ポテトチップ×チョコレート〜しょっぱいしょっぱい春休み〜

ポテトチップ×チョコレート

〜しょっぱいしょっぱい春休み〜


 空には雲ひとつない快晴が広がり四月を目前に控えた季節の風は春の匂いを感じさせるほどに暖かく、それでいて柔らかい。なんとなく志摩子さんに近いかも、とあっけらかんと晴れ渡る空を見上げながら由乃は思った。
 ふわふわとしていて、掴みどころがなくて、人を穏やかにさせる独特の雰囲気を持っていて。
 春と志摩子さんはとてもよく似ている。
 そんなことを考えながら、家を飛び出していつの間にか足を運んでいた駅近くの歩道橋上で立ち止まり、由乃は深くため息をついた。
 今日がお天気で本当に良かった。もし、どんよりとした灰色の雲が我が物顔で空を隠すように重鎮していたり、その雲から天の恵みの雨が容赦なく降り注がれて冷たい雨風なんかに吹き曝されたりすると、きっと私のうんざり度はものの数秒でメーターを振り切っていたに違いない。ただでさえ令ちゃんと喧嘩して苛立っているのに天気にまで見放されていたら、たとえ理不尽だとわかってはいても祥子さまばりのヒステリーを街のど真ん中で引き起こしていたかもしれない。
 由乃はつい数十分前の出来事を思い返しながら歩道橋に体を預けた。
 令の何気ない一言が彼女の逆鱗に触れてしまった。普段通りの些細な言い合いも、珍しく畳み掛けるように攻めてくる令に対して苛立ちを募らせた由乃は口論の途中で家を飛び出した。着の身着のまま、財布も持たず、惰性で歩き続けた結果辿りついたのがこの場所で、何を思ってここへ来たのかと由乃自身疑問が浮かぶ。
 よくよく考えてみれば飛び出すほどのことでもなかったんじゃないだろうか。令ちゃんの家にいたんだから自分の家に戻ればいいのにどうしてわざわざ街になど出てしまったのだろう。
 しかしそんな風に考えたところで今すぐ戻るという選択肢は由乃の中に存在せず、二時間ぐらいどこかをぶらついていようという気持ちが芽生えた。春休みで人通りも多いことだし、本屋で立ち読みでもしていようか、とそう思い立った由乃はおもむろに歩道橋から体を離す。
「よーしのちゃーん」
 その時、下方から不意に名前を呼ばれて聞いたことのある声に軽く首を傾げながら歩道橋越しに地面を覗き込んだ。
「うわ」
 視界に捉えた少女を認知した由乃は自然とそう口ずさむ。もちろん相手にその声が届くことはないのだが、失礼かもしれないという意識があるためかしまったという表情を浮かべながら口元に手を当てる。
 なんでこんなところにあの人がいるのよ。
 うんざりすると同時に逃げ出してしまいたい気持ちに駆られ、もう少し早く行動しておくんだったと後悔の念さえ押し寄せた。誰しも苦手とする相手と、ましてや春休みという学校から隔離された時期になどは特に会いたくないものである。それがもう当分会うことはないだろうと安堵しきっていた人物なら尚更に。
「ねえ、そっちにいってもいい?」
 確認するまでもなく少女は歩き始める。
「いえ、私が降ります」
 咄嗟に逃げようかと思った意思に反して口と体が正反対の行動を取ったことに一番驚いたのは由乃で、しかしもう歩き出してしまったのだから後へは引けないと苦笑しながら階段を下る。
「令は一緒じゃないの?」
「ええ……まあ」
 つかの間の逡巡の後に曖昧な相槌を打つ。
 何も知らない少女の開口一番の台詞は、早くも由乃の表情に暗雲を垂れ込めさせた。悪気はなく、ただどこへ行くにも一緒という印象を与えてしまっているのはわかっているが、正直なところむかっ腹が立つ。
 やっぱり逃げればよかったのに、私のバカ。
 相変わらず気怠いオーラを漂わせる少女を前に、気づかれないよう由乃は小さく舌を打った。

「なるほど。そういうことなのね」
「そういうことです」
「それはきっと私とデートしろっていうことに違いないわ」
「はい?」
 どうしてそういう発想が出来るんだろうこの人は。
 薄く微笑む少女を前にげんなりとなった。
 立ち話もなんだからと近くの公園に移動したのが間違いだった。早く切り上げて逃げるつもりだったのに、ベンチに腰掛けてその上飲み物まで奢って貰って。春休みは何してたとかみんな元気にしてるのかとか、そんな他愛もない会話をしていたはずがいつの間にか誘導尋問で喧嘩の原因を喋らされ、気付くと根掘り葉掘り聞き出されていたという。
 恐るべし黄薔薇マジック。普段は人の話など聞いているのかいないのかわからない態度で、さして興味も示さず、己の世界にどっぷりと浸かっている人だというのに、まるでカウンセラーにでも相談しているかのように自然と由乃の口を割らせてしまった。
 それについては由乃自身も驚いたが、しかし先ほどの発言に関しては意味がわからず、怪訝そうに眉を顰める。
「どうして私が江利子さまとデートなんて。それに、私じゃなくても待ち合わせしてる相手がいるんじゃないですか?」
 少女――江利子の服装を見て由乃は率直な疑問をぶつけた。
 パーカーにジーンズというラフな家着である格好の由乃に対して江利子のそれはどうみても周囲を意識した外出用の身なりだった。加えてナチュラルメイクにほのかな香水の匂い。在学中には一度も見たことのなかった彼女の姿に一瞬狼狽したのは言うまでもない。だから由乃はきっとデートに行く途中なんだろうなと会った瞬間から薄々感じていた。だからこそ江利子の発言は由乃に疑問符を浮かべさせることとなったのだ。
「そうなのよね、と言いたいところだけど残念。待ち合わせの相手なんていないわ」
「嘘。そんなに気合入った格好してて?」
「由乃ちゃん的には気合入っているように見える?」
 そう訊き返されると微妙に言葉を噤んでしまう。
 でも、これで気合が入っていないというのであれば気合の入った江利子さまは一体どんな感じなんだろう?
 何をせずとも美人なだけあって珍しく由乃の興味を引いた。
「沈黙は肯定よね。まあ、当たってるんだけど。実は今頃山辺さんとデートしてるはずだったんだけどキャンセルされちゃって。もう準備もしちゃってたし、仕方ないから暇つぶしも兼ねて街へ出たら由乃ちゃんを見つけたってわけなのよ」
「ああ、山辺さん」
 そりゃあ気合だって入るはずだ。何せ、自分が惚れてる男とデートするのだから。
 江利子の口からその名前が発せられて由乃の脳裏に思い浮かんだのは熊のような男だ。彼のどこがいいのかわからないが、みんなの前で江利子にプロポーズをされたおじさんというのが由乃の認識であった。
 今でさえ思う。一体何に惹かれてプロポーズをしたのだろうと。
「せっかく早起きしたのに一日家に引きこもるなんて勿体無いでしょう?」
「そうですね」
「だから由乃ちゃん、私とデ」
「いやです」
 躊躇いなくきっぱりと言い放つ由乃に、江利子はいささか悲しそうに眉尻を下げた。
 刹那、物怖じして断ったことに対する罪悪感を覚えた由乃だが、そもそも苦手な相手とデートしたところで平静を保てるかと言えば否。冷静に考えて長時間二人きりでいるのはまず無理だと、しつこく誘いを掛けてくる江利子には申し訳ないと思いながらも頑なに首を振る。
 大体、私じゃなくても蓉子さまや聖さまでもいいじゃない。受験を終えて、言わば入学式を待つだけの江利子さまと同じ境遇なんだからこの時期暇を持て余しているような気がするし。
「じゃあもう少しだけ付き合って」
 由乃が二人に連絡してみることをお勧めしようと目を合わせると、突然江利子はベンチの脇に寄せていた袋の中から黄土色した長方形の箱を取り出して自身の膝の上に乗せた。
 ドーナツのようなケーキのような、けれどもパッケージに印刷されているのは紛れもなくポテトチップス。
 筒状ならともかく、こんなケースに入ったポテトチップスなんて見たことがない。
「なんですかそれ?」
 気になって由乃が尋ねると「まあまあ、騙されたと思って」などと不可解な言葉を述べながら箱を分解してゆく。
 箱を開けると中には茶色い袋が入っていて、江利子がそれを開封した瞬間、何やら甘い匂いが辺りに立ち込めた。中から一枚掴み取ると、疑問符を浮かべた由乃の口元に運んで彼女は言う。
「はい、あーんして」
「あ、あーん……」
 若干抵抗があったものの、気になるものが口元に近づいた以上由乃も無下に拒むことが出来なかった。恥ずかしいながらも仕方なく食べさせて貰って、その正体を探るべく咀嚼を始める。
 うわ、なにこれ。
 甘っ、というのが最初の印象。しかしその後すぐに舌に訪れたのは妙な塩辛さで思わず眉間に皺を寄せる。
「なんですかこれ」
 江利子が口に運ぼうとしている謎の茶色い物体を指差して由乃が再度問う。その表情は先ほどと違って幾分か訝しんでいるように見えた。
「ポテトチップチョコレート。その顔だと由乃ちゃんの好みではなさそうねえ」
 私は好きなんだけど、と幸せを噛み締めるように次々口の中へ放り込んでいく江利子を見て、心底ありえないと由乃は益々顔を引きつらせた。
 別に味が悪いわけではないし嫌いでもない。甘さと塩辛さのコラボレーションなんて絶妙過ぎるし、これを始めに考えた人を尊敬することだって出来る。だが由乃は、一枚でさえ重いこのポテトチップチョコレートをインターバルなしな上平気な顔で何枚も何枚も食べ続ける江利子がありえないと思ったのだ。
 正直言うと見ているだけで気分が悪い。ものには限度ってもんがあるでしょ限度ってもんが。
「もう帰ってもいいですか?」
 段々と込み上げる何かに耐え切れず由乃は勢いよく腰を上げた。
「ダメよ」
 しかし逃がすまいとする江利子に腕を掴まれて、再びベンチへと舞い戻る。まさかそれを全部食べ終わるまでここにいろとでもいうのかスッポンの鳥居、などと妙な汗が額に浮かんだ。
「もうすぐだと思うから」
 一体何がもうすぐなのか、江利子の言葉は主語を省きすぎていて由乃にとってはいまいち理解しがたい。
 しかして数十秒後、自分を呼ぶ、もう耳に焼き付いているほどの愛しい声にはっとしてその方向へ目をやった。
「な、なんで」
 嬉しい反面、驚きの方が大きかった。
 だって令ちゃんは私がこんなところにいるなんて知っているはずないし、無闇に探していたにしては予測していたようにこの場所へ駆けてきているから。
「私が連絡したのよ。さっき、飲み物買いに行ったついでに」
 しれっとした顔で、相変わらず新食感なアレを口に運びながら江利子が言った。
 やられた、と思った。
 デートの誘いは私をここに留めておくための口実だったんだ、とも考えた。
「私が間に入ってあげるから、令と仲直りなさい。二人が喧嘩しているのは心苦しいわ」
「江利子さま」
 意外な言葉に由乃はたまには甘えてみようかなという気になった。しょうもないことでの喧嘩をいつまでも引きずりたくないし、江利子さまが仲裁に入ってくれるのであれば令ちゃんもすぐに折れてくれるんじゃないかという思念が由乃にはあったのだ。
 だがしかし次の瞬間。
「その代わり今日は一日私に付き合って頂戴。姉妹三人でデートなんて楽しみねーふふっ」
 まったく予想だにしていない交換条件を提示されて、一寸甘えるのはやめようかなと本気で思った。
 いくら令ちゃんが一緒だからといって一日中江利子さまと一緒だなんて。しょっぱい。しょっぱすぎる。

 そう、まるでポテトチップチョコレートのポテトの部分のような。
 ほのかにしょっぱい、そんな春休みの思い出。




[執筆:桜沢朔  READY×GO!




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