあったのかと思ったんだけど」 「いえ、何もなかったと思いますけれど…」 嘘です。と乃梨子は言いたくなった。思い当たる節がありすぎるのだ。 「あの、祐巳さま、申し訳ありませんけれど、お姉さまが来たら私が用事が出来たので先に帰りますと伝えて頂けませんか」 「わかった。あ、それから乃梨子ちゃん?」 「はい」 その場を急いで立ち去ろうとした乃梨子は首だけで振り向く。 「もし偶然瞳子に会ったら、私は別に怒ってないって伝えてね?」 「偶然、ですか?」 「そ、偶然」 内心で舌を巻きながら乃梨子は、リリアンには薔薇さまになった者の能力を格段にアップさせるおまじないでもあるのかも知れない、と本気で思った。 それなのに結局、瞳子は見つからなかった。 しまったなぁと思いながら、だからといってもう薔薇の館には戻れないので帰路につく。 家に着いたら、瞳子の家に電話してみよう。電話でどうやって話をしようかと考えながら家に着くと、テーブルの上に菫子さんからの手紙があった。 “リコ、冷蔵庫に面白いものがあるよ” とりあえず一息つこう、そう思いながら冷蔵庫を開ける。 「?」 黄色い箱。 外側に書かれているのは… 「ポテトチップ……チョコレート?」 箱にはまた手紙が貼り付けられていた。 “ポテチとチョコにはこういうのもあるんだよ。これをあげるからおとなしく留守番しておくこと。明後日帰るからね” どうやら旅行にでも出かけた様子。 箱を開けると、そこにはまぎれもないポテトチップが。しかも、チョコレートでコーティングされている。 「なに、これ…」 一口、食べてみる。 「なに、これ?」 言葉は一緒だけれども、さっきとは込めた感情が違う。 「美味しい」 美味しいのだ。何がどうなっているのかはわからないけれど、このポテトチップとチョコレートは絶妙に噛み合っているのだ。 もう一口。 もう一口。 さらに、一口。 止まらない。というか、止めるつもりもない。美味しいものを食べているというのに、止めるつもりなんてあるわけない。 気が付くと、一袋が無くなっている。 箱の中には三袋。貴重な一袋が瞬く間になくなったのだ。 あと二袋は大事に食べなければならない。乃梨子はそう決断すると、名残惜しそうに箱を冷蔵庫にしまった。 とにかく、ポテトチップスとチョコレートの相性について自分はとんでもない思い違いをしていたことに乃梨子は気付いたのだ。 合わせることは出来る。それも、絶妙に。 別々なときよりも美味しくなれる。 そうか。そうなのか。 うん、そうなんだ。 乃梨子は納得した。 「どうして私が!」 「文化祭にも出たんだし、この際、お手伝いと言うことで」 「その理屈はおかしいと思います!」 瞳子が嬉しそうに何かを持ってくる。 「はい、可南子さん」 「瞳子さん、そのザルは何? その五円玉は? その手ぬぐいは?」 「セットですわ。お姉さま直伝の」 「祐巳さまの?」 可南子の手が止まると、瞳子がゆっくりと言う。 「ええ、私のお姉さまの」 「……そんな言い方をするなら、瞳子さんがやればいいじゃありませんか」 「身体の大きい方が見栄えがするんですの」 ほほほっ、と笑いながら手を振る瞳子。可南子は強引に渡された道具を床に置くと、瞳子に手を伸ばす。 「貴方がやりなさい」 「嫌ですわ! どうして瞳子が安木節なんか」 「や、安木節!?」 この単語は可南子にとっては初お目見えだ。 「嫌です! 祐巳さまの妹は瞳子さんじゃありませんか!」 「それとこれとは話は別です」 「なんで都合のいいときばかり…」 二人の言い争いを聞きながら、乃梨子はニコニコと微笑んでいた。 これだ。これが二人なんだ。 いつの間にか、乃梨子がここ最近感じていた憂いも綺麗さっぱり無くなっている。 このチョコレートとポテトチップは、一緒にした方が美味しくなるものだったんだ。 「まあまあ、その辺にして。可南子さんは薔薇の館も久し振りなんだし、お茶でもどう?」 渋々と言うように座る二人。 よく見ると、二人の瞳は嬉しそうに輝いている。勿論、乃梨子も同じく。 「じゃあ、お茶にしましょう」 そしてお茶請けは、ポテトチップチョコレートが二袋。 [執筆:のくた のくた庵] |